知能・能力・創造性の脳科学的考察
過去に知能の多元性に関する記事を書きましたが、「知能の質」「知能の高さ・能力」には様々な種類・違いがあり、今回は前編で「創造性」と「知能」の違いに関するテーマを書き、
後編では「知・情・意」「守・破・離」の脳科学的な角度からの考察、そして「小脳」の秘められた役割などをテーマにして書いています。後編 ⇒「知・情・意」「守・破・離」と小脳の役割
ではまず、「知・情・意」を脳科学的に見た場合どのようなものになるか、わかりやすくまとめている図があったので以下に引用・紹介しますね。
引用・参考PDF ⇒ 脳と精神-生命の響き
「秀才型」の高知能者
ニューヨーク州ローチェスター大学で行われた研究結果で、高IQの人は「周りの雑多な情報」の中から「あまり重要でない不要なもの」を素早く除外し、意味のある情報だけに素早く集中して答えを導き出す「見極め能力」が一般人よりもずっと高いことがわかった、とのことです。
まぁこれは「秀才型」の高知能者の特徴で、とにかく頭脳明晰で回転が速く思考に無駄が少ないんです、このタイプは。以下に紹介の動画は、、大きさの違う白黒の縦線が「画面の左右どちらの方向に動いているか」を見極めるだけのシンプルなテストです。
Testing Your “Motion Quotient”
コンピューター並のスピード計算処理能力・分析能力を持つジョン・フォン・ノイマンは、計測不能の推定 IQ300で「人間ではない説」すらあった。
IQ250 のウィリアム・ジェイムズ・サイディズも物凄い計算処理能力・記憶力・分析能力を持つ人ですが、とても不幸な人生だったようです。
この二人はもはや「超人」レベルなので、ちょっと現実感がないのですね、ですが私はこの二人は天才というより「ウルトラ級の秀才タイプ」だと感じます。
もっと人間味のある天才が現在 IQ世界一の「マリリン・ボス・サバント」です。彼女は「超人」的雰囲気はありませんが、 IQ228の女性で、
「ハイスピード人間計算機」という感じではなくて、もっと柔らかくて抽象度が高い思考・表現が出来る「とてもバランス能力が高い人」でもあるんですね。⇒ IQ世界一を誇るマリリン・ボス・サバント!IQの高い人間は世界がどのように見えているのか
このような能力・知能の質の違い、バランスの違いは何なのか?それも今回のテーマです。
小脳の役割
「脳と精神-生命の響き」より引用・抜粋
小脳の機能は「古典的な」運動機能の制御だけではない
長い間、小脳はもっぱら運動機能の制御に関わるとして他の機能の発現については看過されてきた嫌いがある が、小脳の自律機能/情動機能への関与は下等な動物からみられる。
すなわち、これらの動物において既に小脳[Haines, 1984] や扁桃体 [ 小野と西条、2002] から視床下部への投射の存在が証明されている。
なお、霊長類、とくにヒトになると、大脳・小脳関連ループの中に、運動系に加えて思考機能系の問題を改めて設定する必要があろう。
引用・参考PDF ⇒ 脳と精神-生命の響き
昇華と条件づけ 「無意識のゆらぎ・リズム感」
達成可能なことを目標にしてはいけない。努力しても達成できるか分からない目標こそ能力を高めるのだ(アインシュタイン)
クソ真面目さんたちの中には「ガッチリ条件づけられた意識から一歩も出れない」、そんな人がいます。それはまさに「オペレント条件付けによる道徳・常識反応マシーン」のような状態とも言えますね。
「オペレント条件付け」に関しては過去記事を参考にどうぞ。⇒ 「条件付け」の科学的検証 強迫性障害(行動主義心理学・行動療法・認知行動療法
真面目・高学歴で記憶力が高く知識量が多く事務処理能力は高いが、それ以上のことは何も出来ず、むしろそうでない一般の普通の人たちの方が人生を豊かに発展させていくことがしばしばあります。
知能や能力が高いのに非常に不器用というか、偏った狭い領域での知能の使い方しか出来ない、という矛盾があるわけですが、
これは人生を豊かに発展させていく一般の普通の人たちの方が秀才より知能が低いのではなく、実は「質の異なる他の種類の知能」を使っているからで、その角度においては秀才の方が一般の普通の人たちよりも知能が低いわけなんですね。
「知恵」は後天的に磨くことが出来ますので、「知恵」においても一般の普通の人たちの方が秀才よりも優れていることがあります。ではこのようなバランスの偏ったタイプの「秀才」と「クリエイティブな人」はどう違うのでしょうか?
「クリエイティブな人」も別の意味でバランスが悪いことはしばしば見受けられますが、「能力の質」が全く異なるんですね。「クリエイティブな人」はしばしば「子供っぽい」ところがあり、先天的な天性の要素として「条件付けを外しやすい解放状態」で、
そういう人は「無意識のゆらぎ・リズム感」が生き生きとしている状態で、それを創造的に表現・能力昇華出来ているために、「条件付け」=「型」に頼らない、依存しないで「自律的な自由状態」で脳を動かすわけです。
ローチェスター大学で行われた研究結果とは正反対で、秀才や一般の人がキャッチしないような抽象的なノイズ情報までキャッチするので、集中力はむしろ散漫で動的で、そのカオス状態の中で、爆発的な集中・昇華が起こり、一般人が思いつかないようなひらめき・発想を得ます。
そして流動性知能が高いので、生真面目に「世の観念プログラムの条件づけ」だけに過剰に同化してパターン反応せずとも、オリジナルの対応が出来るわけです。
「流動性知能」「結晶性知能」に関しては過去記事を参考にどうぞ。⇒ 「知性・知能・思考」と「感性・芸術」 情報・言語・認識の多元性
流動性知能というものは「無意識のゆらぎ・リズム感」によって支えられています。それは未知や不思議さを楽しむような「ワクワク感」、つまり「意識が開いている」状態で、「開放性のある新奇性の探求」であり、
その連続性によって「無意識のゆらぎ・リズム感」が死なず硬直化せずに保たれているんですね。
そういえばスピで「ワクワク感」が流行った時期がありましたね、ですがスピの視点は現実とシッカリ結びついていないので、妙にフワフワした「ワクワク感」のみでホワ~としてるだけなので、それでは単に「子供心」に退行するだけで、不要なオカルト電波をキャッチする以外に何も発展しません。
そして日本型の「詰め込み型の事務処理能力」は、受験・高学歴型の人生コースには最適で、学問・専門家・教授向きの知性、あるいは「早く・正確に・合理的に」が求められる企業の仕事適性へ向けた知能の方向付けではありますが、
このような過程では、本当に好きでその道を選び内発的なモチベーションで取り組む人以外は、むしろ「無意識のゆらぎ・リズム感」が硬直化しやすくなります。
そして社会が「IQ的な合理的知能至上主義」に偏重することで、個の「知・情・意」はアンバランスになり、「心の知能(EQ)」などの「多角的な知能」が伸びなくなります。その結果、社会自体の「知・情・意」もさらにアンバランス・不調和となり「豊かさの質」を失っていきます。
何故、高学歴の理系の人とか、教職関係者や聖職者など、お堅い仕事の人等や、公務員などが、突然「痴漢」やら「変態行為」やら、いわゆる「ホワイトカラーの変質者的犯罪行為」に走ったり、「カルト」やらに突然入ったりするのかといえば、
「外発的動機付けが強く観念的な内部束縛が強いタイプ」ほど、欲求が未昇華のまま抑圧化されているため、不自然な強い欲求・歪んだ欲求を発生させやすく、
ガチガチの「オペレント条件付けによる道徳・常識反応マシーン」に抑圧化された「無意識のゆらぎ・リズム感」を取り戻そうとする開放運動が、過剰化しやすく常軌を逸しやすくなるからです。それを昇華できずに無理に隠している場合、シャドーを強化する状態になりやすいわけですね。
そして何かのキッカケに、開放されずにいたシャドーが、新奇性と結びついて暴走的に対象に向けて解放される、というわけです。これはペルソナとシャドーの分離関係にも当てはまりますし、エスと超自我の関係性・バランスにもあてはまります。
ここで関連外部サイト記事を紹介します。
※ 2017/2 /26 追加更新 – ここから –
「なぜ、地位のある人がリスクの高い犯罪に手を染めるか」より引用抜粋
痴漢行為をするのは男性が圧倒的に多く、女性はほとんどいません。その原因の一つは、男性ホルモンであるテストステロンの働きです。臨床現場では、痴漢の常習者にテストステロンの働きを抑える薬を処方することがあります。
すると、心理療法ではなかなか痴漢が収まらなかった人も、すっと性的欲求が弱まり、痴漢行動が抑制されるということがあります。
(中略)
「魔が差した」というのは、今まで持っていた歪んだ認知に蓋をしていたのが緩んだ、と捉えることもできますが、そうであったとしても女性を軽視したり、ルールを軽視する認知やパーソナリティを、もともと持っていたのです。それがなければ、痴漢行為には及びません。– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
引用元⇒ なぜ、地位のある人がリスクの高い犯罪に手を染めるか
上の記事中にある「女性を軽視したり、ルールを軽視する認知やパーソナリティを、もともと持っていた」、というこの部分、これが抑圧人格の一部です。「魔が差した」というのは抑圧人格(シャドー)が表出化した、とも表現できるんですね。
また男性の性的逸脱に関しては、男性ホルモン「テストステロン」がその生物学的な原動力のひとつですが、地位のある人がリスクの高い犯罪に手を染める場合、「テストステロン」だけが原因ではありません。
ただ上記の記事の終わりの方に、「道徳的な「躾」が出来ていない、シッカリ怒られたことがないから、そうなるんだ」的な結論がありますが、これはやや強引です。
甘やかされた環境や守られ過ぎた環境で子供の自我が肥大化する、というのは確かによくあることですが、怒られ過ぎて育った場合でも抑圧過剰になり、後に人格の歪みになったり爆発・逸脱を起こしたりすることがあり、
道徳的な「躾」による「条件付け」というのは常に正の作用をするとは限りません。度が過ぎていたり、バランスを欠いていれば逆に負の作用をすることもあるんですね。
あまりに生真面目で道徳的な生き方を強制した結果に、一見大人しく良い子であっても、後におかしくなる、そんな子供も多いのです。
また、心理学者の植木先生が「ホンマでっかTV」で語っていたように、この手の地位のある人の一部には、「急に得た特権階級は人のモラルを低下させる」という心理も含まれているでしょう。
これは平たい言葉で言うと「タガが外れる」わけです、今までは抑えていた欲望が一気に噴出する、という、まぁこれはわかりやす現象ですね。
ただ、急に得たわけでもなく元々成功者や地位のある家系であっても、親子代々自己愛性の自我肥大系やサイコパス型であるケースもあります。
また「教師」のケースの場合だと、性犯罪率は一般人の10倍以上ですが、原因のひとつは「若い異性と接する回数、刺激が一般人よりも多い」という特殊な環境、そして「相手より上の立場である」という優越性、
その上で、一般人よりも高い「倫理・理性」と役割人格(ペルソナ)が求められるため、現実自己と理想自己の解離が生じやすいわけです。なのでその不自然の度合いが高い人(内的に不調和な人)ほど、抑圧人格(シャドー)が強化され肥大化しやすいわけです。
そこにストレスや強い刺激が加わることで、タガが外れ一気に噴出するわけですね。つまり急に得たわけでなくても、「権威・権力を持つもの・立場が上である者」は、「それを持たない対象・下の者」に対して、自身の優越性から逸脱・肥大しやすい傾向性・可能性がまず潜在的にあり、
それが表出化するかどうかを決めるキッカケは、置かれている環境やストレス、そして「個々の内的な調和・不調和の状態」、これらの複合的な組み合わせにあるわけですね。 追加更新 – ここまで –
脳科学的には「無意識のゆらぎ・リズム感」は脊髄・脳幹に関連し、「エス」にも関連しており、これに小脳を加えたものが「知・情・意」の「意」に該当し、大脳辺縁系が「シャドー、自我(自然自我)、感性・自然感情」に関連し、「知・情・意」の「情」に該当し、
大脳新皮質・大脳皮質連合野が「知・情・意」の「知」に該当し、そして「メタ認知、理性、超自我、精神、ペルソナ、社会的自我」などにも関連する「心の高次機能」の領域です。ではここまでの内容に関連する二つの記事を以下に続けて紹介しますね。
「知能指数と賢さは比例するか」 より引用抜粋
「高い知能指数は天の恵みか、あるいは苦しみの原因か。」
IQが賢さと同じであるかどうかを調べる研究が、1世紀前に既に始まっている。アメリカではまだジャズが華やかな頃で、第一次世界大戦で召集された兵士に新しく登場したIQテストが実施された。
1926年には心理学者のルーイス・ターマンが、IQをもとに、ずば抜けた才能の子供をを発掘し、そのIQと知恵の関係を研究している。
彼はカリフォルニア州の全ての学校から、1,500人のIQ140以上の児童を選抜し、この人たちのその後の生活を調べた。この研究は今日に至るまで続けられている。
選抜された児童の中にはIQが170を突破している人が80人もいる。期待通り、この人たちの多くは富と有名を勝ち得た。その中の一人に、1950年代にヒットしたテレビドラマの” I Love Lucy”を書いたジェス・オッペンハイマーがいる。
彼を含む高IQグループの人たちの平均サラリーは、普通ホワイトカラーの2倍であった。しかし警察官とか、船乗り、タイピストになった人もかなりいたのも驚く。この理由から、ターマンは知能指数と物事の達成とは必ずしも一致していないと結論した。
ましてや、幸せを保証するものでもなかった。彼等の離婚、アル中、自殺のどれを取っても国民の平均値と変わりなかったからでもある。高い知能は、必ずしも人生を満足をさせるものでもないし、悪くすると不満に満ちて終わってしまう可能性がある。
全て高い知能を持つ人が苦しむとは言わないが、何故高い知能が長い人生で見ると必ずしも貢献しないのだろうか。
(中略)心の盲点
高い知能は必ずしも分別ある判断を意味する物ではなく、むしろつまらない判断をしてしまうことがある。トロント大学のケイス・スタノビッチは、過去10年間、合理性を如何に判断するかの作業をしている。その作業の過程で、公平で偏見に基づかない判断は、必ずしも知能指数とは関係がないことを発見している。自分が集めた情報を良しとする傾向は誰にでもあるが、賢いやり方は、自分の集めた情報はひとまず脇にやり、広く意見を聞くことであろう。
しかし、知能の高い人たちは、自分の情報に固執しているのをスタノビッチは発見している。認識テストでずば抜けた成績を残す人たちは、自分の意見に固執するあまり、思考の盲点を持つ場合が多かった。結果的に、他人の欠点はよく指摘しても、自分の欠点に盲目になった。
(中略)
幸いにも知恵は不動のものではない。「知恵は鍛えられるものだ。問題を考えるときに、自分を第三者に置き換えて考えると良いかも知れない。問題に対して一 定の距離を保ち、偏見を避けて、より建設的対話が可能になる」とグロスマンは言う。この点に関しては更に研究が必要であるが、同じような結論が引き出されるであろう。我々は自分の弱点を認めたくない。特に自分が輝かしい成功を収めていたら、なおさら事実を認めるのは難しい。
– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
引用元⇒ 知能指数と賢さは比例するか
◇ 心の知能指数
1989年に米国イェール大学のピーター・サロベイ博士とニューハンプシャー大学のジョン・メイヤー博士によって、初めて論文で発表された理論で、自分の感情(Emotion)を上手にコントロールする能力のこと。
「心の知能指数が高い人がやらない9つの習慣」より引用抜粋
心の知能指数(EQ)テストを実施するタレントスマートが行った100万人以上を対象とした調査では、穏やかさ、満足、冷静さを保つためにEQが高い人たちが避けている9つの習慣が浮き彫りになっている。
1. 他人と比較して満足感を得る、人目を気にする。
EQの高い人たちは自分で成し遂げたことから満足を得るときに他人の意見や実績などに目もくれない。
2. 他人の行為に縛られがんじがらめになる
EQの高い人たちはすぐに人を許す。だからといって忘れているわけではない。許すことができるのは、次に進むために嫌な出来事を手放しているだけで、酷いことをさせる機会を与えているわけではないのだ。
3. 感情に流され負け戦をする。
EQの高い人たちは、生き延びていつの日か再度挑戦する大切さをよく解っている。奮闘の最中で熱くなりすぎると墓穴を掘り、立ち直れないほどのダメージを受けることもある。
4. 常に完璧を目指す
完璧なゴールなどどこにも存在しない。だからEQの高い人たちは、完璧な目標を設定することはない。
5. 過去にとらわれる
EQの高い人たちは、成功とは失敗を積み重ねた先に掴むものであることを知っている。だから過去に生きて、かつての失敗をいつまでも悔やみ続ける暇なんて彼らにはないのだ。
6. 目の前の問題にばかり気をとられる
目の前の問題にばかり意識を向ければ、気分は沈み、ストレスが溜まるうえ、実力も発揮できなくなる。そうではなく自分自身や状況を改善する行動自体に意識を向けるのだ。
7. 後ろ向きな人たちと多く関わる
愚痴ばかり言う人たちがあなたに運んでくるのは悪いニュースだけだ。彼らは問題の中で苦しみ、その解決に目を向けようとはしないのだ。それどころか、同情してもらうことで気分を慰めようとしている。
いい人に見られたくて彼らの話を耳を傾ける人たちもいるが、同情と一緒になって落ち込むのは違う。その分別をしっかりつけ、引きずり込まれないようにしなければならない。
8. 根に持つ
何かを根に持つと、思い出しただけでも腹が立ち、それ自体がストレスとなる。それが目の前に差し迫ったことならば何らかの対処が必要になるだろうが、はるか昔のことならば、そんなストレスを抱えていても健康に悪いだけだ。
9. 望んでいないことにもイエスと言ってしまう。
カリフォルニア大学の研究では、「ノー」と言い出せない人は、より多くのストレスを抱え、うつを患うことすらあるそうだ。多くの人にとって、何かを断るというのはかなり難しいことである。 だが「ノー」と断ることを恐れないほうがいい。
– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
引用元⇒ 心の知能指数が高い人がやらない9つの習慣