「心の筋トレ」マインドフルネスの活用 パワハラと自己実現の多元性
今回は「禅・瞑想・マインドフルネス」のカテゴリー記事の更新で、主にパワハラをテーマにしたマインドフルネスの活用に関する補足と、「自己実現」に関する補足記事も少し書いています。
他に筋トレや身体能力をテーマに選んだ動画も幾つか紹介しています。
私は武道をやっていたので(現在も基本稽古だけはやっています。)、昔から格闘技は好きな方でよく観ています。最近だと井上尚弥さんが特に好きですね。
俊敏な野生動物の身体の動きの素晴らしい自然美に感動するように、トップアスリートの身体とその動きには芸術的な美を感じます、職人の匠の技も同じようにとても美しいと感じます。
「心の筋トレ」マインドフルネスの活用
筋トレをやっていると自分の体の弱い部分・固い部分、いろんな気づきがあって面白いです。ですが負荷がかからない状態で無意識のままに体を使っているだけだと、そういうことには気づけませんよね。
これまでの使い方とは異なる使い方をする、負荷をかけたり変化を加えるから身体の感覚が相対化されて気づくんです。筋トレだけでなくエクササイズ全般がそういうものですが、
例えば以前紹介した「足指体操」みたいなちょっとしたものでもそうですが、普段使わない部分がどうなっているかは実際に動かしてみないとわからないわけです。
そして実際に使ってみたら全く思うように動かせない、物凄く固まっていたり、力が入らなかったり、そういうことに気づくわけですね。実際に動きながら感覚・感性そのものを深化させていくわけです。
マインドフルネスやその他のエクササイズも実際にやってみて、やりながら段々と感覚・感性で気づくことがあるわけです。マインドフルネスは、特に初めの段階は「心の筋トレ」という風に表現することも出来ますね。
通常の脳の使い方とは異なる条件付けを行うことで脱中心化してループを外していく、という風にもいえるからです。
また実際にマインドフルネスは脳の活動の変化(前頭葉の活動)だけでなく、構造の一部(例えば海馬や扁桃体)などが変化することが確認されたという報告もあるように、物理的に変化を引き起こす作用があるわけです。
関連過去記事 ⇒ 幸福感と痛み マインドレスネス・マインドワンダリングと創造の陰陽
「条件づけ」の多元性をみるならば、生物学的に条件づけられていない人など存在せず、様々な行動・反応と同じように、条件反応は脳の神経細胞が外部の刺激に反応して生じる現象です。
野生動物と違って、社会的な生き物である人間には、多元的な意味での条件づけは日常・社会生活をおくる上で必要であり、当然、瞑想熟練者にもいくらでも「条件付けられたもの」は確認できます。
(一般的な)マインドフルネスによって心を落ち着けるとか、脱中心化するとはいっても、それは「何もない空っぽ」になるとか「無反応」になるわけでもなく、
あくまでも「特定のネガティブ反応のループ化した条件付けを外す」という意味です。だから熟練した瞑想者の脳を実際に調べた時、通常とは別の形に活発に活動していることが確認されるわけですね。
つまり実際は静的な状態でもなく消去された無の停止状態でもなく、逆にとても動的な状態で豊かな運動性が存在するのです。
なので初心者の方は「型」として行うことが必要です。その結果、ネガティブな情動に捉われずコントロール出来るようになる、というのは、ネガティブな反応が自動化している今までの無意識な脳の使い方が、意識化されて変化してくるからですが、
「型」を繰り返しているとそれは無意識に自然に出来るようになってくるので、そこまで来たら型に捉われずに「形なきマインドフルネス」へと進んでいけばいいでしょう。
ストレス耐性は自然と高まり、他者と比較してより豊かな人生だとかそうでないとか、そういう「自我の喜びと苦痛」の相対的感覚の波に捉われ続けるのではなく、「今ここに在る」ことそれ自体の「存在の幸せ」が増していきます。
武道やヨガ・気功なども「呼吸」「身体感覚」に意識を向けるので、マインドフルネスと併用しながら行うことは出来ますし、慣れてくると自然にそうなります。
「無形化」が進むと何をやっていてもそれが共にありますが、エクササイズ以外では特に「登山」はいいですね、これは「スポーツやアスリート的な競技感覚で挑戦的・冒険的に登頂を目指す登山」ではなく、
ただゆっくりと感覚を研ぎ澄まして大自然と感応しながら行う登山は、形なきマインドフルネスとしての広がり深さが素晴らしいんですね。
変性意識に入っておかしくなるタイプや、低次の防衛機制が優位になっている脳の状態の人の場合、マインドフルネス瞑想と認知行動療法を取り入れて行うことは、「拮抗条件付け」+「バイアスの修正」になるのでとても有効です。
この二つが有効に作用する領域はパーソナリティ障害をはじめ、鬱や不安障害や依存症などとても広いんですね。以下に「条件付け」「認知行動療法」に関する過去記事をひとつ、そしてわかりやすくまとめてあるPDFをひとつ紹介しておきますね。
〇 「条件付け」の科学的検証 強迫性障害(行動主義心理学・行動療法・認知行動療法)
少し前に「あんな男の代議士いっぱいいる」と自民・河村建夫元官房長官が発言して叩かれてましたが、いやいや、団塊ジュニア世代までは「あんなパワハラ全国的にいっぱいあった」と言ってもいいくらいです。
あと、あの手のお母さん、たまにいますよね、キレると猛烈な勢いで罵詈雑言をいいまくるヒステリックなお母さん。これはAC(アダルトチルドレン)や愛着障害の問題としてもよくあるパターンですね。
怒り・攻撃が過剰なタイプには、爆発的で猛烈なタイプとネチネチ系のタイプがありますが、外から見た印象は大きく違っても破壊力はどちらも高いです。
以下に紹介の外部サイト「本当の自分 〜脱・AC〜」さんの記事内容はとてもよくわかります。
〇「このハゲー!」「ちがうだろー!」豊田真由子議員うちの母にクリソツ事件
以前は「いっぱいあった」といっても全てがそうではないのはもちろんですが、私自身及び私の知る人々の範囲でも、過去にあの程度の経験はひとつやふたつではなく複数ありますね。(あれよりきつい経験も沢山あります。)
男の場合、弱肉強食的な分野の勝ち負けの世界では、昔の方がストレートに暴力的できつかった部分はあります。しかもそういうのが社会的にも今よりずっと肯定されていたんです。
パワハラする方よりされる方が悪いっていうのがデフォルトでした。なのであの女性議員のパワハラは私のパワハラ検定では「茶帯」くらいで、まだまだ黒帯級の破壊力は持っていません。
表に全く出てない過去の日本社会のパワハラってもっと怖いし暴力的ですね、あんなもんじゃないです。
誰にも悟らせずに自殺に追い込まれます。権力を持ち知能も高く隙も無いのでまずつかまりません。これぞキングオブパワハラです。この場合「逃げるは恥だが役に立つ」を思い出して全力で逃げるが勝ちですね、
まぁ仮に相手を追い詰めても結果は「よくて共倒れ」ってとこでしょう。ただあの女性議員の過剰であることには変わりません。人としての基本的な愛情・思いやりを感じないし、何の建設的なものも生まない不毛さが特徴的で、あの手のパワハラはレベルは強弱あっても病的なものです。
パワハラにも個性や質の違いはありますが、まぁ「受け」が出来ない場合はモロにショックしかないので、相手の言動の裏まで見抜く余裕はないでしょうけど、
パワハラ的に見える言動の中にも、悪質なものと病的なものとそうでもないものがあるわけです。私はパワハラを受けているときも自身及び相手を観察してその後様々な角度から分析しているんですね(笑)、
ここで「格闘的な強さ」「体の強さ」もある種のチキンタイプには有効なので、まぁ武道&筋トレも悪くはありません(笑)
ですが多くの場合、能力も資格もない下の立場の1個人が、身体エネルギーや気迫だけで威圧して突破できるほど人間社会は単純ではないので、そうなると「受け」と「さばき」をシッカリすることが有効になってきますが、
「受け」はバウンダリー(自他境界)の強化で、これはアドラー心理学が有効です。また「さばき」はマインドフルネスが有効です。これによってブレにくい軸としなやかさの質が生じます。
ただ、アドラー心理学は誤解されやすい部分も見受けられ、またどのようなタイプの人にも合うかというとそうのではないので、「アドラーが合うと感じる方」は参考にしてみるくらいで良いと思います。
そして自他境界が弱く過剰適応になっている生真面目タイプは、いうならばノーガードでモロに打撃を受け続けているサンドバック状態なので、これではKOされるでしょう。まさにこういう方にアドラーは最適だと感じます。
またバウンダリー強化のみで受けはある程度できて致命傷は免れても、疲労・ダメージを蓄積し続けるとやがてボディーブローのように内部から効いてくる感じで、酷くなるとフラッシュバックがわき起こってきます、
なので「受け」の強化で耐性を強めつつ、「さばき」で内部にダメージや疲労からの否定ループが生じないよう「脱中心化」して外すわけですね。
そしてマインドフルネスは実はパワハラ側にも有効で、パワハラ側もこれを行うことで過剰なストレスを蓄積せず、また怒りなどの情動制御ももっと出来るようになってくるので、
過負荷がかかりやすい状況下にある上司も、マインドフルネスをちょっとだけ実践する習慣を身に着けておくと良いと思います。以下は精神科医の奥田弘美さんによるマインドフルネス関連記事です。
〇「クラッシャー上司」にならないために… 心を育てる瞑想法を
パワハラ側の人たちもそうなった過程があって、ストレスでそうしていることが感じられることがよくありました。(全てがそうではなく異なるタイプもいますが)
そして「あの人もきっときつかったんやな、態度には見せなかったけど本人もそんな風にしかできない自身への自己嫌悪も心のどこかにあったと思う」と感じ、
そう思うのは、相手をよく見ていればパワハラにも質の違い、個別性があり、以前はもっと笑顔が自然で表情も柔らかかった人が、置かれている環境へ負の適応をし続けた結果でそうなっている場合もあり、
パワハラをしている人自身もまた精神的に追い込まれた結果にそうなっている、ということも結構あるんですね。なのでその人がそれに気づき、心の余裕を取り戻せば元に戻る、ということもあるんです。
とはいえこういう現象を根本から変えるには、もっと上から元からはじめる必要があって、そしてシステム自体をもっと人が働きやすいように変えて更新していかないと、根本的には負の連鎖、ストレスの連鎖はなくならないでしょう。
◇ 関連過去記事
〇 パワハラと同調圧力の心理 一般人のネガティブな闘争原理と支配欲求
「物事にはねえ!裏と表があんの!! 入口と出口があんの!」って事前に説明があり、同時に「裏なんだよ!!こっちは、お前はよお!」と、女性議員は叫んでいましたが、
相手の役割が裏というだけなく、今の自分の姿もまた裏=シャドー(抑圧されている裏の人格)であることへの自覚もありつつ「オラオラオラ~」と、これは怒りの段取り的にはわかりやすく、
なんかジョジョの悪役的な攻撃の仕方で、ミュージカル風な口調には思わず笑ったし、赤ちゃん語とかを混ぜ
たりと、なかなかの多彩さを感じます。
「お前はどれだけあたしの心を叩いてる!」「金にならないぴょーん」とか、なんか斬新ですらありますね、アレ?なんかちょっと表現が面白いなぁと(笑)、この人本来は創造性高い人なんじゃないか?とすら感じます。
とはいえパワハラ側のやってる支配と正当化は最初から見え見えなんで、それは一切受け入れませんが、同時にストレスで退行し低次の防衛機制でわめいてる姿には哀れさを感じます。
とにかく「キチンとした治療と休養が必要」と思うわけです。
「怪物」にも個性はあり過程があり、彼女の場合はああなる前の過程で心・精神のバランスを失わずに創造昇華が出来ていれば、意外に大成功したタイプかもしれません。人々から愛される怪物キャラになれた可能性もあります。
ですが、特定の能力は凄く高いんだけど、元々いろんな意味でアンバランスな状態のまま突き進んで権力を手に入れようと無理し過ぎ、ストレスでバランスがさらに壊れちゃったパターンで、
自己分離の状態が既にずっと以前から慢性化していた人が、どんどん分離肥大化して負の要素が露見、という「分離肥大型の成功者」によくある流れですね。
「間欠性爆発性障害」と言ってる方もいますが、その怒りのベースに「自己愛憤怒」がある、という可能性は高いといえるでしょう。
パワハラとか過負荷がかかる状況での対応も必要ですし、現代社会はある意味「情報戦国時代」のような「乱世」ともいえる一面もあるので、「柔軟で折れない精神」とモチベーションが必要な場合もありますが、
過剰に格闘的なマインドで生きる必要はない、と思います。まぁ「勝つか負けるかで全てが決まる世界」で生きている人には格闘的なマインドが必要で大事でしょうし、
また業界によって状況によっては「迫力、マッチョな根性、タフさ」が役に立つ、重要であることも一部確かにあるでしょう。そしてたまに成功者の方で格闘家マインドでマッチョな成功哲学を語る人もいますが、
荒々しい闘争性とか「邪魔する奴はぶっ飛ばす系」のマインドなんて一切なくても、普通に成功している方々も身近に沢山います、というか、年上、年下、男女に関わらずそういう人の方が圧倒的に多いんですね。
「人との繋がりや信頼関係をしっかり持てる人」は、今も昔も関係なく仕事や人間関係を含め発展的に生きることは全然可能なんですが、そこがズレていたり不十分だと関係性を生かすことができない、
だから社会で調和的に自己実現するのが難しくなるわけです。
ですが「欲も闘争心も基本的に強いタイプ」の場合、足るを知ることができないから、「力」で強引に目標を達成しようとして周囲を「敵化」して押しのけ、そうやって「分離肥大型の成功者」を目指すわけですね。
「ズレている人」の中でも脱線が酷い場合は、カルトや犯罪者タイプになったりすることもありますが、「分離肥大型の自我運動」の成功と失敗の集積の結果が、現代の機能不全社会を生み出した力学のひとつでもあるわけです。
「生み出すもの」と「生み出されるもの」の関係はとても皮肉なパラドックスですね。
「人を圧倒し強気で押して蹴落とさなければ自分の居場所は作れない」とか、「殺す気でないとやられる」というような状況・環境もないわけではないのですが、
そういう戦闘的な在り方がメインな精神状態である時、本当は多くの可能性を見失ってもいるのです。
要はそれぞれの気質・体質・性格や能力などに合った場で、自身の生き方で伸びていけばいいだけで、方法・取り組み方・考え方を均一化する必要はないなぁと私は思います。
「皆がこういうマインドを持たなきゃこの時代は乗り越えられない、成功できない」というような硬直した決めつけた考え方ではなく、
質的に異なるアプローチや気持ちで生きている人や気質・性格の異なる人たちが、それぞれに多様でありつつ調和して取り組むことで全体性として相互補完的になるんです。
HSP系とか、気さくな人に救われている人も沢山います。のんびりした人やおおらかさに救われる人も沢山います。みなが豪胆・豪快で我が道を突き進む武将みたいになる必要なんてないわけで、
それがあなたの自然さならそうすればいいだけですし、また職種や役割人格によってもその適性や相性には多元性があります。
自然に気を使う、気を回す人、内向的な人、創造性が豊かな人それぞれが能力であったり気質や個性・特性なんで、持って生まれた気質・性質そのものを否定する必要はないでしょう。
「質の全く異なるもの」を、一つの物差しだけで二分法で一方を全肯定・他方を全否定するだけしかしないことは不毛です。
その人の特質を生かして成長していけばいいのです、それが誰かにとっては相性が悪くても他の誰かにとっては相性は良く自然に役にも立っているし、誰かに必要とされていなくても別の誰かには必要とされているのです。
だから「私は私であなたはあなたで全然問題ない」わけです。ただ不自然に無理をし過ぎているような状態はその人の本来の姿ではないので、結局いつかはバランスを保てなくなって上手くいかなくなるか、問題・トラブルが出てきたり心身を壊したりします、
そういう在り方は修正した方がいいでしょう、ということですね。またカルトや凶悪犯罪のような大きな逸脱とか、過負荷がかかる状況にある人は個々に対応・対策が必要です。
ではラストに関連過去記事と動画を続けて紹介し記事の終わりとします。
〇 HSPとエンパス 気質と性格タイプの遺伝と環境とレジリエンス
〇 幸せと苦しみの心理学 東洋的な感性 瞑想と心理学アプローチ
〇 脳科学と人間性心理学 本能・欲求と自己実現の多元性