感性とクリエイティブ  赤子はみな「天才の卵」  

 

暑い日が続いていますね。今日は強迫性のテーマの続きでは

なく、一旦お休みし、「歌・旋律の癒し」のカテゴリー記事

の更新で、涼しげな美しい曲も幾つか紹介しています。

 

感性とクリエイティブ」のテーマに関連する補足記事と、

幾つかの音楽動画・PDFなどを紹介するのと、

 

記事後半では「瞑想」に関する無意識領域のリアルというも

のをテーマに記事を書いています。後、ラストに詩も二つ紹

介しています。

 

まず最初に紹介する二つの動画は庄司 紗矢香さんの動画です。

 

庄司 紗矢香1983年1月生まれで東京都出身。)は、日本の

女性ヴァイオリニストで、

 

14歳でリピンスキ・ヴィエニヤフスキ国際コンクール・ジュ

ニア(17歳未満)部門で日本人として初めて優勝し、

 

パガニーニ国際ヴァイオリン・コンクールでは史上最年少で

優勝(日本人としても初)の天才系ヴァイオリニストです。

 

以下に紹介の動画では、まだあどけない感じの彼女が語る

楽観が凄く深いなぁと思いつつ、音楽というものへの感覚に

自然に共感できるものがあって、うれしかったです。

 

庄司 紗矢香さんはこう言います、

音楽ってわたしにとって一番自由に使える言語だから、

コトバで言うと凄く限定されて、なんて説明しても説明でき

ない感情とか情景とか...」

 

Shoji Sayaka on TV 2/2 (2007.8.12)

 

庄司 紗矢香さんにとって「一番自由に使える言語」である

音楽、そのバイオリンの音色・コトバを聴いた瞬間、

 

強力にビビっときて、久々に凄い芯まで響いた~、という

感覚を記憶しています。

 

Shoji Sayaka Plays Bach : Sonata for Solo Violin No.1 “Adagio”

 

以下に紹介の音楽療法の専門PDFでは、子供の心身機能の発

と、音楽・音の認知、「音楽鑑賞」と「音楽演奏」での脳

の活動などをわかりやすくまとめていますので参考にどうぞ。

 参考PDF ⇒ 脳・身体・音楽

 

 

赤子はみな「天才の卵」

 

赤子はみな「天才の卵」というのは本質的な意味では事実で

しょうね。CQのベースの「無意識のゆらぎ・リズム」の生命

力の強力さ、まさにその塊が赤子の状態だからです。

 

そしてその能力の発育が疎外されず、適切な環境さえ与えら

れれば、その先天的な気質が多様な発達をしながら表現・創

造昇華されていくのです。

 

私は性善説でも性悪説でもありません。赤子は可能性の塊そ

のものなんですね。善にもなれば悪にもなる「可能性の幅が

大きい生き物」がヒトだと考えます。

 

先天的な個体の気質差による違いはありますが、子供期の自

我発達に問題がなく不適切な環境、あるいは「不適切な条件

づけ・動機づけ」などがなければ、

 

基本的にヒトは「善性優位の生き物」だとも考えています。

 

天才は何に関心を持ち好きに夢中になるかの方向性と、「

れが形になるまでひたすら続けられる状態・状況にあること

それだけで十分なのですが、

 

その多くは条件づけ・動機づけによって「一般化」されてい

くことで、純粋天才性=創造性を徐々に失っているわけです。

 

ヒトはみんなが全く同じ成長ペースで発達するわけではなく、

感性や能力の質にも多様性があるのにもかかわらず、

 

ヒトは「周囲と変わらないよく似たもの」として同じよう

成長していくべきである、と過剰に均一化されてしまうこ

とで、

 

それがヒトによっては非常に不適切な「働きかけ・作用・干

渉」を受け続けるマイナス作用にしかならない場合もありま

す。

 

そうすることで社会適性の高い人格へと矯正・方向づけされ

ている、というヒトの社会化の過程での必要性の一面も確か

にあるわけですが、

 

そのことによって良い面を失ってしまう、あるいはさらに悪

い病的な方向性へと向かわせてしまう原動力にもなる、とい

う場合もあるわけですね。

 

「天才性」は邪気にそれぞれの独自の関心と興味の中で創

造的に徹底追及します。そこには型にはまらない躍動感と創

造性が生きているんです。

 

だから「天才性」が具体的な「形」に結びつく前の初期状態

というのは、むしろ外部からの均一な分析では「測れない」

ことが多く、均一な分析を超えたパワーと豊かさを持ちます。

 

その「可能性」がたまたま人生初期に発見され「社会的な表

現型」に結びついた運の良い人が「目に見える形」として天

才化しているだけであり、

 

その背後では多くの創造性は昇華・還元されることなく失わ

れている状態・傾向でしょう。それは本人にとっても社会に

とっても、本来とても残念な事でしょう。

 

創造性は初期状態では「多様性に富む無形の活動」であり、

 

それが能力とみなされるか障害とみなされるか、あるいはた

だの社会的不適応行動とみなされるか創造性の現れとみなさ

れるか、健康な心とみなされるか異常な性格気質とされるか

 

その理解力や見落とし方によっても、その後の人生は全く変

わる可能性があるでしょう。

 

もちろん今回は、先天的に極端な異常性を有している場合な

ど、明らかな精神病理が現れているケースは含んでいません

が、

 

そのケースの場合でも「見落とされること」でその後の人生

は全く変わる可能性がある、という意味では同じでしょうね。

 

 

ではここで、ジャズギターの達人「笹島明夫」さんの紹介で

すが、この方の「無料ジャズギター講座」はわかりやすくて

面白いです。

 

笹島明夫無料ジャズギター講座 基礎は誰でも覚えられる

 

この先生は面白いだけでなく、楽器やジャンルが異なっても

共通する、「何かを習得する際の一番大事な本質」をわかり

やすくシンプルに伝えていると感じます。

 

笹島明夫の無料ジャズギター講座 ジャズのアドリブって?

 

シンプルにクリエイティブの始まりは「楽しむ心

やっぱりこれが「最初」で「最後」であるかもしれませんね。

 

もうひとつのリアル 心の全体性と
無意識の世界

 

ここから先は「瞑想」のカテゴリー記事とも関係しますが、

「リアル・存在・現象」の見つめ方、捉え方の質の違いによ

って見落とされるものがあり、

 

その「見落とし」が気づかれないままである時、世界の見え

方は全く異なる分離的な姿にもなるんですね。

 

 

科学的心理学・脳科学分離的・還元主義的な眼差しは、

逆に自分自身にも相手自身にも出逢えないこと、そして「心

・精神そのもの」と出逢わないことがしばしばあります。

 

思考と同化した哲学眼差しでは、逆に「生そのもの」と出

逢えず、そして「そのまま触れる」ことが出来ないことがし

ばしばあります。

 

観念・イメージに同化した宗教眼差しでは、逆に「真理・

愛そのもの」と出逢えず、そして「そのまま知る」ことが出

来ないままであることがしばしばあります。

 

同じく、思想・何々主義への囚われは、逆に「善・正しさそ

のもの」と出逢えず そして「ただそう在る」ことが出来な

いことがしばしばあります。

 

でも無垢な子供の眼差し囚われのない心や、動物たちの心

が「人間・生・真理・愛・善・正しさ」に簡単に出逢い、

れ、知り、ただ「そう在る」ことはしばしばあります。

 

では動画のラストですが、以前に紹介したことのある癒しの

女性ハープ奏者「Viviane Nüscheler」さんの涼風のよう

な優しく爽やかな演奏です。

 

Firestone – Kygo (Harp Cover)

 

 

今回の記事の最後になりますが、以下に紹介の私が過去に書

いた二つの詩も「瞑想」のカテゴリーに入る詩で、目に映る

見える現実的な姿ではなく、

 

心の無意識領域に感応した時のリアルを表現したものです。

 

ico05-005 心が動く時

悲しい時 怒った時 うれしい時に 泣くこともあるだろう

でも  美しいものを見た、感じた時に泣く心があるだろう

 

それは無意識を振動させ 最も深い心の奥からこみあげてく

る感動

 

コトバや形や観念や教えや思想や主義ではなく   ただ美

しいもの その姿そのままを見て感動する時   心はそれだ

けで 自然に美しいものへと導かれる

 

美しさの生命力 それは形や模倣では生み出せない そして

プロパガンダや印象操作やイデオロギーや学術概念の中にも

宿らない

 

暖かさには暖かさのリズムと振動がある 情熱にも優しさに

も同じように異なるリズムと振動がある 心はそれ自体を感

じるだけで 愛されている 愛していることに気づく力を持

っている

 

その豊かで多彩な無意識の振動とリズムを そのまま見て聴

いて感じていれば   その時 「私」が「知ろうとする」

ための 不毛な追及も分析も何もいらない

 

言葉によらず 知識・理論によらずに  無意識は心を知る

そして「私」は「何も知らない」 ということも同時に知る

 

だから心は 神や理念によらずとも「自然に導かれる力」を

持っている

 

そしてその時 「私・あなた」のありのままは 初めて「私・

あなた」のありのままの瞬間々々の姿に出遭うだろう

 

 

ico05-005正義の大行進

自身が酷い目に合った 何かを失った 傷ついた そんな時

悲しむこともあるだろう

 

鬼の姿の人々が一方的に存在の心を破壊している姿を見た時

にも 悲しむ心がある

 

自身ひとりの純粋な本能的欲望だけのために 人の心を失っ

た鬼やケダモノになる人は少ない

 

でも 正しさという観念と理性の元に 心を失った鬼の心に

なる人は遥かに多い

 

自らの鬼の姿に気づかないその姿は 自らを鬼だと知ってい

る悪人よりも 限度もなく限界もない「無意識の悪」のまま

正義の大行進を続ける

 

そして自らの怒りに我を忘れ  鬼やケダモノとは違うやり

方で 何かを無慈悲に踏み潰し殺し続ける姿に気づかない

 

そして踏み潰されて死ななかった一部の者の心・精神が 人

の心を失った鬼やケダモノになっていくことにも気づかない

 

破壊的なものを「生み出すもの」は「生み出されたもの」よ

りも無意識で破壊的であることに気づかないまま正義の大行

進を続ける

 

その者達の無意識の振動とリズムは 鬼やケダモノたちとは

異なる「無限の悪と破壊」の冷たい音質に満ちている

 

そして「自らの悪を理解したくない者」ほど 外部に明確に

対象化された「見える悪」を正義の名の元に憎み呪い続ける

ことで「自らは善・正義の側に在る」という思いを強化する

 

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