マインドワンダリングとDMNの応用  心の理論の問題点とヒトの心の全体性

 

今回の記事は「認知科学」「禅・瞑想・マインドフルネス」のカテゴリー記事の更新です。

 

宇宙に存在する星の数

米航空宇宙局(NASA)によれば、観測可能な宇宙の範囲内にある銀河の数は2兆個と発表した。(2017/2 時点の最新情報)

 

銀河系には平均2000億個の恒星があるといわれ、惑星 衛星を加えるとさらにその数百倍の数の星があると考えられています。宇宙の星の数 ≒「2000億×2兆×数百」ということになりますね。

 

宇宙に比べて遥かにミクロなサイズの人間ですが、人の脳神経細胞は1000億個以上で、「ひとつの神経細胞に平均数万のシナプス」があるといわれています、

 

つまりミクロなサイズながらそのネットワークの数は途方もない数なんですね。まさに「内的な自然界・内界の宇宙」とも言える神秘さです。⇒ 脳は神経細胞の巨大なネットワークである

 

 

DMN(デフォルト・モード・ネットワーク)

 

DMNに関する参考として以下のPDFを紹介します。参考pDF⇒ デフォルトモードネットワーク(DMN)から脳をみる

 

DMN(デフォルト・モード・ネットワーク)タスク(仕事・プセス)からは独立した活動で、例えば「ぼーっとする」ことや安静時の「内観」などはDMNを活発にさせることであり、またDMNは思考の「内と外」の切り替え(オンとオフ)で言えば「オフ」の方の機能で、

 

そしてDMNが活性化していると、「物理的に外側・周囲の現実世界で起こっていること」よりも、内側(自分自身)の方に意識が向けられている、ということになります。

 

 

マインドワンダリング

 

ぼーっとする」ことは何もしていないように見えて、実は通常の20倍の活動をしている、という研究結果もあります。浮かび上がる脳の陰の活動M. E. レイクル(ワシントン大学)

 

認知科学で「マインドワンダリング」と言われるこの状態は、「自己認識」「記憶」「情報の統合」に関係し、「創造性」とも関係することが、科学によっても徐々に明らかになってきていますが、東洋的感性においては、もうずっと昔に良く知られていたものです。

 

「見に見える有用性」や「物質的で実利的な明確なもの」が優先される西欧化した近代合理主義社会において、「何もない・見えないもの・抽象的なもの」というのは「無用・無駄・無価値・無意味」とされることもよくありますが、

 

この「意識が自由にさまよう内的運動」は、創造性の発現への「ふ化期間」であり、ひらめき・創造性へ繋がる過程なんですね。注意散漫? 創造的? さまよう思考が果たす役割

 

またこのような自己実現的な方向性は、無意識の豊かな活動の活性化から表出される潜在能力・才能の発現なので、「内 ⇒ 外へ向かう方向性」で、

 

「認知的」な段階・意味において「マインドワンダリング」は、無意識から生じた創造性の「起動点としての出口」という風にも表現出来ますが、

 

無意識の運動へ気づきの深化」は「外 ⇒ 内への方向性」であり 、この場合、「マインドワンダリング」は「作用点としての入口」という風にも表現出来ますね。

 

「マインドワンダリング」がどのような意味や目的に使われるか、またその質に関しても、志向性の質によって異なるわけです。そして「ぼーっとする」ことだけでなく「睡眠」もとても深い意味がある生理的プロセスということです。

 

極シンプルな日常的なこと・ごく当たり前の自然な生物学的活動、が本当はとても深い意味のあるものなんです。なので「特殊なこと」よりも「ごく当たり前のこと」を大事にすることが基本です。

 

そうやって日々、「脳神経細胞同士のネットワーク活動」、そして「人体システムという内的な自然界・宇宙」が適切に調和的に活動してくれるように、環境を整えてあげる、

 

通常の場合それだけでいいんですね。そうすれば無意識が内的な自然界のバランス調整・回復を自律的に勝手にやってくれます。関連するシンプルな過去記事を紹介しておきます。

 

 「何もしない」「何もない」中に詩は生きている
  無意識の浄化と調和の回復   睡眠の役割と瞑想・気功・ヨガの役立て方

 

そして通常は、目的・目標性を持っている時の能動性(志向性)思考運動と同化し外的世界へ注意を向けている状態では、DMN非活性化し、「行動」に関連付けられるTPNタスク・ポジティブ・ネットワー)が活性化されます。(課題の要求によっては例外もあり。)

 

そしてDMN(デフォルト・モード・ネットワーク)は内的思考とも関連付けられるため、「内省」や「自己言及的な働き」にもなるものであり、

 

そのためこのネットワークの機能異常・バランス異常、例えばDMNの過剰な活性化はうつ病の「反芻思考」とも関連付けられ、

 

そしてDMNの非活性化の失敗自閉症に関連し、活動過剰時の失統合失調症・妄想などに関連すると考えられています(例外的な事例もあり)。

 

この辺りのより具体的・専門的なことは、「場末P科病院の精神科医のblog」の以下の記事が詳細にまとめて説明しておりますので参考にどうぞ。他に関連外部サイト記事を二つ紹介しておきますね。

 

インターネットをし過ぎた後はデフォルト・ネットワーク・モードを健常に戻すために瞑想せよ(場末P科病院の精神科医のblog)

成人してもADHDの治らない人々とは:科学ニュースの森

好きな音楽が脳に与える影響 – 外界をシャットアウトできるとの研究結果

 

ではここで「タスク」というものと、その使い方のバランスなどの補足とお役立ち情報として、「マルチタスク」「シングルタスク」「ュアルタスク」に関しての外部サイト記事を紹介しておきますね。

 

 

 

 マルチタスクは脳にとって有害:研究結果

なぜ男性はシングルタスクなのか

脳年齢が18歳若返った「デュアルタスク」とは

 

MCI軽度認知障害)の予防にはデュアルタスク(同時に2つの課題)が効果的で、マルチタスク(三つ以上の課題)は人間は基本的に苦手とする、という研究結果があります。

 

また上記の外部サイトにある 「女性はマルチタスクが得意」というものはよく言われますが、私は女性はマルチタスクが得意なのではなく、「感情性IQ」と「バランス能力を必要とする現実対応力」が男性よりも平均的に高いと考えています。

 

それがマルチタスク的な能力と一緒にされて誤解されている、と思いますね。  「女性はマルチタスクが得意」は誤解だった

 

心の理論の問題点とヒトの心の全体性

 

自閉症の障害の中核をなすのが、マインド・ブラインドネス(相手の心が読めない)という対人コミュニケーションの障害と言われるものですが、

 

心の理論」を構成するものは、 視線検出器( EDD)➁ 意図検器( ID)➂ 注意共有の仕組み( SAM)とされ、

 

社会適応能力の基本となる「他者の意図・信念などの理解」と「柔軟なコミュニケーション能力」は、この三つが全て適切に機能することが必要とされ、

 

自閉症児の場合はこの中の➂「SAM」に欠陥をもち、他は正常とされるのですが、私はこの理論は部分的には納得しつつも、全体的には不完全性を感じ、「心の全体性」から見た場合にはかなり「見落とされたもの」を感じます。

 

つまり「心の理論」こそが「心の全体性の欠損モデル」という皮肉なパラドックスの構造性を感じるんです。

 

以下に紹介のPDFは「心の理論」に感じる不完全性や不十分さを指摘・分析したものとして部分的に共感できるものであり、参考として紹介しておきますね。PDF ⇒ 「心の理論」は必要か

 

私は、「四項関係」の土台に支えられた「共同注意」のベースがあって「心の理論」が存在し、それに加えて「実行機能」がプラスされた総合的・複合的なものとして、社会的な存在としての「ヒトの心の全体性」を捉えているんですね。

 

共同注意とは、他者の注意の所在を理解しその対象に対する他者の態度を共有することや、自分の注意の所在を他者に理解させその対象に対する自分の態度を他者に共有してもらう行動を指す。
参照 ⇒ 共同注意 – 脳科学辞典

 

そして「四項関係」のベースには、個の無意識だけでなく集合的無意識(生命の無意識と文化ミームの両方)を含んでいる、という感性的な理解も含めて考えています。

 

以下はPDF「乳児の共同注意の研究パラダイム── 人間の心の基本形を探る ──」からの引用・抜粋です。

乳児の共同注意の基本的な形態は、他者と対象物を一緒に見ること、「自己-物-他者」という三項関係が成立することである。

(中略)誕生直後から他者との関係世界の構築をもたらす情動を基底にしたさまざまなレベルの間主観的情報が、人間の三項関係を生み出してくるのであり、

(中略)人間の三項関係は、「自己-物-他者-間主観的情報〈情動・意図・意味・文化など〉」という「四項関係」として明示されるべきだろうと思われる。

(中略)人間の共同注意は、情動を基盤にした四項を含む関係世界を可能にする精神機能をもつがゆえに、物に対する共同注意だけでなく、他者の心に潜在する表象世界を対象にした共同注意、つまり「共同表象」の存在を可能にさせた。

そしてそれは、自己と他者の心の世界の理解水準を飛躍的に高める働きをもちえた(大藪,2009)。文化化という発達方向に強く動機づけられた人間は、単なる視覚的共同注意という行動形態としての共有関係だけでなく、

その共有世界に自他の表象世界の共有を組み込んだ特異な関係世界を生きることを乳児期早期から強く要請された存在である。
– 引用ここまで –

引用・抜粋 ⇒https://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/41220/
1/BungakuKenkyukaKiyo1_59_Oyabu.pdf

 

そして「地球の大自然における生き物としてのヒト」という角度から現代人の意識の病態(心と精神のバランス異常)を見るのであれば、

 

思考・情動=自我運動を社会に適応したものへ変換するという「変容」は、純粋に動物だった人間存在が、動物性を制御する過程で培われた条件付けに他なりません。

 

そして人間社会は集団秩序と関係性のバランスで成り立っている以上、その基準によって判断される、というだけなんですね。

 

結局のところ、「全体性として在る・在った存在」の「内的な自然界」の機能不全 =「無意識的活動の統合状態の崩れ」が、意識に反映されたもの、なんですね。

 

「内的な自然界」の全体性が分離化している、極端化している、そ現れ方の違いが、意識の病態の違い、とも言えるでしょう。そしてそれは「個人の機能不全」に全てを原因帰属させるものではなく、

 

社会そのものの在り方の機能不全、環境的な多角的な力学による否定的な作用も見落とすことは出来ません。「内外双方の作用」を見ていく必要がある、と思いますね。

 

◆ 自閉症・心の理論の関する外部サイト記事とPDFの紹介

 

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