男もつらいが女もつらい!? 「役割期待」とマウンティング
今日はちょっとテーマを変えて、「社会心理学・社会学」のカテゴリー記事の更新で、男もつらいが女もつらいをテーマに、
マウンティングと美女・喪女の生きづらさを考察しつつ、ブラックユーモア的な「心理学者Xによる美女とブスの心理的キャットファイト 葛藤の考察」を書いています。
ところで、アンサイクロペディアはウキペディアに比べて内容が怪しかったり面白いものが多くあり、以下に紹介の「男はつらいよ」はなかなか鋭い部分もあって面白かったです。
「男はつらいよ-アンサイクロペディア」より引用抜粋
正しく使わないとこの言葉の意味は分からない。
誤った使い方「男はつらいよ。女は楽でいいよな」
正しい使い方「男はつらいよ。社会は敵だよ。女もつらいよ、でも社会は味方だよ」
(中略)
社会的劣等
民事問題について
1.この人痴漢ですは女性にしか使えない必殺技である。
2.男性の言い分は正しくない。女性の言い分は正しい。
3.女性が泣くと許される。男性が泣くと罪が重くなる。
4.痴漢は裁判なしで有罪となる。痴女は裁判なしで無罪となる。社内問題について
1.上司が男なら、女性社員のミスは海より広く・男性社員のミスは猫の額の待遇で。
2.上司が女なら、女性社員のミスは辛口で・男性社員のミスは罵詈雑言で。
男女交際について
1.男は甲斐性がないといけない。女は甲斐性が無くても良い。(中略)専業主婦は職業として認められている。専業主夫は職業として表面上、本当に形だけ認められている、というタテマエ。
・女性の差別問題は普通に報道される。男性の差別問題は検閲により削除される。
– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
引用元⇒ 男はつらいよ-アンサイクロペディア
「役割期待」のバランス異常
社会的な意味での男女平等の意義は否定しませんが、元々男女には生物学的な相違が存在し、生物学的な相違を配慮せずに何でもかんでも深く踏み込んで否定するような過度な「男女の役割の均一化」は、
むしろ男本来の特性や可能性や調和性を否定し、それはいずれ互いに首を絞め合う大きな社会的問題に発展する可能性を高めることになるでしょう。
危険な仕事や責任の重い部分の担当や仕事分野の幅広さと発展は、男性の仕事能力に負うところは未だ圧倒的に多いのに、権利だけは急速に平等化へ向かい、
義務は不平等のまま、生物学的な男性原理だけはどんどん否定され抑圧化される、これではまるで「マルチ化され酷使されるおとなしく扱いやすい消耗品」ですね。これではまるでショーペン・ハウエルの「結婚」に関する名言の延長線、拡大化された男女の不調和の姿そのものです。
結婚とは、男の権利を半分にして、義務を二倍にすることである。 ショーペン・ハウエル
「家庭に居場所がない…」働く男たちの嘆き より引用・抜粋
(前略)
これは、既婚男性500人アンケートに寄せられたコメントの一例だ。30~40代の男性のうち、「家族に疲れた」と感じたことがある男性はなんと約6割にも及ぶ。その原因は「妻」が約4割と圧倒的だが、次いで「自分の両親」も約3割と見逃せない割合だ。男性は家庭(妻子)と実家(両親)という、2つの大きな重荷を背負っているのである。
ストレスの詳しい理由として、家庭の場合は「妻への倦怠感」に「セックスレス」といった夫婦仲の悪化が目立つ一方で、実家との間では「親からの過干渉・依存」という切実な問題に頭を悩ませている男性が多いこともわかった。
こうした問題の背景について、男の生きづらさを研究する男性学の専門家・田中俊之氏は、「雇用状況は悪化しているのに、“男は一家の大黒柱であるべき”というプレッシャーはそのまま。
さらに、子供や親をケアする役割までが求められるようになってきた」と、男性の果たすべき役割が増えすぎている現代社会の事情を語る。
(中略)
実家トラブルも、この親子関係の問題が大きく影響しているという。数多くの毒親や共依存家庭のカウンセリングを実施してきた信田さよ子氏によると、「親からの支配を断ち切れないまま、自立できずに過干渉を受け入れてしまっている30~40代は多い」のだとか。– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
引用元⇒ 「家庭に居場所がない…」働く男たちの嘆き
これだけでも十分しんどいのに、おまけに最近は妻の夫への逆DVも増えています。驚くことなかれ「DV被害経験の比率自体は男女差ほとんどない」のです。
そして逆セクハラも多いのですが、「セクハラと言えば男がするもの」という固定観念が強いために、
女性による男性への「性的な侮蔑表現・嫌がらせ・性的強要」には社会は非常に甘いのです。しかもそのための社会的な理解及び支援はほとんどありません。
警察庁の調査では、2014年の家庭内暴力(DV)は59072件で過去最多だったが、夫が被害者のケースが5971件で、10年の7倍になった。ある弁護士事務所では「相談件数は男女半々くらい」という。
〇 男性のDV被害者、実は女性と同じくらいいる? 不自然な妻に殺された夫の比率の謎
〇 逆DV “アウトレイジ”な妻に泣く30代夫
〇 男が耐えている「逆セクハラ」の被害報告――女上司からの暴言、女性ばかりの職場で空気のような扱い…
多くの国で男性は女性よりも自殺率も高く、日本なんて女性の「2.5倍以上」です。しかも年をとるほど邪魔者扱い、見てください、この言われよう⇓、悪人でも犯罪者でもないのに人間扱いされてないです、ちょっと悲しいです、コレ。
⇒ 決して救われない社会的弱者「キモくて金のないおっさん」について語る
例えばイギリスの場合でも、エマ・ワトソン さんが国連スピーチで語ったように、「イギリスの20歳から49歳の男性の死亡原因の第1位は、交通事故やがん、心臓病を上回って、自殺が占めてしまっている」、という状況です。
◇ 関連外部サイト記事の紹介
以下に紹介のサイト「思想館」の指摘・視点はとても鋭いなぁと思いましたので紹介しておきますね。
〇 男性差別と女性差別
〇 男女の自殺率格差問題
〇 男女自殺率格差対策での公衆衛生と性差医療
「女らしさ」は男が強要したもの、とか何でも男のせいにする人がいますが、「役割期待」というものは相互作用、あるいは複合的な力学で生まれるものであって、一方通行ではありません。
女は過剰な役割期待を背負わされている、というのであれば、男も役割期待を背負わされている、とも言えるんです。
「男がそういう目線で女を見るから女はそうするだけ」と言うのであれば、「女もまた男にそう見られたいからそうする」とも言えるわけです。
「女らしさは男・社会による心理的圧力だ」というのであれば、「男らしさ」も女・社会による心理的圧力でもあるわけです。
例えば「セコい男」「泣き虫ですぐ愚痴や言い訳ばかり言う男」「身体が弱く覇気がない男」「プレッシャーに負けてすぐにビビッて逃走する男」、
このような「小さい男」「甲斐性のない男」「意志弱く心身共に脆弱な男」など殆どの女・社会は求めませんし、心底馬鹿にします。
さらに「学歴が低い」、「背が低い」「地位が低い」「給料が低い」などの条件で「品定め」されます。いや現実はもっと冷徹で「全く相手にもされない」「存在ごと無視」されるでしょう。(笑)
男女を問わず、男は学歴・職種・給料などの差異で「底辺・クズ・無教養な男」などと露骨に馬鹿にされたり、地位・実績・肩書きなど差異で「無能・格下・使えない男」とか馬鹿にされ、「一切発言権無し」のように扱われたり、
体力なく見た目も悪ければ「ひ弱でブサメン」と馬鹿にされたり、稼ぎが悪くあまり気が利かないオヤジは家庭では「粗大ゴミ」のように扱われる、このような現実なんてそこらじゅうにあるわけです。
だから男は「生き恥」のような敗者的意識を持たされやすく、「女と男社会の両方から馬鹿にされない生き方」へと方向づけされる心理的圧力が加えられており、
そのため「役割期待」に応えようと努力するわけです。「男らしさ」=「力・能力・闘争心・タフさ・根性・強い意志」などを男は子供の頃から意識せざるを得ないのです。
そしてそういう否定的力学を強く長く受け続けた人ほど、なかなか弱音なんて吐けなくなるんです。
よく社会は自殺や鬱の防止として「一人で抱え込まずに助けを求めろ」「弱さを隠さずに周囲に打ち明けろ」などと綺麗な事を言いますが、
実際男がそういうことを正直に周囲に表現すれば、「甘えている・根性が足りない」「愚痴・言い訳ばっかり」「面倒くさいネガティブな奴」「情けない奴」とか、かえって酷い扱いを受けて、
「使えない・弱い・駄目な男」と第一線から切り捨てられることも多かったんですね、今でもまだそうですが、昔は特にそうでした。
しかも男が弱音を吐いた場合、男に対する「否定的眼差し」においては男女に差はありませんでした。
こういうダブルバインド、「開放せずため込めば自分で自分を殺すように生きるしかなく、逆に開放すれば周囲から叩かれ追い込まれる」によって、
男はその負の無限ループから脱出するために、結局「精神的に男らしく(闘争心・タフさ・根性・強い意志)」あろうとし、力・能力を高め現実を変えていこうとするのです。
イクメンならOKでも「専業主夫」なら総じてヒモ呼ばわりでしょう。しばらく無職ならまるで人生の敗者ように言われ、オタク状態なら犯罪者予備軍にみたいに危険視され、
そんな闘争社会において男達は、自身の立ち位置で大きな経済的格差が生じるだけでなく、存在価値、社会評価の格差も生じてしまう環境の中に置かれてきたわけで、
その現実を無視して、理想論ばかりを言って男をやみくもに否定することは出来ないんです。最近はこういう部分にもスポットが当たり始めて意識化が進んできてはいますが、まだまだ時間はかかるでしょうね。
先に紹介の「DV妻」の潜在数はもっと多いのでしょうが、「男は強くなければいけない」という心理的圧力のため、「恥」の意識からこのことを男はなかなか言えないんです。
◇ 関連外部サイト記事の紹介
〇 男女平等にするなら男を救うべき論
〇 「役割期待」のずれが、ストレスを生む
〇 男性差別は存在するのか 女性運動家が撮った現実
〇 「女も戦場へ」は何をもたらすか 兵役という男性差別
〇 生まれた瞬間、男性が強制参加させられる「成果出そうレース」の残酷さ
マウンティングとキャットファイト
女性の派閥形成の心理や格付け心理(ママカーストなど)は女性同士に起こりやすいマウンティングと言われる現象で、私は経験上、これは男性も結構あるなぁと思うので女性に限定していません。
マウンティングに関しては以下の二つの外部サイト記事を紹介しておきますね。
〇 女性同士のイヤな感じ、正体は「マウンティング」格付けし合う女性達(1)
〇 ムカついたら負け!マウンティング女子をかわす5つのコツ
美人とブスでは犯罪の刑の重さが変わる、という有名な心理実験がありますが、美人とブスでは同じことをしても評価やその印象が変わる、ということは、心理学者などが言わなくても誰でもよく知っていることですね。
実際、内面がどうたらこうたら色々いったところで、芸能人もトップアスリートも、華がある世界のスターたちの奥さんなんて結局は美女ばっかりじゃないですか。
⇒ W杯日本代表の奥さんが登場!サッカー選手の美人すぎる彼女・妻たち【30枚】
魅力・能力があって自由に選択できる状況であれば、人はやっぱりそうする傾向に傾く、自然な欲求ってシンプルにそういうもんってことですよ。
最近は男だって実力よりもルックスで結構左右される時代になってきましたね。アスリートでさえこれ↓だから。
⇒ レアルがロナウジーニョ獲得を拒否した驚愕の理由「ブサイクすぎたから」
心理学者Xによる美女とブスの「心理的キャットファイト」 葛藤の考察
これは心理学者Xが美女とブスの意識の同調心理と闘争・葛藤の心理を「ブスと美女のキャットファイト」という比喩による分類・考察をした、という設定のフィクション記事です。
※ この記事で使われるシュプレヒコール、集団的自衛権、野党などの言葉は本来の意味合いではなく、あくまで
比喩的な用い方です。
※ ○は、2ちゃん喪女板【美人とブスの絶望的な差】より引用・抜粋。
ブスのシュプレヒコール
「黙れ美女共!」「お前らの計算高さと優位性など薄っぺらいわ~!」「ブス・ブサイクなめんなよ!」と合唱するそのブス的デモ精神。
このブスのシュプレヒコールには、女としての自己肯定感を持って社会で生きていくことの難しさが背景にある、ということは事実なのです。
○ 美人→仕事でミスしても笑って許される ブス→仕事でミスしたら集団でしつこく責められる
○ 美人→キズモノB級品の服が高そうに見える。 ブス→ブランド品がバーゲン品に見える。
○ 美人→近づきがたい ブス→近づきたくない
このような「性的な優劣」が「社会的優劣」にも関連付けられて「低い評価」に価値付けられる社会的傾向性が、ブスの心に生産性の低い負の怒りを蓄積していくわけであります。仮に「ブスそのもの」を生産的に生かした場合も、
○ ブスは、男達を笑わせる。 美女は、男達を黙らせる。という負の名言にあるような差異のある結果となり、そのためブスは世界を斜めに見ることが慢性化してしていくわけですね。
ただブスにも堪忍袋の許容力には限界はあるわけです。そして負の世界に対する対応力を磨いた感情性知能の高いブスは「高い心理的攻撃能力」を持ち始め、
リア充系美女の足元をすくうための心理的反撃をするが、その勝利の雄たけびと成功はブスマジョリティ の中でのみ圧倒的な支持を得、心理的な「ブス野党」を結成する。
ブス野党は「ブスのブスによる ブスのための価値拡大」を強化するためにブス集団的自衛権を発動し、そして同時に、その高い洞察力は自らにも向けられ、見事にストイックな表現力で自虐してみせる、
だが、そこまでしてブス野党の事実を直視し「透明性の高さ」を見せても、○ 美人→このネタスレ面白い~ww ブス→精神に大打撃を受ける、
という美女を喜ばせるエンターテインメントにはなっても、ブスにとっては癒しにならず絶望になる、という鋼鉄の現実構造は変わらず、
リア充美女をコケおろしつつも、密かに地道な「女子力アップのための健気な努力」もしたりはするが、○ スリム美人→モデル系 スリムブス→ガリキモイ ○ ぽっちゃり美人→巨乳、癒し系 ぽっちゃりブス→デブキモイ ○ 気さく美人→美人なのに気取ってなくていい人 気さくブス→馴れ馴れしい ○ 人見知り美人→恥じらう姿が可愛い 人見知りブス→壁と同化
○ 美人ミニスカート→男達「ワー⇧!」 ブスミニスカート→男達「ワー⇓!」 などという、手厳しい批判目線は覆せない。
鬼女マスターに導かれ共に熱きブスシュプレヒコールへと向かった若き青春の日々も、やがては年老い、あらゆる性的な価値の正負のどちらの立場に参加することに対しても諦めの境地にいたり、「悟りのレベルにまで高められた喪女」と化していく。
しかし「帰れブス!」、「なめんなブス!」という美女シュプレヒコールは、元々美女とブスの中間に存在する
普通女子によるものであり、
そしてキャットファイトを裏で操作するブス野党は、男の女性蔑視に目を光らせつつも、同時に「自身よりも性
的に優位な女性」への心理的抑えつけ= 脱価値化も行い、
男たちを暗黙的に「自身の側」へと価値誘導しようとすることも忘れない。「可愛い系美女」はあまりそういうことをしない、というかする必要がなく、否定性の少ない美女の無意識的な開放性、小賢しさのない自由な無防備性が、さらに男子を惹きつける。
よって可愛い系美女キャットファイトのライバルは闘争系の美女か、洞察眼の高い鬼女たちであり、
そしてブスの中でも「感情性知能の高いブス」は、あらゆる否定によって「可愛い系美女に向かう男の思考」を破壊する毒性を高め続けるために、美女に恐れられる。
この闘争領域では女性の高度な感情性知能によるハイクラスの心理的格闘が展開されている。この頂上部を長期的に生き抜くことは困難であるがゆえに、
ハイクラスの心理的格闘の中を生きる闘争系美女は、喪女にはない別の心理葛藤とストレス・悩みを持つことになる。
鬼女の洞察眼の前に「見た目だけのバカ女は感情的ね」と蔑まれ、そしてブス野党にも「全て男を操るための卑しい計算ね」と一蹴される。
だが基本的に美女の存在美に惹かれるというのは男・オスとしての生き物の本能的法則であり、ブスの集団的自衛権発動は「男の憲法9条」への重大な違反である、
と美女支持者の生物学者が一斉に指摘するが、「世の中の男は単純すぎる、あんな見た目だけのバカ女に現を抜かして、本当に愚民ね、サルね!」
と知性的な卑下を受け、男の生物学的な基本的人権は無視され、かくして男は心理的に去勢される。
男子の目にはそれは女としての勝利ではなく、むしろ知性のネガティブな使用による反則行為として映り、
この「歪み切った嫉妬過剰」を背景に持つ知性的戦略への嫌悪感を増大させる。その結果、「帰れブス!」の美女シュプレヒコールが再び力を増す。
そして「感情性知能の高いブス・鬼女」でもキャットファイトのマウンティングである程度までの高みには到達できるが、
「感情性知能がズバ抜けて高い美女」によるマウントポジションには手も足も出ない。「否定毒が通用しない圧倒的な美女」と本気で戦えば失神KOに持ち込まれ、絶望の彼方へと叩き落される。
その結果、世界の「開かれた称賛」はやはり「優れた美女」の存在美に向かう。
勝算もなく称賛もないありのままの現実に突き落とされたブスは、鏡の前で「シンプルな事実こそ世界を動かす」という当たり前のことを再自覚する。
だが、その当たり前の事実はブスの心を「気づき」には向かわせず、さらなる怒りへと誘う。
○ 美人→クラス内でもふとした拍子に男から話かけられる ブス→話すべき場面であったとしても軽く無視される ○ 頭がいい美人→才色兼備 頭がいいブス→ネクラ、勉強しか取り得がない
世界は理不尽だ、いや、この理不尽さは自然の理なのかもしれない、ならば「華は華として輝き、そうでないものは屈辱と共に在れ!」という怒りの矛先を変えた二元論に陥り、他のブス達を支配攻撃し始めることで、不満のガス抜きを始めだす。
こうして感情性知能の高い劣等感の塊のブスこそが、負のマウント構造を維持し強化する者となり、否定毒生成の
「知的職人」となる。
このように勇猛にズバズバと書いた男性心理学者のXではあったが、後日、その報復ともいえる「否定毒」によって強制的に去勢され現在は「フェミニスト」となったという。
(終わり)
◇ 関連外部サイト記事の紹介
〇 女は顔じゃない? 男性たちにきいた「結婚したい女性」の条件3つ
喪女の生きづらさ
「自分なんかどうせ」は、 ブスを際立たせる負の効果を増大し、かといって堂々と自信をもった雰囲気を出し過ぎると「勘違いブス」と言われ、
ブスは不幸・不利、そして逆境を生きるしかない とブス本人が語る場合もあれば、そうでない人がいう場合もありますが、
美女・美男とブサイクを分ける基準も「ダントツなレベル」ならみなの意見は大体一致する傾向に向かいますが、ブスとかブサイクとかの基準って、これって年代によっても人によっても幅があり結構違うから微妙だったりもします。
なので一般的にブスの部類、一般的に美女の部類、というくらいの感覚ですね。
以下「ガールズちゃんねる」より引用・抜粋
○ ブスだから不幸。デブだから不幸。 勝手に決めつけんな!
○下を向かなければ見てくれる人は必ず居る。
○ 顔は不細工かもしれないけど 健康面では良い遺伝子ってあるよ 顔だけで遺伝子複製してたら 人類早々に滅びるよ。
引用元 ⇒ ブサイクなめんなよ!
↑という前向きな意見も多々ある。特にラストの意見は生物学的にも正しく、自然界の生き物としての適応や優性は、「元気で健康な心身」の方に重きがあり、
「元気・健康が何らかの機能不全で欠損している状態」を「病気」と呼び、
「元気で健康な心身」と共に発現される個体の能力や表現によって、相対的な差異や優劣を多様性のある視点から見る、というのが本来の公正な社会的な人間の優劣の目線であるわけですね。