嘘の多元性  科学者は嘘をつく・権威主義的な学者・専門家を疑え

 

挑発的なタイトルですが、私は「科学・科学者・医学」などを否定する者ではありません。

 

今日は、「統計的に有意と報告されながら、 そのうち実際に再現性を確認できたのは半分程度だった」というニュースの紹介を筆頭に、「嘘の多元性」がテーマです。

 

そして、学問的知識だけで肥大化した「心理学病」「精神医学病」「脳科学病」とも言える「学者・専門家の病理」を考察するものです。

 

※ これは全体・全部が問題ということではなく、一部の日本の権威主義的な学者・専門家に目立つ残念な「傾向性」、「個々に悪意のない構造的なもの」を考察したものです。

 

「有名な心理学研究のうち「再現性がある」ものはわずか39%だった」 より引用抜粋

一流の研究者によって書かれたからといって、論文の内容をそのまま信じてしまうのは危険である。そうした考えから、心理学の分野では、「研究結果の再現性」を、ほかの研究者が検証する動きが強まっている。

英「ネイチャー」誌によると、2011年以降、世界の250人以上の研究者からなるプロジェクトグループが、有名な心理学の研究成果100件を試す実験を行った。

すると、実際に再現性が確認できるのは、わずか39件に留まるという結果が出たのだ。
(中略)
カリフォルニア大学サンディエゴ校の認知心理学者ハル・パシュラーは言う。「定評のある学術誌に掲載された論文であれば、研究者すらその内容は正しいと考えてしまいがちです」

– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)

引用元⇒ 有名な心理学研究のうち「再現性がある」ものはわずか39%だった

 

ちなみに、今回再現性が確認されなかった心理学研究61件のうち、24件には「それなりに似た」結果は出た、ということなので、再現確率50パーセント

 

つまり半分くらいは本当、後は嘘、あるいは科学的に不確定、という状況みたいですね。そしてこれは、心理学がほかの分野に比べて、厳密性が低いとを意味するわけではない、とも書かれていますが、

 

「科学」及び「科学的なもの」に対する盲信的姿勢への批判的な意味の記事は過去にも幾つか書きましたが、権威や社会的立場の優位性を笠に着ているだけの有名な科学者たちをメディアでもよく目にします。

 

ですが「自説に不利なエビデンス」は出来るだけ提示しないというスタンスは別に珍しいものではなく、イデオロギーや個々の価値判断によって事実判断が影響を受けることも多々あるわけです。

 

「生命科学」もそうですが、例えば「進化心理学」を例にとると、一見すれば科学的で論理構造もシッカリしているようにも見えますが、

 

どの程度真実といえるか? 反証に対して頑強で揺るぎないものか? を再検証して見ていけば、多くの知見が再現可能性にかなり乏しい、という部分が見えてくるわけです。

 

追加更新で外部サイト記事を紹介ですが、以下の記事のような現場の声はとても普通な感覚で正直な意見だと私は思います。

 

「進化心理学の再現可能性」 より引用抜粋

残念なことに、その進化心理は最近いろいろなところで結果の再現性に乏しいという突っ込みを入れられています。

例えば政治学・統計学者の Andrew Gelman はブログや論文で様々な進化心理的研究を取り上げて批判していますし、

協力行動研究でも、目があったり、神プライミングされると協力的になるといった研究は追試がうまくいかなかったという報告もあります。

最近さらに女性のホルモンレベルの変化が男性の顔の好みに影響するという知見の追試ができなかったという縦断的追試研究のプレプリントが出ました。
(中略)
正直、僕がこれまで見聞きしてきた経験をもとに直感的に言わせてもらうのなら、進化心理学の多くの知見は再現可能性が極めて低いのではないかと疑っています。

なぜならば、進化心理は進化・適応理論を基盤とはするものの、手法的には社会心理学の研究方法を踏襲したものが多く、

また大学等での就職枠も、社会心理の中に含みこまれることが多いためです。であれば、社会心理での再現可能性が低い以上、進化心理も低いと予測するのが普通かと思います。
– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)

引用元⇒ 進化心理学の再現可能性

 

 

◇ 関連外部サイト記事の紹介

「ちょっと盛られた」臨床試験の気付き方 臨床試験にかかわるすべての関係者へ
「研究成果再現できず」、生命科学信頼揺らぐ
〇  モリー・クロケット「でたらめ神経科学に気をつけろ」

 

 

こういう科学分野・現場の「よくあるもの」「予定調和的なの」が、感覚としてわかっている方はそれでいいんですが、そのまま鵜呑みにしてしまう方だって結構いるわけですね。

 

 

 

過去にも今回のテーマと関連する記事を書いているので、その一部を以下に紹介しておきますね。

 

「科学」の信用度と不正  客観性だけでなく主観を磨くことの必要性
科学の限界と可能性   スキーマに囚われた科学的・合理的思考だけでは見えないもの

 

2016/10 追加更新

⇒  疾患喧伝と精神医学  相関関係・因果関係と疑似科学

 

 

 

嘘をつくのは低コスト、嘘を検証するのは高コスト」と言われますが、疑似科学を分析・検証するのは高コストで低リターンです。

 

そして科学者のウソ・不正を分析・検証するのはもっと高コストで低ターンです。だから殆どの場合、これを本気ではやりたがらないわけです。

 

また問題を最小限にしようとするあまりに、ガチガチに管理され少しの逸脱もないように拘束された現場というものは、良い悪い含めて自由度が下がりどんどん非生産的になっていく、

 

これは道徳的に潔癖すぎる社会の息苦しさや、個々のクレームや細かい対応・管理のコストの増大でどんどん回らなくなるのと相似形をなしています。

 

ですが、本当に「科学者」あるいは「科学的思考」であるのならば、「自分自身を含めた上での客観性」を検証するぐらいの公正さはほしいところですね。

 

あるいは「科学の在り方そのものも含めた上での客観性」を持とうとする意識があってもよいはずです。まぁ「本当に純粋な科学者」ならばの話しですが。

 

科学者も「ただの人間」です自殺もすればもつくのです。医者だって教師だって人間です、病気にもなれば嘘もつけば犯罪もします。

アメリカで、最も自殺率が高い職業とは?科学者・弁護士・医師などなど、エリートが多い・・・
〇 医学生の3割がうつ病―47カ国研究から
何故、精神科医や教育者は嫌われるのか?  治す側・教える側という公的な仮面

 

世間や専門家は、STAP細胞問題で小保方さんを過剰に叩きましたが、そして「トンデモ」やらの「目立つわかりやすい粗いもの」に対して、親の仇でも討つかのように勇ましい正義の戦士に一部の人はすぐなりますが、

 

データの捏造・改竄による不正行為はあらゆる分野・組織に及び、そして「それらで巨額の利益を得ていたり、間接的に恩恵を受けてきた構造性」に「己も含まれている、いた」ことは、

 

同じくらいの真摯さで取り組もうとすらせず見過ごし、そこを指摘されると妙に言い訳じみた態度に出たり未練がましく執着するその姿を見ていると、

 

「ねぇ、あの勇ましい姿勢はどこいったの?」って感じですね。そんなんだから「あなたたちの中で罪を犯したことのない者がこの女に、まず石を投げなさい」っていわれるんですよ。

 

 

2019/4 追加更新
心理学の7つの大罪――真の科学であるために私たちがすべきこと

第1の罪 心理学はバイアスの影響を免れていない
第2の罪 心理学は分析に密かな柔軟性を含ませている
第3の罪 心理学は自らを欺いている
第4の罪 心理学はデータを私物化している
第5の罪 心理学は不正行為を防止できていない
第6の罪 心理学はオープン・サイエンスに抵抗している
第7の罪 心理学はでたらめな数字で評価を行っている

 

もうひとつ追加更新で関連ツィートを紹介します。高IFトップジャーナルへの過信、これもまた権威的なものへの弱さ、甘さ、のひとつといえるでしょう。

 

 

 

 

悪質な嘘をつく犯罪者は除き、それ以外で私がタチの悪いと感じる嘘つきは、「ウソが嫌い」というタイプのウソつきで、そして「○○は嘘をつかない」というウソツキもタチが悪い、

 

と感じますね。それは結局、「一番信用できるのは○○である」と暗に言っている、言いたい心理に繋がっていることがあるからです。(例外のケースももちろんありますが。)

 

聞かれてもないのにわざわざ「ウソが嫌い」とか、「○○は嘘をつかない」とか「断定的に言う」タイプの人は、

 

私だけは、○○だけは、嘘から完全に離れた正直な人間」ということを暗に主張したがっている独善的な人間のように感じさせます。

 

そしてそういう潔癖で「無自覚な独善的な人たち」でも、よく観察すればウソ・ごまかしの心理など簡単に発見出来るからです。

 

それが誰であれ、「人は多かれ少なかれ嘘をつくことがある」「思い込んで決めつける」、それが人間のデフォルトです。

 

なので心理学者・精神科医・専門家のウソや見落としばかりを批判的に見るのは不公正ですが、彼ら・彼女たちはプロの専門家として有資格者として「心・精神を分析・定義する」ことを行うわけで、

 

一般人はそういうことは殆どせずに日々を生き、社会的な専門的肩書き・権威・資格もないわけだから「影響力・責任の大き」はダントツに前者なのです。

 

よって「注意深く批判的に分析・観察しなければならない」のは、一般人に対してよりも「心理学者・精神科医・脳科学者・専門家たち自身、そしてその分野の構造の分析」でしょう。

 

特に最近の一部の日本の心理学者・脳科学者・精神科医・専門家は「大して大きな問題もなく病気でもない一般人」の問題に細かく干渉し、人や物事を断定的に見るわりに、

 

「自分自身には甘く理屈・言葉で知的防衛をする」というような人が目立ちますね。

 

それだけならまだしも「自分は絶対正しい」というような権威付けの方向に心理誘導さえしていますので、「これで本当に科学者か?プロの専門家か?」とガッカリします。

 

まぁ「素人や一般人が心理学的な考察を取り入れてるとか、参考にしている」とか、「立体的な考察のひとつの角度として使っている」とか、

 

「エンタメを兼ねて面白く演出するためにやってる」とか、「心理学の個人的研究」とかであれば特に問題ないのですが、

 

「権威」を笠に着てプロの専門家が公的に「科学者」という表向きでそういうことをやるのであれば、むしろスピや「あきらかに幼稚な疑似科学」よりもタチが悪いですね。

 

 

嘘の多元性

 

悪意のないウソ、ウソと思ってなくてウソをつく、正しいと信じて思い込む、そんなことは人間の日常では当たり前のことなんです。

 

 

「知能が高い人ほどウソをつく」 虚偽検出のプロが語った、”ウソ”の科学 より引用抜粋

有害な嘘、有害でない嘘

嘘についての1つ目の真実は、嘘をつくことは、協力的な行動だということです。すべての嘘が有害なものではありません。時には、私たちは嘘に自ら進んで参加しているのです。

しかし時には、私たちが進んで参加したものではない嘘もあります。そしてそれは私たちに大きな影響を与えることがあります。昨年(2010年)アメリカでは、企業の不正金額は9,970億ドルにも上りました。

1兆ドル目前です。そしてそれは国家歳入の7%に当たります。嘘には何億ドルもの資金がかかるのです。

– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)

引用元 「知能が高い人ほどウソをつく」 虚偽検出のプロが語った、”ウソ”の科学

 

上に紹介の記事のポイントを幾つか抜粋すると、

 

○ 嘘を見抜くことは、信頼関係の構築につながる

○ 嘘の3回に1回は恋人に向けたもの

○ 知能が高いほど嘘をつく  

 

などがあり、ラストの「知能が高いほど嘘をつく」に関してですが、

 

これは認識テストの結果が高い高IQ者は「自分の意見に固執するあまり、思考の盲点を持つ場合が多かった。結果的に、他人の欠点はよく指摘しても、自分の欠点に盲目になった。

 

という実験結果でも指摘されていますが、こういうものは学者にも見られる傾向ですね。知能指数と賢さは比例するか

 

ですがウソつきというもの全てが、「知能が高いほど嘘をつく」ということでまとめられるほど単純なことではなく、衝動的なウソをよくつく人とか、犯罪的な悪質なウソをよくつく人とか、巧妙な小さなウソをよくつく人など、

 

「ウソつき」にも知能の高くない人、高い人、衝動性の高い人(理性的でない人)・衝動性の低い人(理性的な人)、などの多元性があることは確かです。

 

そのあたりの衝動と制御の脳科学的な関係性を科学的に解明した記事をひとつ紹介しておきますね。どうして正直者と嘘つきがいるのか? -脳活動からその原因を解明-

 

もう一つ、TED動画「カン・リー: 子どもの嘘は見抜けるか?を紹介しますね。

子どもは嘘が下手でしょうか?子どもの嘘はカンタンに見抜けると思いますか?発達を研究するカン・リーは、嘘をついている子どもに、生理学的に何が起こるかを研究しています。

子どもはたくさんの嘘をつきます。わずか2歳に始まって、実は子どもは本当に嘘が上手です。

リーは、子どもが嘘をつき始めたら祝うべき理由を説明し、いつの日か私たちの隠れた感情を浮き彫りにするかもしれない、新たな嘘発見技術を披露します。

 

 

人は誰でも生き物としての攻撃性や暴力性のポテンシャルを持っていますしそれが人間のデフォルトでも、それを知りつつも殆どのまともな人は、「極端な攻撃性や極端なウソ」にはならないように生きているわけです。

 

正直・誠実な人とか、反対に病的な嘘つきとか、悪質な嘘つきとかは、「程度の差」を言っているだけに過ぎず、「この人の言っていることは常に完全で常に絶対に正しい」は「ない」んですね。

 

それが人間のデフォルトですが、「自分に出来る可能な範囲で出来るだけ正確な情報を伝える、伝えようとする姿勢」、

 

あるいは「相手を陥れるためや、傷つけること・搾取することを主目的とした悪質な嘘をつかずにあること」や「そうあろうする姿勢」はやはり評価出来る人間の善性だと思います。

 

学者の病理

 

本来は「心理」「心・精神」を学ぶとういうのは、心理学者や脳科学者の知識から学べることは僅かであり、自身が深く関わるそれぞれの分野での身近な人々とか、人生経験の豊かな知恵の深い人々との複数の人々との多元的な関わり、

 

そして自身の生身の正負の体験と自然な経験プロセスの中で、を通して「心身全で受け取る」ことに本当の意味や価値があるんですね。

 

人の心・精神に対して「一方的な決めつけ」をしているのは、カルト宗教の教祖や盲信者及び霊能者のような自己肥大者だけでなく、思考に柔軟性がなく多角的にものを見ようとしない権威主義な「一部の心理学者・精神科医・専門家」の方なんですね。

 

多くの場合、人は心理学者・脳科学者・専門家などが考える心や現実よりもずっと難しい「複合的で多様なリアル」の中で、「脳と心理を実践的に使いこなして生きている」わけです。

 

ところが一部の学者・専門家たちは、「人間の心・精神を分析する学問を学んだ」 という概念的な理を「立体的なリアルよりも優先させて短絡的にパターン化して結論し、自身の知識と思考世界と権威付けにハマって「理解したような錯覚」に陥るわけですね。

 

心理学・脳科学・精神医学はひとつの社会的役割を持っているとはいえ、まだまだ発展途上の段階で、しかも「心・精神」という非常に複合的な現象を扱う分野であり、

 

意識してないと自己肥大化しやすいんわけです。そうなると「科学の名を借りた、権威をかさに着た教祖」と変わらないでしょう。

 

観察ポイントを変えれば、「観察者・分析者」の方が「観察される人々・対象」よりもずっと「酷い・お粗末・未熟」ということも度々見受けられます。

 

音楽でもスポーツでも商売・ビジネスでも農業でも職人でも何でもそうですが、「本当に心・脳を使いこなす」=「理屈・概念でなく心・脳を本当に知る」というものはもっとずっと深く広く難しいことです。

 

 

「心理学・脳科学・精神医学」などよく知らない人たちは世の中に多いですが、それでも全然問題なく立派にやっている人はいくらでもいますし、

 

心理学者・脳科学者・精神医学者などより「心・技・体」のいずれもにおいてもずっと優れた働きをしている、そして洞察眼・観察眼も優れ心も成熟している、なんていくらでもあります。

 

そして心理学者や脳科学者や専門家よりも、「心・精神を含んだ人生全般の問題」において遥かに現実的に頼りになることも実際に多いわけです。

 

心理学・脳科学・精神医学は認識の幅を広げたり、「考察の多角性・多元性」の「ひとつの要素」というくらいの柔らかい感覚で上手く生かせば、それなりに参考になり役にも立ちますが、

 

学問的・専門的知識にとらわれ過ぎ、肥大化した「心理学病」「精神医学病」「脳科学病」にならないように、概念や学問的思考を追いかけるだけでなく、「一部の権威主義的な人物」の意見などに固執せず、

 

より身近な事、当たり前の日常の中で心・精神を向上させたり豊かにしていくことを大事にする、そういう自然さ、シンプルさ、謙虚さを忘れないことは人間の基本として一番大事だと思いますね。

 

「疑義が生じた心理学実験」 2015年8月27日 By BENEDICT CAREYAUG ニューヨークタイムズより引用

過去数年は科学の信用性が傷ついた年であった。ある心理学の権威が、データーねつ造で逮捕され、彼が提出した研究論文の50本以上が削除されている。
(中略)

スタンフォード大学のメタ解析イノベーションセンターのジョーン・アイオアニディス氏は、従来から、医学で発表される研究論文の半分は間違っているか、水増ししていると主張していたが、

今回の再実験結果を読んで予想した通りと言っている。細胞生物学、経済学、脳神経科学、臨床医学、動物研究等では更に悪いのではとも言う。

(中略)

学会に広まっている望ましくない研究の原因として、研究世界の激しい競争を挙げる識者が多い。研究者は見栄えの良い結果を出す傾向があり、

その結果を第三者も確かめない。再現実験をしようとしても、費用と時間がかかる。一方、雑誌社は読者の目を引こうとするから、虚飾を見ない。

– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)

引用元⇒ 疑義が生じた心理学実験

 

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