悲観と楽観 「原因」の外的・内的帰属のバイアス / 帰属のエラーと責任帰属
心・精神の問題・様々な社会問題には外的・内的な原因があります。今日は「原因」と「責任」の認知バイアスをテーマにしています。
過去にアメリカで活躍した心理学者でゲシュタルト学派に属する「フリッツ・ハイダー」という人がいます。今日はそのハイダーの「帰属理論」をベースにした社会心理学の概念を用いた記事を書いています。
ハイダーによれば、人の行動の原因は 「その人自身の要因」=「内的帰属」か、「運・不運、物理的・社会的な環境要因」= 「外的帰属」の二つがあると定義しています。
そしてこの内外の「帰属」には種々の歪みが生じることが知られていて、その歪みが「帰属のエラー」「帰属のバイアス」を生じさせます。
例えば、人は他人の行動は「内面」=(その人の気質や個性的な面)に原因があると考え、自分の行動は「外側」=(他の状況的な面)にあると考える傾向があります。これは「帰属バイアス」の一種であり、「行為者・観察者バイアス」と呼ばれるものです。
「帰属バイアス」というものは、現象の原因を何かに帰属するときに作用する「認知のバイアス」であり、認知バイアスは「様々な作用によって事実を歪めてしまう判断」のことです。
つまり「行為者・観察者バイアス」は、「他者の行為」はその人の内的属性によるものに原因帰属させ、「自身の行為」は外的要因として外的帰属・状況帰属させる傾向といえますね。
そして、ある人の行動が「その人以外の外的圧力・負の作用」が大きい場合であっても、人はそれを「行為者自身の内的属性」として過度に原因帰属させてしまう傾向があり、それを 「根本的帰属の過誤」といいます。
ですがこれは文化によって差があります。例えば日本人とアメリカ人の原因帰属の違いは、感覚としてよくわかると思いますが、そのことに関連する記事を以下に紹介します。
「文化間(日本とアメリカ)で原因帰属の仕方に違いはあるのか?」より引用抜粋
社会心理学では、セルフサービング・バイアスという用語があります。これは、一般に人は、成功した場合には、自分の能力や努力といった内的なものに、失敗した場合には、課題の難しさや運といった外的なものに原因帰属しがちであるという理論です。
つまり、成功を自分の手柄にし、失敗に対する非難は、できるだけ避けようとすることをセルフサービング・バイアスと言います
(中略)
これは、北山(1998)が行った成功と失敗の帰属における日本人を対象とした研究です。これをみると、自分の成功は、運や状況といった外的要因に、そして自分の失敗は能力や 努力といった内的要因に帰属されることが多く、自分の価値を高めるどころか、逆に減じるような自己批判傾向が強いということが分かります。もちろん、日本人は、みんなこのようになると言うわけではありません。しかし、なぜこのような結果がでたのでしょう?
それは、日本という集団主義の文化では、人々の調和が重んじられ、個々人の資質が優れていることよりも、自分にとって望ましくない情報を自主的に取り組み、自己のあり方を周囲と調和するように調整する文化であるためです。
反対に、アメリカにおいてセルフサービング・バイアスが生じやすいのは、個人の中の優れた資質を発言することに価値を置いている文化であるためです。
(中略)
成功と失敗の原因帰属に及ぼす気分の影響を検討したフォーガスら(Forgas et al.,1990)の実験です。この実験の結果だけを簡単に述べると、楽しい(ポジティブな気分になる)ビデオを見た後の被験者は、自他の成功や失敗について、成功を能力や努力に帰属し、失敗を運や状況に帰属する傾向があったのに対し、
悲しい(ネガティブな気分になる)ビデオを見た後の被験者では、自己卑下的な原因帰属(成功を運や状況に、失敗を能力や努力に帰属)する傾向が見られました。
よって、成功・失敗に関する原因帰属をする際には、個人的な特性だけでなく、その時の感情(気分)も関わってくるということを十分念頭においてください。
– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
引用元⇒ http://www.chs.nihon-u.ac.jp/pe_dpt/mizuochi/sposin-e/kojin/kousaku/newpage6.html
↑上の記事の終わりの方に、
〇 楽しい(ポジティブな気分)⇒ 「自他の成功」を「能力や努力」に帰属し、「失敗」を「運や状況」に帰属する傾向。
〇 悲し い(ネガティブな気分)⇒ 「成功」を「運や状況」に、「失敗」を「能力や努力」に帰属する「自己卑下的な原因帰属」の傾向。
という実験結果がありますが、これは昨日書いた「悲観」「楽観」をテーマにした記事とも関連します。「心の状態」が「現実の受け止め方に影響する」わけですね。
昨日の記事は「能力・生きる意味」という、やや深い内容を含んだものですが、紹介しておきます。
「過度の責任帰属」と「原因帰属のエラー」
例えば「虐待やイジメ・パワハラ」という外的な負の作用が今現在起きている時に、それらの「外因」を自身の内的な原因帰属にする、されることがありますが、
それを「内的帰属」にした場合、「過度の責任帰属」となって、押しつぶされてしまいます。これは被害者側の「原因帰属のエラー」ですが、そうさせたのは「外的帰属バイアス」の高い「加害者側の心理操作」であることもよくあります。
つまり「過度の責任帰属」を相手に押し付け全てを「自己責任化」させ、自身の行為は正当化している、というわけです。
それは加害側の「原因帰属のエラー」であり、強い側の外的帰属による「責任回避」なんですが、ここに日本人の大好きな「自己責任論」が悪用されると、むしろアンフェアで理不尽な状態に固定されてしまうんですね。
権力者・毒親・いじめっ子・パワハラ上司・カルト系教祖・犯罪者たちがよく使う常套手段ですので、そういう輩の心理操作や主張によって、「過度の責任帰属」の状態にされ押しつぶされないようにシッカリ覚えておきましょう。
「今ここで起きていること」への即時の対応
「個々の自我・主観の形成」には「外的な環境・干渉」が作用しています。そういう意味では、「現在の自我の状態」は過去・外因に条件づけられて形成されたものではありますが、
「自我の生み出す苦」への私的なアプローチでは、「今ここで起きていること」への即時の対応であり、あくまでも「それぞれの今の内的状態」に向き合うことであり、
その場合は、原因を「過去・外」に求めても「内的な状態」は本質的に解決しない、ということをここでは書いています。
例えばあなたが喫煙者だと仮定して、どうしてもタバコをやめられず肺がんになったとします。そしてそこでそれを外因としてタバコ会社を訴えても、当然それで肺がんは治せません。
身体の病気の病因は「外因と内因」に分けられるものですが、これは心の問題もそうなんですね。社会的な力学・家族の力学・地域コミュニティーや会社・職場での人間関係など、外因となるものは様々です。
外的環境からの負の影響力・心理的負荷の強弱は人それぞれですが、そのメカニズムを知識として理解しておくことは意味があるし、それを深く分析し、より良いものを作っていこうするアプローチも大事でしょう。
多くの人々が心・精神の病になるような社会環境ではなく、そうならない、あるいはなりにくい社会環境を考える、ということも必要だからです。
ですが今現在「心・精神の病や心身のバランス異常」を起こしている人にとっては、それを治療・回復することが一番大事であり、また「過去の否定的な記憶・体験の分析」よりも、「今ここ」で起きている「現在の内的状態」のみに意識を向ける方が、治療・回復に直結するわけですね。
外因や構造は「客観的」に理解しつつもそれに囚われる在り方は一旦置いといて「今の自身の状態」に取り組む、ということです。
どういう作用を受けたにせよ「結果として今なっている、実際に起きている心身の内的なバランス異常・機能異常」が、苦や病を生み出している一番直接的な現実であり原因だからです。