深層心理学と脳科学と東洋の感性的アプローチから見た「意識とその内奥にあるもの」
西洋・東洋の科学と感性による認識とアプローチの対比表
この対比表は、「深層心理学」を基準に、Ⅰ~Ⅲにジャンルを分けています。
Ⅰでは深層心理学と脳科学、そして東洋のアプローチが意識のどのレベル
に対応しているかを見ています。
Ⅱでは深層心理学と宗教、精神世界、近代合理主義を対比しています。
Ⅲでは深層心理学とその他の様々な「意識を変容する技術」を対比しています。
いずれも、どのレベルの意識に対応しているのかを深層心理学を基準に当て
はめていますが、これは絶対この位置であるという意味ではなく、起点となる
意識の位置、あるいはメインに働く位置、関係性が深い位置ということです。
この票だけでは足りない部分は、具体的な補足を表の後に続けて書いている
のでそちらをご覧ください。
Ⅰ深層心理学 | 顕在意識 | 潜在意識 個人的無意識 | 無意識(体含む) 集合的無意識 | 遺伝的素因 両親・祖先 | 無 |
・脳科学 | 大脳新皮質 左脳・右脳 | 大脳辺縁系 大脳基底核 (右脳) | 小脳・脳幹 脊髄・臓器 | 遺伝子 | 無 |
・唯識説 | 六識 | 末那識 (個人的) | 末那識 (集合的) | 阿頼耶識 (出生後) | 阿頼耶識 (無明) |
・ヨガ | 理知鞘 | 意思鞘 | 生気鞘 | 歓喜鞘 | 真我 個生命原理 |
・気功・タオ | 表層意識 | 想念の領域 | 後天の気 丹田 経絡 | 陰陽の気 先天の気 | 根源の道 (タオ) |
Ⅱ深層心理学 | 顕在意識 | 潜在意識 個人的無意識 | 無意識(体含む) 集合的無意識 | 遺伝的素因 両親・祖先 | 無 |
・アニミズム シャーマニズム | ヒトの意識 | 精霊の領域 | 集合的(民族) 無意識 | 太古の人類 生命の無意識 | 無 |
・伝統宗教 | 信心・信仰 宗教道徳・理性 | 神・教義・印象 | 集合的(民族) 無意識 | 無 ⇒ | |
・ニューエイジ 精神世界 | 精神世界の 道徳・理性 | 霊的観念・印象 | 無 ⇒ | ||
・啓蒙主義 近代合理主義 | 科学的思考 社会道徳・倫理 | 脳科学と同じ ⇒ | |||
Ⅲ深層心理学 | 顕在意識 | 潜在意識 個人的無意識 | 無意識(体含む) 集合的無意識 | 遺伝的素因 両親・祖先 | |
・ヨガの種類 | ジュニアナヨガ | クンダリニーヨガ | ハタヨガ(準備) ラージャヨガ | ||
・ヨガの浄化 技法 | 瞑想 | 禁戒・勧戒 | アサナ(準備) 調息 制感 凝念 | (有意識) サマディー | (無分別) サマディー |
・仏教の技法 九次第定 | 色界禅定 | 色界禅定 | 無色界禅定 | 無色界禅定 | |
・気功の技法 | 静功・動功 | 小周天・他の静功 (深いレベル) | 大周天・動功 (深いレベル) | ||
・精神医学 | 向精神薬 | ||||
・心理セラピー | 認知療法 カウンセラー (一般レベル) | 箱庭療法 音楽療法 カウンセラー (変性意識を使用) | 食事療法 森林療法 動物介在療法 | ||
・その他 癒し効果 元気回復効果 のあるもの | 名言・美しい言葉 ポジティブな言葉 アート(美しいもの) | アロマセラピー ハーブ アート(感動するもの) アーユルヴェーダ 笑い・ユーモア | アーユルヴェーダ 体幹トレーニング 丹田呼吸 チベット体操 武道・武術 漢方・鍼灸 |
今回は、形而上的な領域・思想的なテーマを主に感性アプローチで考察しています。
まず深層心理学の意識の構造として、顕在意識・潜在意識(個人的無意識)・無意識(集合的無意識)・遺伝的素因(先天的無意識)に分けています。
「心」は、顕在意識無意識(集合的無意識)までを含む領域の総称で、無意識(集合的無意識)は、原初の観念的な集合的無意識以外にも、「体」という生物学的な条件付けとしての無意識も含んでいます。
精神は主に顕在意識(大脳新皮質・左脳・右脳)を起点に発生し活動するもので、その機能は潜在意識や無意識(集合的無意識)にも及んでいますが、メインの位置は顕在意識です。
「自我」は「私という感覚の中心」であり、「観察者」でもあります。この中心は状況・状態によって移動し、その強弱や大きさも変化します。「自我」は相対的なものであり、絶対的なものではありません。
「観察者」たる意識のスポットが無意識(集合的無意識)に当たっている場合と、潜在意識の場合と顕在意識にある場合とでは、それぞれ質の異なる現実感覚や認知、を経験するでしょう。
そして「スポットの位置を変えながら、意識の全体性を主観的に体感的に感性的に掴み観察する技術や知恵」が、古来の東洋的な修行には含まれています。
意識の全体性を掴み、理解し、無意識の様々な機能を統合していくことが人格の統合に繋がりますが、そのプロセスで広大な無意識の領域の諸要素に囚われ一体化してしまうならば、たとえばそれが過剰な自己肥大や狂気にもなり、人格の未統合になり失敗してしまうでしょう。
古来の賢明なる人々は、広義の意味でその全てを魔境・魔界といって注意を促していたのですが、現在では、その魔境・魔界は部分的な範囲に狭められており、本来の広義の意味での魔境・魔界の人々が、新興宗教を立ち上げたり精神世界にハマるというパターンが増えています。そしてその中の一部がカルト化します。
ですが広義の意味での魔境・魔界が全て悪いのではなく、そのギリギリの境のところで垣間見たものを表現するならば、そういう正気と狂気の境界にあるような人々の一部の中から優れた芸術や発明が生じることもあるのです。
天才と狂気が紙一重なのは、意識のスポットの位置と無意識へのアプローチの深さが一般人と違うからなのです。
ですので、いかにそれらの広義の意味での魔境・魔界状態にならずに、無意識の領域をありのままに観察し、同時にそれらの機能を理解しつつ統合し調和させて人格を統合していくか?というのが目標テーマのひとつであり、
そして人格の統合された状態で、同時に無意識のパワーと機能を生き生きと顕現化させるためにはどうすればよいか?というのを探求していくことも目標・テーマのひとつです。
顕在意識・潜在意識(個人的無意識)
集合的無意識・遺伝的素因
顕在意識
理性・思考・個人的感情・イメージ。顕在意識は自他の区分が完全に明確化して個別・分離化している意識。潜在意識・無意識が分離・抑圧・統合された意識(通常の場合)。人によっては顕在意識が薄い場合もあり、また潜在意識・無意識の分離・抑圧・統合の状態は人それぞれ異なる。
※右脳は潜在意識と顕在意識双方にまたがる
潜在意識
個人的無意識・後天的無意識(フロイトが無意識と呼んだ領域)この領域には個人的なもの以外にも、生物学的な感情と原型の投影による集合的無意識のイメージ化も同時に生じ混入している。
※自他の区分が明確化はしていないが、形状記憶体(比喩表現です)によって個別・分離化している意識。この部分に「負の形状記憶」がある場合、それがトラウマとなる。
※右脳は潜在意識と顕在意識双方にまたがる。※大脳新皮質-大脳辺縁ループ、大脳皮質―基底核ループによって、顕在意識と潜在意識は相互に情報伝達をしている。
無意識(集合的無意識)
集合的な無意識領域であり、集合的な観念の枠組み以外にも、臓器を含めた全細胞の生命意識(遺伝子からの投影)を含んでいる。
※自他の小さな区分けはないが集合的(種的)な大きな区分けが存在し、普遍的な人間の心・生物学的な原初の観念の枠がある
※脳幹は大脳基底核と通じて大脳新皮質と情報伝達の流れを形成している。
※身体の固有感覚は、脊髄を通じて小脳・大脳皮質に情報伝達される。
※脳幹に含まれる橋は、大脳と小脳、大脳と脊髄の情報を中継する機能を持つ。
遺伝的素因(両親・生命の無意識領域)
この領域には、両親や先祖、進化の歴史における地球生命の記憶情報が、具体化・イメージ化されていないまま抽象的な元型のひな型(遺伝)として子孫の無意識に転写されている。
遺伝子は両親から引き継ぐものと、進化の歴史で刻まれた人類および生物学的な総合的生命情報であり、生物学と心理学はここで最奥の心・精神の発生の原点が同一になる。
この先に何があるのか、それは形而上のテーマがメインになるため、科学的な分析では触れることが出来ない領域になる。
たとえば仏教の唯識説では、阿頼耶識 (無明)という、生前・死後にも存在する原因の概念があり、この根本原因にアプローチすることで、ようやく根源的な解放が訪れるとする。
ヨガ・バラモン教では、「真我 (アートマン): 個生命原理」が最奥に存在し、「個の生命原理 」に対して「ブラフマン:宇宙生命原理」が存在し、この二つが一体化する「梵我一如」を最終的な状態とする。
仙道でも、その内奥には、根源の道 (タオ)ー宇宙原理が存在し、そこから全てが生まれてくるという概念がある。
これらの形而上の領域の証明は、現代科学的には非常に困難(おそらくずっと無理だろう)であるため、感性的な相対的な認識と理解に限られてくるでしょう。
アニミズムから啓蒙主義まで無意識領域での大きな変革
アニミズム・ シャーマニズム
アニミズム・ シャーマニズムは、太古の人類そして現代ではインディアンなどに見られる原始の宗教です。日本でも古神道や自然観・文化に中に、それがまだ色濃くみられます。
アニミズム・ シャーマニズムの発生は、集合的(民族的) な無意識との自我の一体化状態から自然発生的に生まれます。大きなレベルでの自他の区分けは存在していますが、自我の細かい個別化はまだ存在しません。
普遍的な人間の心・生物学的な原初の観念の枠から生まれるアニミズム、シャーマニズムは、遺伝的素因(太古から引き継ぐ人類・生命の無意識領域)と繋がっています。そのため自然崇拝になります。
原始時代のヒトおよび、土着の自然文化の中で暮らす人々は、大自然の生命の集合的な無意識とヒトの種としての集合的な無意識を共有しているのです。
東西の伝統宗教
そこにより組織的で人間的な「宗教」が登場します。これは政治的であり、同時に文化的な形式としての宗教のことです。ですがアニミズムや シャーマニズムに見られる以下の特徴はまだ有しています。
●形式として目に見える儀式・礼拝など
●神の代理人・仲介者としての司祭による説法など
●神・教義・偶像・芸術作品などによるイメージ・象徴・印象
●集合的(民族的)な無意識の大きな区分けが存在している
●普遍的な人間の心・生物学的な原初の観念の枠から生まれる
伝統宗教(政治的・文化的な形式としての宗教)の役割は、集合的な無意識から、ヒトと自然界を分け、大自然の生命意識と一体化した原初の集合的無意識から、人間的な要素だけを分離させる第一段階となったのです。
その分離性がもっとも強いのはキリスト教であり、人間中心・理性中心の意識へ向かうことで、西洋の科学的思考や合理主義の発達にも繋がった。
そして皮肉にも自らが発達させたその要素によって、キリスト教の神は生命力を失ったんですね。なぜなら神の生命力は集合的な無意識から生じるものだからです。
ニューエイジ・ 精神世界
そして西洋の伝統宗教が近代合理主義の影響で力を失っていく中で、ニューエイジ・ 精神世界というものが登場し、その後活発になっていきます。ここにもアニミズム、シャーマニズムにみられる特徴があります。
●形式・儀式・作法
●神の代理人・仲介者(チャネラーやマスター)による説法
●信心・信仰と精神世界的な道徳・理性
●神・教義的な霊的世界観・イメージ世界・象徴
精神世界・スピリチュアリズム運動の根底に無意識的に働いていた「役割」は、近代合理主義への移行に伴う大きな時代の流れの過程で、
宗教から「組織的・権力的・政治的・民族的」な集合的無意識の要素を抜き取り、(例:クリシュナムルティに見られる宗教権威と形式の否定)
そして東西の宗教の各エッセンスを集めて体系化し、個人的に実践するための「汎用性の高いモデル・形式」に変換しようとしたプロセスであり、(例:ニューエイジの生みの親である神智学とシュタイナーの人智学など)
「古来の人類の知恵の共有化」と「実践の個人化」への移行の過程では、「霊的な自己肥大者」の増大やカルト化などの病理現象は生じたが、
それは近代合理主義化への移行に伴う必然的な病理であり、結果的に無意識下での巨大な「中心点」の移行は徐々に果たされていった。
精神世界から近代合理主義・啓蒙主義への移行化
だが精神世界は「宗教から集合的な無意識の力を抜いたもの」であるため、その影響領域は伝統宗教以下であり、個人の潜在意識・個人の無意識の範囲に止まる。
まして無意識に実践的に働きかけていく古来からある伝統的技法には全く及ばない。よってそれは現実においても、また無意識領域においても役に立たない代物と化し、自己満足のオカルト世界になったのです。
つまりそれが、近代合理主義・啓蒙主義へ向かう時代の波が人々の無意識に与えた影響から生まれたものだったんですね。 それによって現代人は心の厚み・深み・繋がりを失い、
ますます無意識の意識化からは遠ざかり、表層意識をメインに自覚する理性的で知性優位の「アタマデッカチ」な存在となっていったのです。
その傾向は近代化が進んだ社会ほどさらに強くなって、人々は自他の区別がますますハッキリして細かく分離し思考優位になり、心・感性はどんどん浅くなり、
そして小さなことが気になりせっかちで、他者への大らかさを失った不安定な自我同一性(アイデンティティー)を形成していきます。
グローバル化が進み、がんじがらめに合理的に制御された社会システムの中で、無意識がさらに抑圧された結果は、個の自我の不安定さと危機をアチコチに作り出し、無意識はさらなる不可知の深淵にされ、そして「得体のしれない心の闇」にされてフタをされてしまいました。
昔は「無意識の領域」を、象徴的な形で物語や宗教的な元型イメージで伝える保護作用があったことで、人々は自我同一性(アイデンティティ)の不安定さと危機状態から守られてもいたのです。
それがなくなったことにより、自我同一性(アイデンティティ)の不安定さと危機状態に陥った人はむき出しのままで「無意識の領域」に飲み込まれ、心・精神の病となり、あるいはカルトや新興宗教にハマったりしてしまうのです。
なので現代社会のこの在り方が、心・精神の病、カルトや新興宗教を必然的に生じさせる土壌でもあり、大きな病んだ母体でもあるのです。
私が「一部の精神世界・オカルトの盲信者や一部の新興宗教」を否定しつつも、「宗教自体、アニミズム・シャーマニズム」などは否定しない理由は、そこにはたくさんの文化的な知恵が込められた保護作用があり、集合的な無意識を共有した民族的なシンボルだからなのです。
もちろんこれを、国や政治が庶民を扇動しコントロールするために悪用するのは害悪しか生みませんが、文化として民族・一般庶民の無意識を保護するという意味では、本来とても有用なものなのです。
無意識を超えるものはあるか?
空性 梵我一如 滅尽定 という東洋的な超越的概念は、形而上のさらに上の概念とも言えるようなものですが、このようなものは到底、科学的な検証はできないでしょうし、
そのようなものがあるにせよないにせよ、客観的にそれを理解することさえ出来ないでしょう。
ですが通常の観察可能な意識の領域ですら「定義不能な何か」「わからないこと」「謎」は存在し、また通常とは異なる意識状態においては「感性的にリアルに体感するもの」があるということは確かなのです。
そしてユング心理学のテーマというのは,悟りに向かうのでも現世を否定するのでもなく、価値の主体である自我を集合的無意識との一体化状態から分離し守りながら、同時に無意識の力を引き出して意識化(個性化)することで自我を確立し、人格を統合することなのです。