「身体化された知」 植物の心と思考

今回は「身体化された知」 「植物の心と思考」がテーマです。まず最初にヒューマニエンス「“指” ヒトとサルの分岐点」に関連する外部サイト記事を紹介しています。

 

「指を高度に制御するための筋シナジー」 より引用抜粋

この高度な指を制御するシステムは現在でも謎を秘めているという。指を動かす筋肉は片手で29個もあり、この筋肉の動作の強さが10段階あるとしたら、合計で10の29乗と言った膨大な組み合わせを制御する必要があることになるのだという。これはスーパーコンピュータを使用しても到底不可能な数である。

この制御システムとして筋シナジー仮説というものがあるという。大脳から指を動かす指令は29個の筋肉に直接行くのではなく、途中の中継地点までは1つの通路で、そこから29個の筋肉に各指令が行くようになっているというのである。この仮説を証明するためにニホンザルを使った実験の結果、脊髄に筋シナジーにに関係する細胞があることが分かったのだという。つまりは「握る」という指令が脳から脊髄に伝わると、それで脊髄から個々の筋肉のコントロールを行う信号が行くようになっているということである。脳は複雑な指示を個別に出さず、複雑なコントロールは脊髄に丸投げすることで負荷を軽減しているのだという。

– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)

引用元⇒ 指を高度に制御するための筋シナジー

 

上に紹介の記事に「脳は複雑な指示を個別に出さず、複雑なコントロールは脊髄に丸投げすることで負荷を軽減している」とありますが、実は「脊髄」を動作の根本とするのは、東洋的なメソッドではずっと昔から存在し、それを様々な概念で表しているのです。

「背骨」は武道においても重要なんですが、他にも身体には直観的に知られていた様々な能力や感受性が在ります。

話は変わりますが、「身体化された認知」についての初学者向けの本として、レベッカ・フィンチャー・キーファー著「知識は身体から出来ているがあります。

 

ではここで、ダミアン・ハースト『 桜 』の舞台裏に迫るドキュメンタリー動画を紹介です。

 

花はなぜ美しいか 1. : 昆虫と受粉

「ホヤやサンゴの研究から人間の生き方を問い直す。沖縄科学技術大学院大学教授・佐藤矩行さん【インタビューシリーズ「未知の未来が生まれる出会い」】」 より引用抜粋

動物というのは、結構、悲しい生き物ですよ。植物は光合成できるので、自分たちだけで生きていけます。しかし、動物はエネルギーとして他の生き物を食べて生きる必要があります。

自由に動くことができるから動物と呼ばれるわけですが、これは動かなければエサが得られないから動いているだけなのかもしれません。動かなくても生きていけるのであれば、そうしたかったのかもしれないなと思うこともあります。

ホヤは岩にくっついて2つの口を開けていれば、エサとなるプランクトンが海水から入ってきてくれます。これはある意味で最高の姿ではないでしょうか。

– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)

引用元⇒ ホヤやサンゴの研究から人間の生き方を問い直す。沖縄科学技術大学院大学教授・佐藤矩行さん【インタビューシリーズ「未知の未来が生まれる出会い」】

 

これはよく考えることですが、「人間の業、根深い問題」は「人間の身体(ヒト)」にその根があり、「身体の構造そのもの」が変わらない限り根本的に解決しない、という本質があります。

とはいえこの身体も自然界が生み出したものであり、身体は自然界と共あるもので、身体だけ人為的に変えても自然界と調和できないため、やはりだめなんです。つまりニンゲンはヒトを超えられない、という有限性が常にあり続ける。

そしてこの有限性こそ、人間にとっての普遍的な法則ということですね。

 

植物の心

子供の頃、植物や虫を観ながら、植物には目も耳も舌も脳もないのに、どうやって「ある虫が蜜の味を好むこと」、「ある虫が不快な臭いを嫌がること」「毒で死ぬこと」「虫が移動すること」、「自身(植物)を守る虫」と「自身に害をもたらす虫」を知ったのだろう?

と思って先生とか周囲の大人に聴いたのですが、「共進化」の話くらいしか出てこず、「共進化したから」では答えになってなくて、「植物は目も耳も舌も脳もないのにどうやって虫の特徴を見分け、毒を生成したり、美味しい味を生み出したり、種が風で飛ぶようにプロペラまで生み出したり出来るのか?」という問いで、

「美味しい味」を作るには「それを味わう虫・動物がどんな味を好むか」を知らなければ、その虫・動物に適したものを作れない、味がくそマズければリピーターになってもらえない。

何かたまたまヒットした、というには蜜も果物もあまりによくできている。「うまい!うまい!うまい!」 と煉獄さんのように次から次へと実を啄ばむ鳥たち、花に集まる蝶、蜂、その他の虫たち。

植物は何故あんなものを作れるのか?それに果物のような「被食散布」だけでなく、「風散布(風に乗せて種を遠くに飛ばす)」や「付着散布(他の生き物の体に種をくっつけて遠くに運ぶ)」もそうですが、

風散布において、まず植物は「風」をどうやって知ったのか? たとえばタンポポの種が飛んでいく時、「浮いて」飛んでいくし、イロハモミジの種にはプロペラがついていて、「回転して浮力を生み出して遠くに飛んでいく」わけですが、

「風」「浮力」「空気抵抗」をどうやって植物は知り得たのか? 空間を知り、空気を知り、風を知り、重力を知ることなしにそれは生み出せない。

付着散布も「動物の毛」にくっつけるわけですが、植物は「動物の身体の特徴(毛が生えていること)や、動物が「動いて遠くに移動する存在」であることをどうやって知ったのか?目も耳も鼻も舌も脳もないのに。

そして「花の色」もそうですが、「虫媒花(昆虫に花粉を運んでもらうタイプの花)」の花にはネクターガイドと呼ばれる「花蜜標識」がありますが、

これもやはり「共進化したからです、キリッ!」みたいに返答されちゃうわけですが、それは私の問いの答えにはなってないんです。

また蜜蜂(昆虫やクモ等)には「紫外線が見える」ことが知られています。そして花を人間が観る時は可視光線で見ていますが、昆虫には紫外線が観えているので、「花の見え方」が人間とは違うんですね、

だから虫媒花の蜜の場所がピンポイントでわかる、それがネクターガイドと呼ばれます、と少し細かく説明したところで、それは問いの答えではないのです。

他にも「食虫植物」で有名な「ウツボカズラ」の捕虫嚢も、「紫外線反射」の原理と「蜜」で虫を引き寄せますが、「色」と「蜜」で相手を騙す、これぞ本物のハニートラップです。

また「昆虫が花や葉っぱ等に擬態する」のはよく知られていますが、「花が昆虫に擬態する」という逆パターンもあります。

欄の一種のビー・オーキッド(蜂蘭)の花は、「メスの蜂」に擬態しメス蜂の性フェロモンに似た香りまで出してオス蜂を誘導するよう進化しています。これはビー・オーキッドに「メスの蜂の形や匂い」が先にわかっていないとできない芸当です。では一体どうやって知ったのでしょう?

そしてもっとビックリな奴がいます、なんとインドネシアには「ネズミの便器」まで作り出したウツボカズラの仲間「ネペンテス・ラジャ」が存在しますが、もうここまでくると笑っちゃいます。「どうしてネズミの便器なんてつくったの?」といえば「フンから栄養を取るため」です。

しかしこれを造るにはまず、「ウンコする動物(ネズミ)がいること」「ネズミの体のサイズ」「ウンコする時の姿勢」などがわかっていないとデザインできないんです。以下に動画を紹介。便器そのものでしょう、コレ。

 

植物はじっとしていても忙しい? 驚異の多様性を誇る植物の魅力と不思議 植物学者・塚谷裕一 さん

 

ネクターガイド・捕虫嚢も同様に、「昆虫の眼に自身(植物)がどう観えているか?」を「植物側が知ってなくてはならない」、ではどうやって知ったの?という問いです。

そして虫媒花は「花粉を運んでもらうかわりに報酬として蜜を与える」わけですが、「報酬」というからには「美味しいと相手が感じる味でなくてはならない」、クソ不味いものもらって植物の繁栄のために何度も行き来するほど野生動物は暇ではありません。

植物はどうやって「相手の視覚(世界の見え方)」がわかり、「相手の味覚の好み」がわかったのか?という問いです。と、まぁこんな感じのことを小学生の頃に(植物以外にも他の事においても)悶々と考え、大人たちに質問するような変な子供だったのです。

まぁそれはおいといて、「五感」という概念はアリストテレスが定義したものですが、(あんな昔にそんなことまで考え抜いて概念化するとは、アリストテレスは超絶的に変な子供だったことでしょう。)

植物に五感がないとするなら、植物は「セブンセンシズ」に目覚めているのか?(セブンセンシズ:あまりにも古すぎて最近の人は殆ど意味わからないでしょうけど、聖闘士星矢という古き良き漫画に出てくる言葉です。)

以前、私と似たような問いをしている子供のことが書いてある本を読んだことがあります。(その本の題名は忘れたのですが)記憶では、「毒ガエルはその毒が相手に効くことをどうやって知ったのか?」みたいな疑問で、

カエルが「相手が確実に死ぬところ」を確認し「おっ、これは効いたぞ!」という実験や検証の過程もなく、どうやってあんな完成度の高い毒を生成できるようになったのか? そんな意味のことが書かれていて、

本では答えは書かれていなかったのですが、世の中には私と似たような変わった子供がいるなぁ、と苦笑しました。

しかしカエル(毒蛇とか毒を持つ虫も同様)はまだわかるんです。カエルは「耳」ではなく「肺」を使って「音」を聞いていると言われますが「聴覚」があり、視覚があり、嗅覚があり、味覚がある。「蛙の面に水」と言うように、「何も感じてない奴」みたいに例えられますが、ちゃんと五感と脳がある。

昆虫の体性感覚神経回路の構造を解明ー哺乳類との高い類似性を発見。脳が共通の祖先から進化した可能性が高まるー

毒ガエルや毒虫などよりも「クラゲ」の方が植物に近い不思議さがあります。たとえばよく知られた「ミズクラゲ」ですが、「仲間のクラゲは刺さない」といわれています。

つまりクラゲは脳も心臓もなく目も耳も鼻もない動物なのに「相手を見分けている」、ではどうやって?やっぱりセブンセンシズに目覚めているのか?

「セブンセンシズはありまぁす」と言ったら中二病と言われるでしょう、しかし人間の五感とは異なる別の感覚がある、それをとりあえず一旦「セブンセンシズ」とラベリングしておきましょう。

ではこの「セブンセンシズ」とは何か? もちろん「コスモを高める」ことではありません(笑)

 

「身体の思考」

ヒト(および狭鼻猿類)は世界を「三色視」で捉える。これは「色」が「光」についているのではなく、「色は脳の中にある」ということで、「赤・青・緑」を感知する「色覚受容体」を持っているからということですが、

「赤・青・緑」という光の色があるのではなく、ロング、ミドル、ショートの「光の波長」を変換しているということで、「3つのアウトプットの比率」が「さまざまな色」を決めるということ。

そしてヒトは3色型色覚ですが、他の動物では異なる場合があります。よく「奴は見る目が違う」とかいいますが、生き物は「光の捉え方」という意味で本当に「見る目そのものが違う」のです。

神経を持たない粘菌の原初的な知性に関しては過去に少しだけ書きましたが、植物はどうやって「相手の視覚(世界の見え方)」がわかり、「相手の味覚の好み」がわかったのか?という問いに戻ります。

ひとつひとつ詳しく書くと膨大な量になるので、ここで「植物の五感」についてわかりやすく科学的に書かれた本を紹介しておきますね。粘菌や細菌にせよ植物にせよ「身体」には驚くべき思考能力が備わっているわけです。

植物学者のダニエル・チャモヴィッツ氏の著書「植物はそこまで知っている」では、植物が「見ている、匂いを嗅いでいる、接触を感じている、音を聞いている、位置を感じている、記憶している」ことが科学的にわかりやすく書かれています。

ただ著者も批判している「植物の神秘生活」のような植物の感覚を過度に擬人化したような本ではなく、植物学の教科書的な本なのでおすすめです。

以下に今回のテーマと関連する外部サイト記事をまとめておきます。