対人コミュニケーションの多元性  文化的時間と対人距離・自閉症と共感性

 

 

今回は、「対人コミュニケーションの多元性」をテーマに、文化的時対人距離の違い、そして後半では「自閉症と共感性」などをテーマに記事を書いています。

 

言葉によるコミュニケーションを「バーバルコミュニケーション」、言葉を使用しない非言語コミュニケーションを「ノンバーバルコミュニケーション」といいます。

 

そして人は見た目ではないとかいいますが、第一印象の情報が9割とも言われます。これは言語情報に対して、視覚・聴覚情報が圧倒的に多いことが理由です。

 

私に限らず、感性の質の違いとか悪趣味でマニアックな人間などは公式通りではないのですが、まぁ一般的には「見た目・第一印象」は侮れないですね。

 

 

メラビアンの法則(3Vの法則)     言語情報:非言語情報の割合「1:9」

視覚情報 (Visual) – 見た目・身だしなみ・しぐさ・表情・視線 … 55%      ● 聴覚情報 (Vocal) – 声の質(高低)・速さ・大きさ・テンポ … 38%    ● 言語情報 (Verbal) – 話す言葉そのものの意味 … 7%

 

 

○  非言語コミュニケーション

➀ 人体   ➁  動作 ➂ 目 ④ 周辺言語 (パラランゲージ)     ⑤  沈黙  ⑥  身体接触  ⑦  対人的空間    ⑧  時間 (文化形態と生理学の2つの次元)  ⑨  色彩

 

 

5つの人体の動作

①  表象動作(エンブレム)  ②  例示動作(イラストレーター)    ③  感情表出動作(アフエクト・ディスプレー)
④  言語調整動作(レギュレーター) ⑤  適応動作(アダプター)

 

 

エドワード・T・ホール

 

文化的時間概念」「プロクセミックス」「ハイコンテクスト文化・ローコンテクスト文」を提唱した文化人類学者さんですが、これはとても面白く、様々な角度から考察したいテーマなので、複数回に分けて書く予定です。

 

 

Mタイム型システム

直線的時間概念で一事主義文化。低コンテクスト(文脈依存性が低い)

Pタイム型システム

多面的時間概念で多事主義文化。 高コンテクスト(文脈依存性が高い)

 

文化的時間概念(モノクロニック・ポリクロニック)から「人間 家庭 料理 心理 言語 文化 自然 宗教 発想  行動」を複合的に見ると、異文化コミュニケーションでの感覚差異だけでなく、それぞれの人のコミュニケーションでの感覚の差異がよくわかります。

 

PDF  「MタイムとPタイムの文化論」を参考に引用・抜粋しつつポイントを簡潔にまとめてみました。

 

 

型人間:specialist  職人気質)社員~課長 秀才系 例:最澄

型人間:generalist (物事の全体を見渡す)部長~社長 天才系    例:空海

 

○ ペットを愛する家庭:P型家庭   ペットなどを飼っていない場合:一般にM型的

 

的料理:西洋料理    的料理:日本料理      型言語:英語・ドイツ語・フランス語など    型言語:日本語      的心理:自分自身に対する厳しさ、賢さ、几帳面、論理的、客観的      的心理:人に対する優しさ、思いやり、いい加減、感情的、主観的

 

 

型文化: 農耕文化   型文化: 狩猟文化・牧畜文化・遊牧文化        型宗教:一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)    型宗教:多神教(神道、道教、ヒンドゥー教)

は教義的には、M的でもP的でもないと思われる(つまりそれを超越している)修行的にはM型宗派的

 

農耕文化からは多神教が生まれる。狩猟文化・牧畜文化・遊牧文化からは一神教が生まれる。性自然(豊かな自然) ⇒ 性文化(農耕文化)     性自然(厳しい自然) ⇒ 性文化(狩猟文化・牧畜文化・遊牧文化)

流れをまとめると、[性自然 ⇒ 性文化 ⇒ 性宗教 ]     [ 性自然 ⇒ 性文化 ⇒性宗教 ] ですね。

 

昭和 M期 ⇒ 平成 P期       ○ 工業 P段階 ⇒ 商業 M段階 ⇒ 情報産業 P段階

 

 

Mタイム人間  

[長所]   時間に正確・計画的・几帳面  [短所]   神経質・怒りっぽくなる   1つのことしかできない

Pタイム人間

[長所]   人間関係を大切にする   寛大・同時に色々できる [短所]   人に迷惑をかけてしまう   いい加減・約束を忘れる

 

 Pタイム型発想(=人望があり、寛大な発想を持つ)で、Mタイム型行動(=信頼できる行動)をとる人間はビジネスの世界では必要な人材。

Mタイム型発想(=緻密な職人技を磨くべく修行する気持ちを持ち)で、Pタイム型行動(=形にとらわれない自由な活動)をとる人間は芸術家や科学者の世界で重要な人材。

 参考PDF  MタイムとPタイムの文化論

 

 

 

空間の認知、対人距離、パーソナルスペース、なわばりなど

 

「空間認知における身体的・物理的媒介性: 対人距離、移動スピード」 より引用抜粋

1)密接距離:体温、息、におい、触感、視覚像の歪み、生理的不快感を起こしうる  近接相(0〜15センチ)愛撫、慰め、保護、格闘遠方相(15〜45センチ)ささゆき、ひそひそ

2)個体距離:人間の空間的ななわばり:「社会心理学者は個人の身体のまわりに泡のようにひろがるその空間を自我の延長とみなしている。

そこに他人が侵入すると自我そのものが侵されたような不安感が生じるからだ。」57頁(からだの前方が左右や後方のおよそ2倍、男は女の2.5〜3倍)

近接相(45〜75センチ)遠方相(75〜120センチ):触ることができる、表情が読め、個人的な話が可能

3)社会距離:互いに隔離する距離  近接相(1.2〜2.1メートル)、遠方相(2.1〜3.6メートル):非個人
的な話、

4)公衆距離:特定の個人としての特長が消える(人がアリにみえてくる)  近接相(3.6〜7.5メートル)、遠方相(7.5メートル以上)

– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)

引用元⇒ http://www.ccn.yamanashi.ac.jp/~morita/Subjects/phenomene/frame_droite2.html

 

◇ 他・関連PDFの紹介

  対人距離に関する性・年齢・魅力・親密度の要因の検討

 

 

自閉症と共感性

 

「自閉症の人は対人距離が短いことが判明――東大など」より引用抜粋

自閉症というと、人との接触を拒み、自分の世界に入り込むといっ たイメージを持ちがちだが、東京大学などの研究グループは、 「自閉症者は対人距離を短く取る」という研究結果をまとめた。
(中略)
研究では、12~19歳の自閉スペクトラム症の人とそうではない人が 他者といる時にどれくらいの距離(間合い)を取るのかを比較した。
(中略)
結果は、自閉スペクトラム症の人は80センチほどだったが、そうで はない人は150センチほどだった。
(中略)
研究グループでは、「自閉スペクトラム症の人は自分が他の人と比 べて対人距離が短いかもしれないということを自覚することで、

コミュニケーションの相手に好意や親密性を示していると誤解を与 えることを避けることができる可能性がある」とし、

「自閉スペクトラム症の人と自閉スペクトラム症でない人が、互い に相手の快適な対人距離に配慮することで、よりよいコミュニケー ションの達成につながることが期待される」と述べている。
– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)

引用元⇒ 自閉症の人は対人距離が短いことが判明――東大など

 

自閉症心の理論では、「共感性の本質的欠如(機能的欠損)」としての「心の理論の未達成」となるわけですが、私は「共感性の相対的な欠如(機能的差異)」だと感じています。

 

つまり「インプットの特定の感応性が高すぎることで統合的なアウトプット表現が出来ない」⇒「汎用性が低く特殊性が高い表現」となり、アウトプットされた「外側の特殊性が高い表現」だけを見れば「共感能力の欠如」とみなされても、

 

内側のインプットの多様性と躍動性」から見るならば、共感能力自体が欠損しているわけではない、という感覚です。仮に自閉症が社会の多数派ならば、感応性が低すぎる定型の方が「共感能力と認知の質の多様性の欠如」ともなるわけです。

 

発達段階は、「みなが一律のスピード」で進んだり「デジタルな短期的目線においてある均一の条件づけと反応型に最適化されること」が「絶対的な正常・健全な発達」とは私は考えてはいません。

 

ただ「環境適応的である方が生きやすい」、そして人間のような社会的生き物にとって集団における非適応的な状態は、「共感性の相対的な欠如(機能的差異)」であっても心理的負荷が大き、ということには変わりません。

 

なのでそこに過剰な心理的負荷が生じている場合は、内側(個)と外側(集団社会)の双方が調和的なものへと向かうアプローチによって、

 

多様性の中で互いが共に生きるために「どのように心理的負荷を減らし、肯定的な可能性に繋げるか?」という現実的な必要性が生じてきます。

 

自閉症と「非言語コミュニケーション」

 

メラビアンの法則に従えば、自閉症の人は定型の人にとって

 

➀ 視覚情報 (Visual) – しぐさ・表情・視線  ➁ 聴覚情報 (Vocal) – 声の質(高低)・速さ・大きさ・テンポ ➂ 言語情報 (Verbal) – 話す言葉そのものの意味

これらの情報から汲み取れる内容が乏しい、あるいは異質なので理解しずらい、ということになります。

 

なので定型発達的な基準からすれば、「情報不足」⇒「コミュニケーション不能」 ⇒「マインドブランドネス」という判断になるわけです。

 

ところがこの3Vとは異なる「非言語コミュニケーション」が存在し、また「非言語コミュニケーション」だけでなく、通常の思考の型、認知の型とは異なる対象の把握の質の多元性が存在します。

 

その質の差異とウエイトが定型と異なっている、だから「相対的な欠如(機能的差異)」と表現しているのですね。

 

そして「集団社会での対人適応性」という角度から見た場合に、「個」と「現時点での環境」との相互関係によって相対的に障害的である傾向性から、暫定的に「障害とされている」ということです。

 

◇ 関連外部サイト記事の紹介 – 2017 追加更新 -

子どもの「精神障害」はかなり誤解されている
〇 自閉症児の親たちが入り込む「フィルターバブル」の闇
〇  自閉症を理解したいなら、目をそらさないで

 

またコミュニケーションが上手く取れないという人の中には「場面緘黙」の人もいます(自閉症とは異なるものです)、関連サイトを以下に紹介しています。

 

 関連外部サイトの紹介

大人になるまでに自然に治したい場面緘黙症
緘黙症(かんもくしょう)とは? 話さないのではなく、話せない…症状、相談先、接し方まとめ

 

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