過剰適応と出口のない鬱屈 再帰的近代化と機能不全社会システム
今回は「現代の若者たち」の生きる再帰的近代化した社会の「出口のない鬱屈」の背景にある機能不全社会システムの構造がテーマで、外部サイト記事を幾つか紹介しつつ、やや「風刺的」に否定面を誇張した記事を書いています。
まず以下に引用するのは、現代の若者の心の構造と社会の変動を同時に分析したおすすめ本「ポストモラトリアム時代の若者たち」の書評の外部サイト記事で、内容がとてもわかりやすくまとめられているので紹介することにしました。
「ポストモラトリアム時代の若者たち」は僕の中で 2012年一番のスゴ本だった-書評-ポストモラトリアム時代の若者たち より引用抜粋
(前略)
地域や国を超えて標準化が進むと共に目的論的な世界が出来上がり、目的にそぐわないものが排除される。目的を見つけることが目的だった「モラトリアム」はいつしか消えていき、目的もあいまいなまま、プレゼンテーション能力や資格や飛びぬけた経験が求められるポストモラトリアムがそこに聳え立っている。
(中略)
トラウマとは、過去の失敗や環境に問題の原因をおき、そのせいで現在の自分は理想とはかけ離れた状態になってしまった、という心理状態を指す。スティグマ化とは、ここではもともとの社会からの汚名やレッテルという意味合いとは違い、自分の内面に「その行動をすると他者から異常とみなされてしまう」というモデルを内面化してしまうことをいう。
この二つは理想どおりに振舞えない原因を外部に求め、過度に行動や発言を恐れ脅迫化、不自由化するという共通点を持つ。
いわゆる世間体のように、変に思われてしまうと排除されてしまうのではないか、と自分で自己を過度に監視し、徐々に自身を失っていくのである。
もともとひきこもりなどに見られる特徴的なメンタリティが、強弱はあれど若者に浸透しつつあると筆者たちは指摘する。何度開き直っても再帰性は頻繁に襲ってくる。
ビジネス書ではかっこよくメタ認知として扱われ、ひとつ上の視点を持ち分析することで仕事を効率的に活性化しようと書いてあったはずだが、一部の若者たちは過剰にメタであることを求められ、結果的には逆に去勢されてしまったということであろう。
(中略)
息苦しさを感じている若者(別に若者に限らないのだが)は内部と排除された外部との間をさまよっているのだという。社会的に見ると若者にとって過剰に市場に適応することが現代の自分探しの行き着く先であり経済活動に取り込まれることが内部である。
(中略)
教育も労働も再帰性と排除されないためのルーティーンで満たされ心理的スティグマと現実的排除の間で身動きが取れない若者はこれからも再生産され続ける。
– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
再帰的近代化
ではここで「再帰的近代化」って何?という方のためにを以下の外部サイト記事を参考に紹介しておきますね。
「再帰的近代化」ってなに?
ベックやギデンズが現代社会の特徴を把握するために用いた概念。ベックによれば、以前の近代化は自然と伝統という目的・対象(Objekt)を近代化していく「単純な近代化」であった。
それは身分的な特権や宗教的な世界像を「脱魔術化」していく近代化である。しかし、現在、この近代化はその目的・対象を吸収し尽くして喪失し、自己を近代化していく段階に入った。
これが「再帰的近代化」である。現代社会の変容と課題を理解するためには非常に有効な概念。– 引用ここまで-
詳細 ⇒「再帰的近代化」ってなに
「宇宙人ジョーンズの弟・社会学者W」が見た日本という国 ➀
(※これは私の書いたフィクション記事で風刺的な誇張表現です。)
私は銀河系の外から地球観察に来た社会学者Wである。兄はCMに出て活躍中だが、私は現在、日本という国、この国の社会状況を観察中である。
この国は、
「場」に生じた「阿吽の空気」に反応出来ない人や異質な空気を持つ人は速攻仲間外れ、不適応・ 不適合者とされ、様々な否定ラベリングを妖怪キョンシーのように ーベタベタと貼られて身動きを封じられ、
そして笑いものにされたキョンシーを「郷に入っては郷に従え、わかったな」と集団で片隅に追いやる文化である。
だがこの国の阿吽の空気が生み出す調和と文化は時として非常に美しい。特に高倉健の「あ・うん」は、泣ける..。
この国は出る杭を打ち、そして「平均より外れ曲がり折れた杭」は二度と元に戻らないよう床底まで綺麗に打ち込む「杭を横並びしたがる平等文化」である。
だがこの国の「表向きの謙虚さ」は客の立場なら最高気分がいい。
この国は、たかが10分程度の「個人の遅刻」にすらガミガミうるさい(集団の秩序を乱す行動だからのようだ)にもかかわらず、
二時間以上のサービス残業でも甘受する、集団的行動であれば無駄とは考えない「赤信号はみんなで手を繋いで渡る」という謎の思考回路を持つ文化である。
だがこの国の新幹線の時間の正確さは素晴らしい。
そしてこの謎の思考回路に全く合わせないような場合、結構嫌な現象が多発する。
「みんなやってるのにお前だけ帰るのか?それでいいのか、お前は社会をなめているのか!これだからゆとりはさ!」などと白い眼の集中砲火を浴び「新型うつ」を発症する若者たち。
「深く深く落ち込んでください、大王イカが生息する深海500メートルまで」と精神的な追い込み漁をかけられる人々。まさに「強迫神経症」を疑う文化である。
だがこの国の潔癖なエンジニアの技術は素晴らしい。
集団多数派の意見に対して「空気を読まない目の覚めるような否定的見解」は 決して言ってはならない建前文化である。
仮にそんな真っ当なホンネを勇気を出して言えば、カリカリの煮干しになるほど、みなで丁寧にジックリ干してくれる「干し物文化」。
だがこの国の災害時の秩序ある集団行動は素晴らしい。
この「干し物」は「派手さ」があればアフターファイブの「庶民の祭り」のツマミとして還元され、「スケープゴート」と名の付けられた「嫌な味のする食べ物」として期間限定で出荷される。
期間限定だが、飛ぶように売れる。そして「人々が不愉快な顔で美味そうに食べる不協和な光景」に出会う。これはまさにこの社会の矛盾そのものの姿であるが、
この暗い祭りは何故か大いに賑わっているので水を差さずに眺めつづけることにしよう。
暗い祭りの期間が過ぎると、「スケープゴート」の需要と供給のバランスが崩れるので、別の誰かが干し物として出荷される。
この国は資源が乏しいとされているが、「スケープゴート資源」には事欠かない生贄と祭りの文化である。
だがこの国の祇園祭は素晴らしい。
機能不全社会システムの構造
なぜ努力は報われないのか? なぜ労働は二極化し、使い捨ての消耗品のように扱われたり、競争が弱肉強食化するのか?そして何故「結局金の問題..だよね」というドライな結論が出て来るのか?
「格差社会(3)様々な格差」 より引用抜粋
(前略)
ハーバード大学の研究者は、戦後日本の教育システムを「パイプライン・システム」と表現したそうである。左の図表9-1に示すように、学校システムは分岐のあるパイプとして表現され、生徒は、パイプの中を流れることによって、自動的に職業に到達する。(1)伝統的パイプライン・システム:
重要なのは、このパイプライン・システムは、「勉強という努力」が報われるシステムであった、ということである。勉強すれば、より上位のパイプラインに入ることが出来その結果、より良い学校に進めて、より良い企業に就職出来る。 職業教育は、入社後、各企業の責任で行われるので、学校教育で、必ずしも職業能力を身につける必要は無い。
(2)パイプライン・システムの漏れ:
1990年代後半から、グローバル化とIT化が日本経済に浸透したことにより、ニュー・エコノミーが日本にも押し寄せてきた。ニュー・エコノミーでは、物作り主体のオールド・エコノミーと違って、商品やシステムのコピーが容易である。
そこで始まったのが、コピーの元を作る人と、それをコピーする人+そのコピーを配布する人への分化、また、マニュアルを作る人と、そのマニュアル通りに働く人への分化である。
その結果、仕事の種類と内容が、大幅に変わってしまった。将来が約束された中核的・専門的労働者と、熟練が不要な使い捨ての単純労働者への二極化である。
オールド・エコノミー時代に存在したOJTを重ねて、未熟練工から熟練工へ、あるいは、単純事務職から管理職へと進む職業のキャリア・パスが消えてしまった。
そして、グローバル化により、旧来型の産業・職は衰退局面に入り、工場はアジアに移転した。また、IT化により、営業や事務、販売職といった熟練を前提とした正社員は不用となった。
ところが、日本では、職に応じて学校数や種別が調整されるようになっていない。
このため、従来のパイプラインの出口で受け皿となっていた職種が変化し、量も変化しているのに、今までと同じように学生を送り出し続けた。
この結果、学校を卒業したけれど、職に就けない卒業生が多数輩出することとなった。これが、フリ-ター問題の一つの原因でもあるが、同時に、勉強をしても報われない、という感覚をはびこらせた。
つまり、今までは有効に働いたパイプラインから洩れる学生が大量に輩出するようになったのである。それにもかかわらず、このパイプラインに代わるものが無い現状では、
やはり、このパイプラインを使わざるをえない。そこで、今まで通り、勉強をしてより良い学校に進もうと言う人も多数いる。
(3)教育のバトルロワイヤル:
「パイプラインシステムの漏れ」は、学校を出ても仕方が無いが、学校を出なければもっと駄目である、ということから、若者の意識に様々な悪影響を及ぼしている。学校に入った全員が、そこそこの職に就けるわけではない、という状況は、バトルロワイヤル、つまり、勝ち残った者以外は死ね、という状況である、と言ってよい。
このバトルロワイヤルに勝ち残れるのは、「ゆとり教育」で生まれた自由時間に「塾」で勉強をする若者である。
そして、「塾」に通うためには、それなりの経費がかかるから、結局、経済的に恵まれた家族の子弟が勝ち残る事となる。このことは、今ある「経済格差」を固定化することとなり、社会の流動性を損なう。
– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
引用元⇒ 格差社会(3)様々な格差
◇ 関連外部サイト記事の紹介
◆ 「一生ハケン」で幸せになれますか
◆ 身分なんて関係ない! 日本型正規雇用の落とし穴
「宇宙人ジョーンズの弟・社会学者W」が見た日本という国 ➁
この国の近くには韓国とか中国とか呼ばれる国があるが、「スケープゴート製造技術」に乏しく内需で賄えないため、主にスケープゴート輸入政策に頼り、日本をスケープゴートにすることで庶民のメシウマのふりかけを賄っている。
そしてこの国は打たれ強く懐が深く、小皇帝たちと火病を患う人々の強力な「恨」の解放のための「的」にされてきたことにも自虐的に協力的であったが、
最近は打たれ役に疲れてきたようで、「ほっといてほしい」と言い始めているところである。
この国は「良い子で真面目で空気を大事にする人々」に溢れているため犯罪率は低いが、幸福度も低く、
みなが「こうあるベッキー」を互いに強要しつつ「べきべき思考」に過剰適応したために鬱を量産し自殺を量産する。
そして本心ではそれに疲れていて、「Let It Go ~ありのままで~ 」という西洋アニメに心癒されるダブルスタンダード鬱屈文化である。
この国は、ナッツでリターンするほどの強力自我はなく、職務放棄で300人の学生の死を前に酒を飲みながら「頭のいい人間は生き残った」などと言える強力悪玉メンタルもない。
だがこの国の「スマップリターン」にはホっとした。
この国は「AVの制作・流通した80人を機関銃で処刑」するようなトンデモ級絶対者はいない。
だが、サムライの国だったはずのこの国の役人は、今は「奇怪なほど号泣する子供議員」やら、「税金使って見境なく女遊びする議員」やら「滅私奉公欲まみれ議員」やらの二重人格者に溢れている。
そして「絶対やってない」といいながら「ずっと前からやっていました」による往生際の悪い個人の不正も後を絶たない。
ただし日本ほどのスケープゴート内需率の高さを誇る国でも、多くの地味で歯ごたえがないその他の「干し物」はあまり にマズすぎて食えないし売れない。
よって金にならない多くの者達は特定の公的施設で 薬漬け処理されるか、市中引き回しの公衆サンドバックとして欲求不満の庶民のルサンチ マンのはけ口として気の済むまでボコられた後に、
ある程度の基準値に達した時点で再び社会(郷)に戻される、という長期的な「禊」という流れ作業のリサイクル工程に向かう。
それでもダメな場合は自主的な社会リストラの対象となり、社会から「目立たないように退場してもらう流れ」も完備されている。そしてハラキリ(自殺)工程に向かう。
社会上部と既得権益は手厚く守られ、下の非力な一般庶民は年間に何万人もハラキリする何とも過酷な自己責任システムである。
だがその頃既に、「これも自由意志での選択だ!」と信じ切っている点で、神だの来世だの陰謀だの予言だのを持ち出さなければ盲信出来ないカルト洗脳システムを遥かに凌駕する高度心理操作技術を持っている底知れない国である。
この国は、古き良き江戸時代もビックリな高度人間リサイクル&自主的な間引き社会システムを達成したのか!、と私は思い、我が星ですらこれほどの技術・システムを持たない点で、この国に完敗しているとを認めざる を得ない。