ヒトのユニークスキル  呪術とリュトモス

 

マックス・ウェーバーの「価値自由」「教壇禁欲」は、学問における重要な概念です。

価値自由とは、学問的な研究や教育において、研究者や教育者が自分の価値観や信念を持ち込まず、客観的かつ中立的な立場を保つことを指します。ウェーバーは、学問の目的は事実を明らかにすることであり、個人的な価値判断を排除するべきだと主張しました。

教壇禁欲は、教育者が教室で自分の政治的・宗教的信念や個人的な意見を述べることを避けるべきだという考えです。ウェーバーは、教育者が学生に対して影響力を持つ立場にあるため、個人的な信念を押し付けることは不適切であり、学問の中立性を損なうと考えました。

 

 

とはいえ、人文知は言語や解釈に大きく依存し、曖昧さや主観性が伴うため、批判的な視点から見ると、言語の操作や解釈の余地が「詐術」と捉えられることもあるかもしれません。そして根源的な意味ではたしかに詐術の一種ともいえます。

しかしそれは単なる詐術ではなく、文化や歴史、哲学、文学などを通じて人間の経験や価値観を深く理解するための重要な手段でもあります。

 

ここで一曲紹介。上原ひろみさんのアルバムで一番好きな「Voice 」。この揺らぎ、リズム最高、チョー気持ちいいです♪

 

 

ico05-005 すべての芸術が究極に目指すものは音楽である ニーチェ

 

ヒトのユニークスキル  呪術とリュトモス

 

 

しかし、そもそも「私」は呪術的に生成されているとも表現できます。だから、呪術を解くということは「私」にはできないんですね。

よくアニメで「魔人・魔族・精霊」みたいなものが登場しますが、その手の比喩でいうなら、「私」というのは身体に呪術的に生成された第二の存在ともいえ、それ自体を生きる身体(無意識)を依り代として、外部の作用によって召喚された要素を統合した「魔人・魔族・精霊」のような存在、とも表現できます。

アニメの「転生したらスライムだった件」でいうなら、「それ自体を生きる身体」は、生まれ落ちた場の社会的作用によってさまざまな「ユニークスキル」を獲得していく。

リムル=テンペスト「捕食者」というユニークスキルは、「身体化」のプロセスを含んでいるともいえるでしょうし、AIが今後さらに進化していけば、人類のユニークスキル「大賢者」となっていくでしょう。 ➡ ユニークスキルまとめ(全文)

 

われわれはある日、忽然と「ヒト」の身体に生じました。「私」という主観が一貫して存在するように感じられるのは、脳細胞、特にニューロンが一生を通じてほとんど入れ替わらないことと深く関係しています。

ニューロンは記憶や経験を蓄積し、ニューロンが長期間にわたって存続することで、私たちは過去の経験や記憶を保持し、自己認識を維持することができます。ユニークスキル「個人のアイデンティティ」を獲得したことで、人間は時間が経っても「私」が一貫して存在するように感じられるのです。

時間の感覚は、脳の複数の領域が協力して働くことで生じます。特に、前頭前野と海馬が重要な役割を果たし、前頭前野は計画や判断、時間の経過を感じる能力に関与し、海馬は時間の順序や出来事の連続性を記憶するのに役立ちます。

「昔のことを昔のこととして感じる」のは、脳が時間の経過を記録し、出来事を時間軸に沿って整理する能力を持っているからです。これにより、私たちは過去の出来事を現在の出来事と区別し、時間の流れを感じることができます。

左右の感覚は、体性感覚野の反対側の半球で処理され、内耳にある前庭器官が体のバランスや空間の方向感覚を提供し、前庭系からの情報は脳幹を経由して脳に伝えられ、左右の感覚に寄与します。 脳はこれらの情報を統合し、ユニークスキル「左右の感覚」の獲得に成功しました。

このユニークスキルによって、例えば、物を触ったときの感覚や視覚情報、体のバランス情報が統合されることで、私たちは左右の位置や動きを正確に感じることができます。

そして様々なユニークスキルの獲得によって、「私」という呪術的存在はパワーアップしていきます。個体の能力は保有スキルの差によって決まりますが、「魔素の量」は現代社会においては「様々な資本力」と言い換えることもできるでしょう。

根源的には「私」自体が呪術的な詐術の化身であり、それゆえ誰もが「呪術的に他者と繋がっている」ともいえるでしょう。権威ある詐術かそうでないか、定型的な詐術かそうでないか、センスある詐術かそうでないか、そういった詐術レベルの差異があります。

詐術レベルを決めるのは、ユニークスキル「言語的知性」と先天的なセンスです。

 

レヴィ=ストロースは、未開社会の神話的思考トーテム的思考が、文明社会の科学的思考と同様に合理的であることを主張し、未開社会の人々の思考は、単なる迷信や非合理的なものではなく、独自の論理と体系に基づいているとのことですが、

「私」は呪術的に生成されているわけだから、神話的思考やトーテム的思考も根源的には他の言語的思考と変わらず、呪術の種類が異なるだけ、とも表現できるでしょう。

そして神話的思考やトーテム的思考によってしか触れられない領域というのはあります。呪術の種類によって捉えられる世界が異なってくる、ということですね。

 

これは、デイヴィッド・グッドハートの概念でいう「エニウェア族的な認知的エリート」とは対極にいる「大地に根差した身体の思考」とも表現できます。

創造性の根源は、「保守/リベラル」というような政治的・社会的なもの以前にあるものですが、社会的な文脈におけるエニウェア族、サムウェア族という概念による分析は、なかなか的を得た視点だとおもいますので、関連外部サイト記事を紹介しておきます。

 

加速主義が生み出す「頭でっかちな認知エリート」 ナショナリズムがインテリたちに不人気な理由 より引用抜粋

:エニウェア族、サムウェア族の区分を作ったのはイギリスのジャーナリストであるデイヴィッド・グッドハートという人ですけれども、彼は少し前に『頭 手 心』という本も書いています。

そこでは、現代の世の中というのが、まさにエニウェア族的な認知的エリート、つまり学歴が高くて専門職に就いてる人たちが過度に社会的影響力を持っている一方、手を使う仕事――つまり製造業や農業などの仕事――や、心を使うケアの仕事の人々の社会的影響力は小さく、全体的なバランスが崩れていると指摘しています。

頭でっかちな認知的エリートの声ばかりが大きくなって、それが時間感覚にも関係しているのかと感じます。
(中略)
中野:「現存在」がおかしくなってるんですよね。認知エリートが増えることは、シュペングラーに言わせれば、それこそ「文明の没落」そのもの。

(中略)
頭でっかちな認知的エリートが、身体や自然を価値が低いものと見て、合理的にコントロールしたいって考えているのかもしれません。これが啓蒙主義の行き着く先であるっていうのは当然だと思います。啓蒙主義的なインテリや認知的エリートは、そういう意識的にコントロールし難いものは、文化や伝統なども含め、あまり好まないのです。

でも、いわゆる保守思想というのは、「認知だけでは足りない」「頭でっかちではいけない」という点を強調する必要があります。

保守は、意識や認知が身体的なものや自然に根差していると、当たり前ですが考えます。人間の半ば無意識の心の領域や文化も重視します。個々人の認知や意識の基礎には半ば無意識のものや身体的なものがあります。同様に社会の基礎には、文化や伝統など多数の人々が何世代にもわたって半ば無意識に作り上げてきたものが存在しています。

だから、ナショナリズムに関するものも、インテリや認知エリートには不人気なんでしょうね。なぜかと言ったら、ナショナリズムは、その半ば無意識の領域から生まれ出てくる人間の絆とか、社会のある種のまとまりとか、「社会のここからここまでは一つのネーションなんだよ」っていうような境界設定を含んでいますからね。

– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)

引用元⇒ 加速主義が生み出す「頭でっかちな認知エリート」  ナショナリズムがインテリたちに不人気な理由

 

日本の保守とリベラル 思考の座標軸を立て直す

 

生活芸術は、日常生活の中で美を追求し、創造的な活動を行うことを指します。「野生の思考」と生活芸術には深い関連があります。レヴィ=ストロースが述べる「ブリコラージュ(ありあわせの素材を使って創造すること)」、そして生活芸術もまた、身近な素材や環境を利用して新しい価値を生み出すプロセスであり、野生の思考が土台にある。

〇 「生活の芸術」と「生の技法」

動的平衡は、生命体が絶えず変化しながらもバランスを保つ状態を指します。この絶え間ない変化とバランスの維持が、リズムやパターン(リュトモスを生み出す基盤になっています。

「呼吸」と「心拍のリズム」は密接に関連しており、心拍や呼吸のリズムは、体内の動的平衡が維持されることで生じます。細胞の新陳代謝やホルモンの分泌も、動的平衡の一部としてリズムを持っています。

このように、動的平衡が存在することで、自然界や生命体における「原初のリズムやパターン」が生まれる。この「ゆらぎを伴った動的なバランス(自我以前)」に、ブリコラージュが作用したひとつの質がリュトモスともいえるでしょう。

〇 リズム概念の語源について – ――アルキロコスと人間の倫理