「何かに狂っている状態」の多様性 

『 アーーーッ!ほんっとに!仕事以外でお金が発生しない昼職の男と話すの無理ィイイイイイ!!!金も貰えないのに、時間取られて性的に迫られるのなんていう地獄??後から怒りが湧いてきて死にそうになる。マジでホスト以外の男と話すと寒気がする。自分を金で売ってる男以外は何故か生理的に本当無理。  — エルちゃん は ホス狂 (@el__chan) より 』

「自分を金で売ってる男以外は無理」というのはなかなか斬新な発想で、通常は遭遇しない多様性ですね。

ただ、「何故か」生理的に本当無理とあるように、本人も「何故なのかわからない」というところが面白いです。 しかも自ら「ホス狂」と言ってるので、「何かに狂っている状態」ということを本人は自覚している。

「何かに狂っている状態であることを自覚しつつも、何故なのかわからない状態である」ということです。正直で素直な表現ともいえるでしょう。

 

ではここで一曲♪ chilldspot「 BYE BYE」です。Z世代の曲でみなさん若いんですが、このバンドの曲はある種のノスタルジーのような感覚、 レトロ感があり、このパターン性、シンプルさ、癖になる音・リズムなんですね。そして「声」が凄くいい。

 

 

全ての女性とは言えませんけれど、あのホストにハマる女性のうちにですね、発達障害の症状を持つ人っていうのは結構多いんですよ。あと親子関係にトラブルが多いことが多いですね。

どういう人がハマってしまうのか、そして自分の身を壊してしまうのか、ということを話そうかなと思います。まずは依存傾向が強い人ですね。だからあの依存症になりやすい人。あとは 衝動性のコントロールが困難な人たちっていうのはやはりハマりやすいって感じです。

でこの衝動性のコントロールの混乱さっていうのは個人差があるんですよ。で特に発達障害の人、ASDとかADHDがある人はですね、衝動性のコントロールが難しいのでハマりやすいです。

ホスト側もですね だからどういう女の子がハマりやすくて どういう子が太客になってくれるのかっていうのは やっぱり研究していて やっぱり発達障害の人っていうのは狙われやすいですね。

引用 ➡【精神科専門医/指導医による解説】ホスト依存症と女性の発達障害

 

問題とされるものは「最近の男女の恋愛の質の変化」というような社会学的なものではなくて、

何らかの障害特性や能力的な問題、そして「何らかの中毒になりやすい傾向性」というのはどんな時代も常に一定数存在し、そういう人が、他の要因との組み合わせによって自己崩壊したり人生崩壊してしまうこと。

そして「プラスとマイナスの出方に幅があることがサービスの前提になっている仕事」というのはあって、そうだからこそ楽しめる、強い刺激があってこそ「生きてる実感」が生じる、だからこそ満足できるサービスの構造があり、それもまた需要と供給でしょう。

「嘘や幻想を前提とするサービス」というのはホストにかぎりませんし、ギャンブルのようにハイリスクハイリターンな娯楽もあります。それによって人生が終わってしまう人もいる。

だからといってその業界を全否定したり撤廃するのがいいのか? そうではなくて、そのようなサービスの「遊び方」というものがあるでしょう。

しかしその「バランス」が全くとれなくなるのは、「私」より前の身体の働きに既に過剰な偏りが生じているからで、そうなるともうリミッターが働かなくなる。

過去に、「風俗で金を稼いで組織に金を入れるよう追い込まれる」というカルト集団が存在しました。まぁ宗教・思想への没入状態においても、リミッターが働かなくなる現象、ドーパミンの活性化が生じているのでしょう。

「タイタニック号ツアーの潜水艇タイタンの事故」もそうですが、あの人たちにせよリスクを知らなかったわけじゃない。むしろリスク込みで深海に行くわけで、危険ではあっても通常は得られない得にくい体験をすることが出来るからこそ満足度も高くなる。

まぁどの程度の脳の刺激の強さを求めるのか、何によってドーパミンがドバドバ出るかは人それぞれなので、「リスクを前提にして成立しているサービス」に対して、それを全否定しても仕方がないでしょう。

 

以下↓のポストは鋭いですね。男の境界知能の場合は、犯罪者にでもならない限りああいう形の荒稼ぎはほとんど出来ない。

よく男性と女性で対応が違うじゃないかという人がいますが、キャバクラで大金を使う男性とか、パパ活で大金を使うような男性は、境界知能では出来ないような仕事でシッカリ稼いでる人の方が多い。どちらも承認欲求が強く働いているとはいっても、その背景や能力は全く異なるんですね。

 

「男の境界知能」の犯罪率は高い。これは境界知能の人が元々暴力的だとか人間性が荒んでいるとかそういうことではなく、能力主義社会において、境界知能の人は相対的に否定的な扱われ方をされることが多いゆえに自尊心を得にくい。

また、他者からの否定的な対応を受けやすいことに加えて、稼ぐ手段も相対的に少ないがゆえに、精神と生活の両方向から追い詰められやすい。その結果として犯罪に走ったりしてさらに心が荒んでいく。そうやって負の雪だるまになってくとそれが人格化していく。子供の頃から既にヤバい奴みたいな特殊な人というのは極めて少ない。

 

軽度の知的障害がある女性たちの性産業従事に関するこれまでの言説の多くは、彼女たちを性搾取の被害者として捉えるものであった。本研究ではその捉え直しを行うべく、性産業従事経験と婦人保護施設の入所経験があり、かつ軽度の知的障害のある女性たち2名に聞き取り調査を行った。分析枠組みとして反抑圧アプローチ(AOP)における抑圧と抵抗の概念を用いた。結果、彼女たちにとって性産業従事は、周辺化・無力化されにくい場所であり、抑圧に対して抵抗することができる、主体的な行動を発揮しやすい場所であることが明らかになった。   ➡ 【論文】反抑圧アプローチの視点から迫る軽度知的障害女性の性産業従事

 

 

「チンシコ」というワードには思わず笑いましたが、以前SNSに登場した「性欲由来の優しさ」というパワーワードには及びませんね。「性欲由来の優しさ」は進化心理学的には正しいといえます。そして上のツィートの場合は、「性欲由来の努力」といえるでしょう。

自覚しているにせよ無自覚にせよ「女にモテたい」というオスの心理、そして男女に拘わらず「子孫を残す」という生き物としての本能というのは、若い時期はとくに強く働いているでしょう。

そして「性」における本能が「どういう形で現れるか」、その生理的な傾向はオスとメスでは形が異なるため、完全に同一に考えることは出来ないんですね。

モテにもいろいろなモテがあるけれど、ある種のモテ現象は「クズさ」と関係しているともいえるし、「技術」ともいえるものがあるし、技術の場合はそれをどう使うのか?の両義性があります。

ホストやってたけど普通はサイコパスになれんよ

「クズがモテる」という現象は確かによくある現象ですが、「ただのクズ」なのか、「技術を使っているクズ」なのか、そこには能力の違いがあります。

そして当然、「クズではない人が技術を使っている」というパターンもあれば、「クズではない人がまったく技術をもたないというだけでクズと同一視されている」というケースもあります。

「モテ」といってもいってもいろいろな質があり、そもそも「モテる/モテない」だけの線引きだけでは「その人がどういう人か」はわからない。

ある種の「クズさ」「愚かさ」が足りな過ぎてモテない、というようなことも実際にあります。生き物は基本的に大なり小なり「クズ」で「愚か」なところがあるといえますが、正確には、そういうものを元々持っていて、それを抑圧しすぎると「社会的な存在としてはまともと言われるが、生き物としては劣っている」という状態になります。

このバランスでいろいろ決まっていたりもしますね。恋愛とかモテというのは生きものベースなので、ある種の「クズさ」「愚かさ」(と社会ではいわれているもの)が動力そのものになっている。

しかもこのような技術は学校教育では教えてくれないので、体験するしかなく、その機会の少ない人は技術は身に付かないでしょう。

そしてこれは帰納的に評価されることも多い。「Aさんには技術がない」という結果から、「Aさんはその機会の少ない人(非モテ)」と判断され、そこから「カーストが低い男性」と結論されるような錯覚が集団単位で生じたりもする。

まぁ結構多くの「モテなるもの」が、集団単位の錯覚で維持されているということはありますね。

そして「クズではない人がまったく技術をもたないというだけでクズと同一視されている」という現象もありますが、そもそも「良心的で優しく温かく他者を人間として見ている人」は、モテるためのスキルアップなど積極的に求めないものだから技術は高くはならない。

それを「クズ」などと言う場合は「そう言ってる側の方がクズ度が高い」にすぎない、ともいえるでしょう。基本的に男の大半はモテないのが自然状態ともいえるし、またそれは悪いわけでも劣っているわけでもないんですね。

仮に運よく何かに秀でていて人気があってモテてたとしても、それはたまたまであり、その基準を普遍化することはできないのですが、世の中けっこうそういうものを普遍化したりします。

「良心的で優しく温かく他者を人間として見ている」ならば、仮にその人がモテて周りがキャーキャー騒いでも、本人は心から好きになった特定の人だけと深い関係になる傾向性もほとんど変わらなかったりする。

仮に一時的に浮かれるような時期はあったとしても長続きはしない。モテてもモテなくても本人が望む行動、選択の傾向性が変わらないことも多い。

 

 

パパ活」をする男性にもいろんなタイプがいるでしょう。しかし「パパ活」は「女性は男性をモノ化し、男性は女性をモノ化する」の双方のモノ化でしか成立しない。

男性が女性にお金を供給し、女性は男性にサービスを供給する。男性を「客」としてお金に還元しようと意志したのは女性側であり、女性からサービスを供給してもらおうと意志したのは男性であり、両者の意志と合意で取引は成立している。

「損得勘定」の結果に「他の仕事に比べて割がいい」と判断したからこそ自らの意志で取引したのである。よって「買われた(受動)」のではなく、その真意は「売った(能動)」であり、その結果は「通常のバイト以上のお金をゲットした」である。

「売り買いの成立」の時点で女性側も自己をモノ化・商品化し、かつ男性をモノ化して扱っている。この取引成立は相互に「他者」をモノ化した者同士の需要と供給の一致に他ならない。

 

しかし「モノ化」それ自体は悪ではなく、また「搾取」 = 犯罪ということではない。社会的合意に限らず、本人たちの取引において法的問題がなく合意が成立している場合、それは悪とはならない。仮にそれを悪というのであれば人間は誰もがみな悪を前提にして生きているということになる。

「モノ化」及び「搾取的なもの」は普通に当たり前に存在している。どこからが搾取でどこからが適正か、というのはどこからが正しい信仰でどこからが正しくない信仰かに似ている。

法的な線引きもそれを根源的に保証するものではなく、専門的であれ科学的であれ同様に、根源的には分けられるものではない。結局のところそれは社会の有限性が前提にあり、程度問題で大方の許容範囲が相場的に決まっているに過ぎず、

「絶対的にこの範囲が適正であるという根源的な根拠」はない。

資本主義社会の構造上、賃金労働者は何かの役に立つ技術なり知識なり、道具的存在として労働力を売っている。ここには多かれ少なかれ自己モノ化が前提にあるだけでなく、他者(客)もモノ化されているが、相場的に適正なら一般的に「搾取」と呼ぶには表現が強すぎる。

非犯罪であるが、相場的に考えるなら「自己&他者モノ化+搾取する側」=「パパ活する女性」であり、「他者モノ化+搾取される側」=「パパ活する男性」である。

では「パパ活する女性に似た形で自己&他者モノ化+搾取する男性」とはどういう男性か?といえばホストである。

しかしホストは自身の性的欲求のためではなく、仕事の立場における承認欲求、売上・結果のために他者モノ化するのであって、またホストも上部構造と下部構造があり、下部構造は被搾取側になってもいるわけですが、

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「ホストに貢ぐために風俗、水商売をする」という場合、「自己モノ化と他者モノ化する女性」がその結果得たお金を自己の性的欲求・承認欲求のために異性に使うので、これは「パパ活する男性」に似ています。

パパ活する男性もまた「自己モノ化・他者モノ化して働き稼いできたお金」を自己の性的欲求・承認欲求のために異性に使うわけです。つまり「パパ活する男性」というのは「ホストにハマる女性」と似た構造にある、ということですね。

しかしただ単純に「性的欲求・承認欲求」を満たすというだけではなく、「ハレとケ」の感覚がそこには強く作用していると思いますね。「ケ」があるからこそ「ハレ」があり、「特別な何か」に成り得る。

「ハレとケ」の差が大きいほど刺激も大きくなる。肉体労働した後の温泉みたいなものかもしれない。しかし毎日温泉に入っているだけだったら馴化が生じて、そこまで温泉を楽しめなくなるでしょう。

たとえばある人がホストを辞めて町工場で働いていたとして、派手な髪型や格好も変えて、嘘もつかず誠実に一人の女性に向き合ったとしましょう。しかしその女性がホストに夢中になるタイプの女性だった場合、その男性には惹かれないでしょう。

「クズを辞めた側」はどうでもいい男扱いされ、「クズの振る舞い」は最高の姿に見えるというのは、そう見る人はその時点では「そういうものを求めている」のでしょう。虚像でかまわない、ただハレの気分を求めている。

よって「異性から愛される」=「まともな男」というような単純な指標ではなにも見えてこない。つまり男性そのものを見ているのではなく、「ハレの気分を味わいたい」のであって、そういう場や関係を求めているということでしょう。

「宝くじで当たった100万円に価値はない。60分1万円で、100人のオジサンを相手してボロボロになったお金を、“推し”に使うから意味があるの」 ⇒ 身を犠牲にするほど“エモい”。「推し」としてのホストに貢ぐぴえん系女子たち

お互いに何かを無味乾燥な「ケ」とし、何かを「ハレ」とする。パパ活する男性にとって「仕事で稼ぐこと」は「ケ」であり、「ハレ」は年下女性にお金を使うこと。「ホストにハマる女性」にとってはホストに貢ぐことが「ハレ」であり、「100人のオジサンの相手」が「ケ」だったわけです。

こう考えると「きもいおじさん」がいなければホストもイケメンも輝かない。男性全員がホストやイケメンになればそれはありきたりな「ケ」になってしまうから、非日常感、特別な価値がなくなってしまう。

 

ico05-005自分を金持ちだと感じるには、周囲に貧乏人がいなければいけない  エリック・ホッファー

 

「神」への奉仕に「生贄」や「供物」を捧げるように、あるいは苦行で徳を積むかの如く、聖と俗の差異の感覚を感じさせる行いには様々な無形の儀式がある。

闇がなければ光もないように、何かの価値を際立たせるのは「低いもの、劣ったもの」が必要になる。その意味で「低いもの・劣ったもの」も結局のところ役に立っているわけです(本人は全く喜べない役に立ち方でしょうが)。

「きもいおじさん」こそが王子の輝きを演出するハレの舞台設定として欠くことのできない存在だったわけで、束の間の姫気分(ハレ)はキモさ(ケ)に支えられていたということですね。「きもいおじさん」こそが「輝くもの」を支えているのです(キリッ!)

しかしこういう価値感というのは「ホストに興味がない人」にとってはどうでもいいことなんですね。宗教とよく似ていて、「本人がそう強く思っている」ことから生まれる感覚です。

「これは悪魔  あれは外道  / これは真理  あれは光」というような「信仰」があるゆえに、そこに聖なるものとそれ以外の差異が(実在するかのように)感じる感覚を「自ら」生み出している。

その感覚の「波」の変化・差異の大きさである種の幸福感・喜びを最大化しているので、その方法がある人は宗教で、ある人はギャンブルで、ある人はホストで、というように分かれている人もいればいろいろ混じっている人もいて、またリミッターが壊れている人の場合、中毒(依存症)になるわけですね。