子供の無意識の成長 「不幸にする親」が無垢な愛情を歪ませる過程
親子の無意識の転写のテーマ、今日はダン・ニューハースを参考にしながら、アダルトチルドレンと家族の役割がどうして生じてくるのか?その無意識の動きを含めて見ていきたいと思います。
受動意識仮説でもそうですが、心身というのは顕在意識からの指令で動いているトップダウン形式メインなのではなく、「置かれている環境・状況・状態」で「どう動くか?」を、実は顕在意識よりも先に無意識の領域がボトムアップ形式で決めてもいるのです。
理解しづらいかもしれませんが、地球が太陽の周りを回っていることを主観的には認識しづらいのと同じで、主観的には、太陽が地球の周りを回っているように私たちは感じます。
「顕在意識・理性での表層的な思考調整こそが無意識という暴れ馬を制御している」と、主観的には人はそう思うわけですが、無意識を本当に制御できるのは無意識の機能なのです。だから無意識の意識化が必要なんですね。
そのことを例えば武道や職人などの達人達は体感的・感性的によく知っています。無意識反射を意識化した達人の読みは、顕在意識よりも早く正確に動きを認知しています。
そして職人の暗黙知という「無意識から引き出された経験値・知恵」は高度な動きを可能にします。
※ 暗黙知とは「知識というものがあるとすると、その背後には必ず暗黙の次元の「知る」という動作がある」ということを示した概念である。
ですが、無意識の領域に、不調和な形状記憶(トラウマや認識の歪みなどをもたらす負の記憶)が生じていると、いくら顕在意識に言い聞かせても、本当の意味では理解は出来ていないのです。
だから人は表面だけを変えながら同じことを繰り返す生き物であるわけですし、言ってもまるで通じないことって多々あるわけですね。
だから本当は無意識に言い聞かせてあげなければ駄目なのですが、それは現代の道徳教育の「何度も言い聞かせるやり方・無意識を抑え付けるやり方」とは全く異なる方法になります。そのことはまた次回に書きます。
今日は、機能不全家族に見られる親の子への接し方と、子供の対応、そして歪みを見ていくことにしましょう。
【表1】不幸にする親(ダン・ニューハース) より引用
心が健康な親(左)とコントロールばかりする親(右)の比較まとめ
心が健康な親の態度 | コントロールばかりする親の態度 |
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①子どもの心をはぐくむ愛情を示す ・子どもに与える愛情はほぼ一定で安定している。 ・子どもは親の愛情、注目、温かい肌の触れあいを得ることができる。 ・子どもは親から望まれて生まれてきたのであり、愛されていると親から聞かされている。 | ①子どもに与える愛情には条件がついている ・愛情は、子どもが親を喜ばせることをした時だけほうびとして与え、親が気に入らなければ、罰として愛情を与えない。 ・子どもは親に恩があり、親に借りがある。 ・子どもは親を満足させることによって親の愛情を”獲得”しなければならない。 |
②子どもの人間性を尊重する ・子どもはそれぞれ個性のある個人として扱われ、価値を認められる。 ・子どもは自分の意思で年相応に自分の行動を選択できる。 | ②子どもの人間性を尊重しない ・子どもは親の“所有物”として扱われる。 ・親は自分の精神的なニーズを満足させるために子どもを使う。 |
③親子の間に自由でオープンなコミュニケーションがある ・子どもは建て前を述べるより自分の考えを自由に表現したほうが価値を認められる。 ・子どもは質問したり異議を唱えることが許される。 ・家に何か問題がある時にはそのことが認識され、話題にされる。 | ③親子の間にコミュニケーションがない ・子どもの発言は押さえつけられる。「いちいち理由を訊くんじゃない」「口答えするんじゃない」などが常套句。 ・子どもの質問や異議はたいてい拒否される。 ・家に問題があっても無視されたり、問題があること自体が否定される。 |
④子どもは感情を持つ自由がある ・悲しみ、恐れ、怒り、喜び、などの感情を感じるのはノーマルなことだ。 ・感情は自然なこととして受け入れられる。 | ④子どもは感情を持つことが許されない ・強い感情は感じてはいけない。 ・感情は危険である。 |
⑤子どもは励まされる ・子どもは潜在能力を認められ、勇気づけられる。 ・子どもは成功すればほめられ、失敗すれば慰められる。 | ⑤子どもは嘲笑される ・子どもは常に判決を下されているように感じている。 ・子どもはだいたいにおいてほめられるより批判されてばかりいる。 |
⑥子育てのやり方はいつもほぼ不変で一貫している ・してよいことと悪いことについて、適切で一貫した態度を示す。 ・親の役割は子どもを導くことだと考えている。 ・子どもが自分の身体や行動について年相応に判断することが認められる。 | ⑥教条主義的で厳格、または一貫性がなくてしょっちゅう変わる ・しばしば厳しく罰を与え、柔軟性がない。 ・親は子どものボスだと思っている。 ・子どものプライバシーをほとんど認めない。 |
⑦子どもが内面の世界を探求することは推奨される ・子どもは自分に対して優しくすることを学ぶ。 ・親は自分の価値観を子どもに教えるが、子どもがどのような価値観を発達させるかは本人の意思を尊重する。 ・家庭内には、学び、ユーモア、成長、遊びなどのさまざまな面がある。 | ⑦子どもの内面の世界を否定する ・子どもは自分に対して優しくすることを学ばない。 ・子どもが自分の考えで何かに興味を持ったり学んだりすることより、親の考えで“正しい”ことが重要。 ・家庭内の雰囲気が堅苦しくて大仰、または混乱している。 |
⑧社会との結びつきがある ・人との結びつきは大切にされる。 ・親は他人や社会に対する責任について幅広い見方を子どもに伝える。 | ⑧社会との結びつきがない ・人との真の心の結びつきはほとんどない。 ・「外部の人間は危険で信用できない」というイメージを植え付ける。 ・人との関係は、相手によく思われたいというのが動機になっている。 |
コントロールばかりする親が子どもの心に与える否定的な影響
健全な親ではなく、コントロールばかりする親が子どもの心に与える否定的な影響がどのようなものか、ダン・ニューハースはそれを、「5つのゆがみ」として大別しています。以下にまとめると、
1.「権力」や「能力」についての見方のゆがみ
2.感情や感覚、願望に関するゆがみ
3.考えのゆがみ
4.人間関係に関する感覚のゆがみ
5.アイデンティティーに関する感覚のゆがみ
そしてこの子どもに生じる5つの歪みが、その後大人になってからのパーソナリティにも「内的に継続している」ことで、それが人生に負の形で投影され、負のスパイラルを作ってしまうことがある、ということです。
ですが子供は親・大人に対して非力な力関係であっても、ただやられるままに歪められているわけではないのです。子どもは心身共に日々成長を続けており、子どもといえども生きるために全力でその困難を乗り越えようと、自我は反発や防衛をしているのです。
その結果、子供はそのようなコントロールする親に対して、様々な方法で対応しようと子供なりに試みるのです。それは自我を守るためであり、また同時に親・家族を守るためなのです。
「自我を守るため」というのはわかりやすいですが、親・家族を守るため?という部分が人によっては(親に酷い仕打ちを受けた人など)わかりづらいかもしれません。ですが、仮に意識は出来なくても、無意識下では子は親を守ろうとして動くのです。
以下の「表2」では、機能不全家族の子どもの5つの対応として子供が自我を守るためにとる5つの反応パターンと、親・家族を守るためにとる5つの役割の選択をまとめていますが、
これは表に見える感情や行為の形の部分です。
※5つの役割に関しては以前に書いた記事も参考にどうぞ
【表2】機能不全家族の子どもの5つの対応と5つの役割と結果
コントロールばかりする親によって親子の健全な発育・関係性が機能不全化した家族
では、子供は無意識的に5つの対応をとり、
そしてそれが5つの役割となることで徐々にアダルトチルドレン化します。その結果、
五つの不調和の性格の基本パターンが形成されていきます。
この役割に関しては、一人が必ず一つの役割を持つと決まっているわけではなくて、
兼用する場合もあります。また、役割が途中で変わることもあります。
※ ダン・ニューハース『不幸にする親』より 引用 参考
機能不全家族の子どもの5つの対応 | 機能不全家族の「5つの役割」と、アダルトチルドレン化した子供の結果 |
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①ただ親の言う通りに従う。 | ● 殉教者(犠牲者) ● 他人のニーズや望みに敏感になり、それに応えようと努力できる能力は貴重な長所だが、同時に、自分のためにならないことでも他人に要求されると従ってしまう傾向が身につく。 |
②親の言うことを聞かず反抗する。 | ● 問題児(悪役、スケープゴート) ● 独立心や自由を求める精神は貴重だが、力のあるものには自動的に反抗してしまう傾向を持つことにもなる。その結果、勝ち目のない相手に無謀な闘いを挑んだり、得るものより失うもののほうが多くても闘ってしまうことになりやすい。 |
③バカなことをしたり感情を爆発させたりして親の気をそらせる。 | ● チャーマー(マスコット、ピエロ) ● その場を明るくすることができる能力はすばらしい才能だが、静かに集中して正面から問題に取り組まなくてはならない時にも気を散らしてしまうことになりかねない。 |
④無感覚になったり、何かへのアディクションに逃避したり、透明人間になったように感じることで、周囲の現実から自分を切り離してしまう。 | ● 傍観者(家なき子) ● 外界からのストレスをシャットアウトし、自分の内面にのみ注意を向けることができる能力は、必要なことに集中したりリラックスするのに役立つ。だがそのために、自分を取り巻く、よくない状況がより悪化することがある。 |
⑤親に気にいられるよう努力し、親以上に完璧になって他をしのごうとする。 | ● ヒーロー(ヒロイン、スター) ● レベルの高いことを達成しようとする性格には、克己、切磋琢磨などすばらしい面があるが、その一方で、達成することばかりが強迫観念的に重要になってしまったり、本当は望んでいないことでも望んでいるように錯覚し、しなければならないと考えてしまう危険性もある。 |
親への依存と無垢な愛情からどんな人間もスタートする
親子には無意識レベルでの深い依存と一体化の記憶があり、どんな幼子であれ、生まれたときにそこにいた親を、憎しみの心で見つめたことはないのです。完全なる親への依存と無垢な愛情からどんな人間もスタートするんです。
だから仮に顕在意識では親を嫌いはじめても、無意識下にはその記憶は深く強く残っていて、子は無意識では親を守ろうとして動くのです。たとえどんなに酷い親でも、小さな子供たちは自我が壊れるまでは何とか耐えてそうしようとするものなのです。
アダルトチルドレンが「5つの役割」を選んだ無意識的な理由
子供がこのような「5つの役割」を選択する背景、無意識下では何が起きているので
しょうか?ここではユングの「ペルソナ・シャドウ」という概念、「外向的・内向的」
という二つの気質と「陰と陽」の組み合わせでそれを見てみましょう。
● ペルソナ(役割としての仮面) ● シャドウ(抑圧化された負の要素)
アダルトチルドレン の 5つの役割 | 役割を選んだ無意識的な理由 |
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ヒーロー(ヒロイン、スター) | 家族のシャドウ(影・負)を支えるために、 家族のペルソナ(仮面)としての「光・正 」になろうとする。 ※ペルソナの「陽性」 外向的投影 |
チャーマー(マスコット、ピエロ) | 家族のシャドウ(影・陰)を癒そうとするとするために、 家族の「心の明り」になろうとする。 ※ペルソナの「陰性」 内向的投影 |
傍観者(家なき子) | 家族のシャドウ(影)から身を守るために心を閉ざして いるが、離れることで家族の問題点を客観的に見つめることが出来る。 |
問題児(悪役、スケープゴート) | 自らがシャドウ(影・負)となり表現することで「スケープゴート」 として吊るし上げられ、家族のシャドウ(影・負) を解消 しようとする。 ※シャドーの「陽性」 外向的投影 |
殉教者(犠牲者) | 自らがシャドウ(影・負)となることで家族のシャドウ(影) を背負い「家族の殉教者」として犠牲的に生きる。 ※シャドーの「陰性」 内向的投影 |
ダン・ニューハースは多くの示唆を与えてくれている
そしてダン・ニューハースは、その解決策や、そのために役に立つことを紹介しています。
ですがたまに「ダン・ニューハースの『不幸にする親』は問題点の指摘と分析ばかりで解決には繋がらないのでは?」という疑問を見ることがあるのですが、そうではありません。
どんな心の病にも応用・適用できる概念というわけではありませんが、アダルトチルドレンに関しては非常に核心的なところが見事に書かれていていますし、実例も豊富です。
そして「親への責任転嫁、一方的な悪意的な親への批判では?」というような意見などもたまに見かけますが、
ダン・ニューハースが伝えようとしている趣旨は、親への責任転嫁がしたいとか、言い訳の類ではなく、そして一方的な親批判でもないのです。子供がどうしてそうなったのか、その心理的な力学とメカニズムへの注意深い観察から生まれたものなんですね。
それでは最後にダン・ニューハースのこの言葉を引用紹介して記事の終わりとします。
【自分の家に代々伝わる「親が子どもを不健康なやり方でコントロールするパターン」を調べるのは、けっしてあなたが抱えている問題の責任を転嫁するためではありません。
むしろ、あなたの家で代々行なわれてきた責任転嫁を、あなたの代で初めて止めようということなのです。 自分の家に伝わる「不健康なコントロールのパターン」から目を反らさず、 はっきりと見据えることにより、
あなたはそれを次の世代に伝えてしまう不幸を 避けることができます。それこそが、あなたの親ができなかった、またはしようとしなかったことなのです。】 – ダン・ニューハース
自分のことが、少し分かった気がします。
きっと私の代で変えてみせようと思います。
私も自分の代でとめようとしています。貧困の連鎖は断ち切れました。
私の抱えてきた心の闇を記録に残して、子どもたち3人には私の死後、30年後に
読んでもるつもりです。
娘の言葉「わたしが父子家庭で
(私はふたりの子を連れて家を出、当時15才の娘は父親に預けました)
たいへんだったって知らないんだね」
に、「私はもっとたいへんだったよ」と伝えるために。