現代のうつ 昔のうつの構造  自己愛的同一化と脳・自我・社会の関係  

 

今日は最初に「躁的防衛」をテーマに書き、その後に続けて「自己愛的一化と脳・自我・社会の関係」、「現代のうつ 昔のうつの構造」をテーマに書いています。

 

今回のテーマでは、 環境要因虐待・イジメ・過剰なストレスなど)・遺伝的な要因先天的な機能異常など)・慢性的な身体疾患などがメインの「うつ・心・精神のバランス異常・人格の障害」を考察するのではなく、

 

その人の性格傾向・自我の質と今の社会の状態との組み合わせ」で生じ「うつ・心・精神のバランス異常・人格の障害」を考察したものです。

 

現実に向かい合わず「楽」な方に逃げ「逸脱」が生じる時、その行動に「躁的防衛」が関係することがよく見受けられます。 これは全く問題がないレベルのものもあれば、そうではないものもあります。

 

躁的防衛」が起きている時、そこには『支配感・征服感・軽蔑』という三つの感情が働き、その感情の背景には、「依存欲求の不満」を防衛するために生じたナルシシズム(自己愛)があります。

 

社会生活は、日々のストレスを処理するために健全なレベルの「気晴らし」を必要とすることはありますが、それは意識的なものです。また辛すぎる出来事が起きた時、「自我崩壊」を回避し、守るためにそうする、ということは自然な反応でしょう。

 

そういう健全なストレス処理ではなく、現実を否認し、向き合うべきものを回避し、・葛藤に向かい合いたくないために「躁的防衛」を意識的に続ける性格傾向(未熟な自我)のままであれば、

 

解決されないまま見過ごされた内的不調和はいずれリバウンド化し、例えばそれが「うつ」になって現象化したり、あるいは「人格障害」になったり、他の病などとして現れてきたりするのです。

 

ストレスや苦悩・葛藤は全てがマイナスというわけではありません。それと向き合うことで、学びや成長があるんですね。ストレスの種類・強度によっては回避した方が良い場合もあります。

 

ですが現代社会は、『 真剣に自身と向き合い「影」や「ネガティブ」と向き合い、深く体的にじっくり根気よく考える姿勢 』は「行動や結論に時間のかかる効率の悪い姿」として「劣」のようにラベリングし、

 

見た目が元気でポジティブに軽く浅く考え効率よく合理的に動く姿」を「優」とするような傾向があります。 表面だけは誰もが上手くいっているように見える世界です。ですがフタを開ければ自殺者と心・精神の病に溢れ、国民の幸福度は低い国なのです。

 

抑うつ」のような「影」「深さ」に対しては、臭いものにフタをするように回避してきた現代の社会的価値観が、人の心の奥を未処理のままカオス化し、逆に虚無感を高め「自身の心がわからないまま」空虚に生存している状況を形成しているわけですね。

 

その「未解決のままフタをされたカオスと空虚さ」を狙い、沢山のカルト系・オカルト系の新興宗教が現れ、さらに心身を病む人々が生産される、という悪循環の状態です。

 

そしてストレスや苦悩・葛藤・問題に向き合う事よりも、ストレスを避けることばかり考え「今楽しい事」だけを追求し忘れる楽観の方が良い、それが自己実、という思い違いも、現代には蔓延しています。

 

これは楽観主義悪いという意味ではなく、悲観主義良いという短絡的な意味ではありません。「現実を過剰に分離し歪める」ような楽観悲観の姿勢はどちらにせよ否定しています。また楽観(ポジティブ)の長所・悲観(ネガティブ)の長所もあります。

 

「躁的防衛による喪失の否認について」 より引用抜粋

「現代日本における意識の分裂について(4)」で、精神分析家のメラニー・クラインが理論化した「抑うつポジション」という概念を紹介した。

愛着を向けた対象が不在となる局面で、私たちは強い欲求不満を感じ、そこから不在となった対象への強い怒りやうらみなどの感情が刺激される。

やがて攻撃性を向けた対象と以前には私に慰めと満足を与えてくれた対象が同一であったことに気がつき、苦痛に満ちた感情を経験する。

これが「抑うつポジション」であり、 私たちのこころが同一性を確立できる基盤である。の経験を通じて、同じ一つの対象が自分に満足を与えることも欲求不を与えることもある、独立した存在であることを知るのである。

かし、「重要な対象を自分の怒りや羨望が破壊してしまった」という無意識的な幻想 (これが事実であったかどうかは、メタサイコロジーにおいてはあまり重要な課題とならない)を、

意識の中に抱える苦痛はあまりに大きい。その時に、こころを守るために用いられる防衛機制の一つが「躁的防衛manic defense」  である。自分が破壊した対象の価値は著しく低く評価される。

– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)

引用元⇒ 躁的防衛による喪失の否認について

 

 

例えば「人格障害の人」は何故、明らかな逸脱行為を何度も繰り返すのでしょうか?それは以下のループ構造になっているからです。

 

① 自身の現実の姿と現実の問題 ⇒ ② 躁的防衛/妄想・分裂ポジション⇒ ③ 喪失・悲しみ・苦しみからの逃避 ⇒ ④  自身の現実を素直に受け止め、学び成長することのブロック ⇒ ⑤ 自己成長の停止 ⇒ ⑥ 困難・ストレスに遭遇 ⇒ ②に戻る

 

S.フロイトの初期の高弟の一人であるドイツの精神分析家カール・アブラハムは、うつ病者の内奥にある自我欲求の原理は、一体化願望であり、「口愛期固着」をうつの原因と考察しています。「口唇期」はフロイトのリビドー発達論の一番目です。

 

「口愛期固着」の説明 

精神分析のリビドー発達論と口愛期性格(oral character)  より引用抜粋

口愛期性格を簡単に表現すると、他者の言動によって過敏に影響を受けやすい性格であり、発達早期に生起する「見捨てられ不安」を病的に持続させているために、「能動的な依存欲求」や「受動的な自己犠牲(同一化による奉仕)」によって相手の自由や行動を制限しやすい。

口愛期性格の改善をするためには、「精神的に安心・満足できる生活環境」を準備して、段階的に「相手との距離感」を広げていき、孤独に対する耐性(トレランス)と精神的な自律性を高めることが必要になってくる。  – 引用ここまで- (続きは下記リンクより)

引用元⇒ 精神分析のリビドー発達論と口愛期性格(oral character)

 

 

 

自己愛的同一化と脳・自我の関係

 

自己愛的同一化とは「幼児的一体化」であり、対象を自己愛的な同一化によって自己の中に内在化させる自我運動です。男性は自己愛性、 女性は境界型となりやすい傾向。

 

そして「自己統合が未発達」なままで、過剰に社会的自我を強化(自我が未熟なまま過剰適応)した場合に、それが何かの引き金によってバランスを崩すと、例えば「うつ」となって現れてきたりするんですね。

 

『社会的自我』 = 客我: 理性・大脳新皮質とリンクし「社会的性格・役割性格」の心となるもの。顕在意識下で活動(顕在意識は無意識・潜在意識が意識化されたもの)。「客観」を条件づけているもの。

 

同調性・一体化願望」による社会的自我の強化は、自己統合が未発達なままの状態で過剰適応で発達するため、自我の内的調和は未熟なままであり、「一体化を喪失・得られない」ことで社会的自我が弱体化した場合に「退行」が生じやすく、

 

また、「不調和の限界点に達した時」にも「退行」が生じやすいわけです。この場合は無理をし過ぎた結果の無意識のリバウンド現象です。そうするとそこに現れるのは、「未熟なままの自然自我」と、「未統合な自己の状態」なわけですね。

 

『自然自我』=主我: 『個の自然自我=大脳辺縁系・脳幹・体とリンクし「先天的な気質・キャラクター」の中心となるもの』。無意識下・潜在意識下で活動し「主観」を条件づけているもの。

 

「自我・主我・客我」に関しては以下の過去記事を参考にどうぞ⇒自我と現実   主観と客観のパラドックス

 

つまり「未熟なままの自然自我」は、「原始的な脳の働きを統合できていない状」のため、この状態に退行した時、自我の原始的防衛機制が発動し暴走が生じやすくなるわけです。

 

循環気質とメランコリー親和性性格/自己愛的同一化社会の関係

 

 

循環気質メランコリー親和性性格も、「一体化願望」「依存」「同調性」が自我の質の中軸にあり、

 

環境と事物との共感・同化が、(開放形式)の現れをしたのが循環気で、の部分が抜け、「真面目さ・几帳面さ・律儀さ・勤勉さ」一辺倒な(抑圧形式)の現れがメランコリー親和性性格と言えますね。

 

 昔のうつの構造  

自己愛的同一化( 自己と対象の同一化) ⇒ 対象への失望・喪失体験(ストレス)  ⇒ 現実否認 退行 対象の幻想的理想化 ⇒ 躁的状態 ⇒ 現実との直面 ⇒ 幻想的理想化の維の困難 ⇒ 対象に向けた攻撃性の解放 ⇒ 自己と対象の同一化による攻撃性の内面化⇒ 自責・自己卑下(自己評価低下) ⇒ 抑うつ状態

 

メランコリー親和性性格は、高度経済成長期の年功序列と終身雇用制の日本社会への自我の適応形式でもあり、その当時の社会では「真面目さ・几帳面さ・律儀さ・勤勉さ」が求められ、

 

そして当時は「一体化願望」「依存」「同調性」を核にした「未熟なままの自然自我」であっても社会に受け入れられたわけです。そして集団社会の中でフォローされ社会評価を与えられ、社会的自我をシッカリ強化することが出来たんですね。

 

ところが「職業文化」の変化によって、成果主義・実力主義と効率とスピードの数値社に移行し、個人主義化した現在のドライな社会組織においては、個人と組織の契約は金・時間に重点が置かれ、その結果、組織への「一体化願望」「依存」が得られず「同調性」だけが残った、というわけです。

 

昔は組織への「一体化願望」「依存」「同調性」を満たせたメランコリー親和性性格の「強迫性」は、「真面目さ・几帳面さ・律儀さ・勤勉さ」という職人気質に向かって組織に還元されていたのですが、

 

「同調性」しか得られない現代の組織と個人の関係では、「強迫性」は「職人気質」ではなく「個人のリズムとペー」に向かい、組織に還元されなくなった、ということです。

 

だから後者の方が「自己中」に「見える」だけで、「うつ」の自我の根本原理それ自体、そして「今の社会・組織のスタイル・状態への適応」という意味では、本質は特に変わっていないわけです。

 

また見方を変えれば、「今の社会・企業組織」は「昔の社会・企業組織」が個人に与えていたものを与えていないわけですね。なので昔の人と同じ「心身一体型の組織への貢」を期待するのは企業のエゴだとも言えます。

ここで追加更新で、外部サイト記事の紹介です。「ブラック企業」によって鬱やひきこもりになる、というケースは多く、「職業文化の変化」は身心に非常に強い作用をもたらす力学であるわけですが、

そもそも「ブラック企業」とはどのようにして生まれたものなのか? まずはそれを押さえたうえで、この問題にどう具体的にアプローチしていくか、それが大事でしょう。 ⇒  「ブラック企業」がここまで蔓延する根本原因  実は日本型雇用システムの成れの果て

 

そしてマクロな次元の問題だけではなく、元々集合主義の日本社会における自我は、西洋のような自立・個別化した自我が形成されていなかったわけです。そこにグーローバル経済が流れ込んできて、

 

自己統合が未熟なまま自己愛性だけが強化された個人主義となり、未熟な自己実現を謳い始めたことで、社会的自我を強化することがさらに困難となり、しかも時代の少子化傾向による親の過保護・過干渉とも相まって、

 

成熟が遅く発達の遅い自我のまま社会化されずに大人になり適応障害となり、退行し、新型うつになるという、ミクロな次元、自我次元の悪循環も重なっているのですね。うつの構造原理は変わっていないわけですが、自我の「発達の未熟度」は増し、

 

にも拘らず「社会と個の関係性」は逆にドライでフォローも少なくなって、全てを「自己責任」で片づけられるため、より自己愛的で他罰的な傾向に向かった、ということです。

 

なのでこれは現代の社会に合った教育への転換と、ブラック企業の在り方に代表されるような「社会側の捉え方」を変える、そして出来る部分でシステムの変更を行う、というマクロな次元の取り組みも同時に必要でしょう。

 

 現代のうつの構造  

自己愛的同一化 ( 自己と対象の同一化) ⇒  「一体化」「依存」の場がない ⇒ 自分の人生の意味が創造できない ⇒ 主体的な自己決定性の喪失 ⇒ ストレス ⇒  退行 現実認識のバランス異常 ⇒ 自己防衛 ⇒ 現実(自分自身の状態)を受け入れな自己正当化の過剰な方向性 ⇒ 躁的状態 ⇒ 他罰(他者否定・批判) ⇒ 自己と対象の同一化よる攻撃性の内面化 ⇒ 自責・自己卑下(自己評価低下) ⇒ 抑うつ状態

 

 

現代のうつ 昔のうつの構造  自己愛的同一化と脳・自我・社会の関係  ” に対して2件のコメントがあります。

  1. ノムラマサカツ より:

    此処で語られる、現代のウツに見られる『→自己正当化の為の過剰な方向性→』まさに、と、自分に気が付く処があります。
    早めに、精神科への通院と行った手を、行っていたならば、或いは、違った結論が在ったのかも知れないと感じるのですが、二度ほど行ってみた?精神科の診療は、効果を感じられるモノではなく、また通院自体に、元配偶者が否定的であったことも在り、其処へは踏み出せなかった事を思い出されます。
    現在、今、通院を検討するべきかな?とは?考えますが、さて?何処へ行こう?とか、在りますが?と、いうか、果たして効果が望めるのか?等、やはり懐疑的な部分も在るのです。

  2. ノムラマサカツ より:

     離婚に至るまでの自分が、『劣』の、レッテル張り回避の為に、此処で語られる様な『操的防衛』と、そのリバウンドを繰り返していた事が、解ります。
     それも、 ま ま な ら な か っ た 訳ですが、、、矢張り早めの診察に寄って、気が付ければな、と、今は思います。

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