一年間お疲れ様でした よいお年を
師走の加速常態のままついに年末を迎えました。あっという間で記事の更新も結局殆ど出来ませんでしたが、一年間お疲れ様でした。
今年も災害に事件、いろいろとありましたが、ラグビーも熱かったし、後半は井上尚弥も村田も熱く、M-1も面白かったです。
今年最後の記事は漫才の話で、笑いで締めます。M-1久々に大笑いしました。ぺこぱも面白く新しい笑いを感じました。
ミルクボーイのコンフレークのネタは全体が面白かったですが、特に「人生の最後がコーンフレークでええわけないもんね。」で大爆笑、
「笑いは暴力」と決めつけたようなことをいう人もいますが、私は以前から、必ずしもそうじゃないだろう、と思っていました。
それどころか、「毒のある笑い=暴力」という考え方も必ずしもそうはいえない、と私は捉えています。「型としては同じでも、それがどういう条件を前提に持っているか?」で、意味・価値が相対的に変化するからです。
「型としては同じこと、よく似たこと」をしても意味や価値が変化する、ということはこの世の中に多々あります。
たとえばセックスですが、仮にAとB、CとDのセックスが、「型」だけ見れば全く同じ内容のセックスでも、「どういう条件を前提に持っているか?」それ次第で愛の行為にも暴力にもなり、
癒しにもなれば傷にもなり、またそれが「過激で変態的なプレイ」であっても、条件次第で娯楽にもなれば違法にもなります。
これは「ボクシングは暴力ではない」と私が感じる理由とは少し異なりますが、「日常において、暴力でない笑いは多々ある」ということです。ですがそれで「毒性の強いタイプの笑い」のパワーをどこまで超えられるか?
そして今回、「超える」ということが実際に起きたわけです。ぺこぱもそうですが、コンフレークと最中のネタも「直接的に」相手・人をいじる、侮蔑的にコケおろすような毒性が殆どない、
毒という刺激のある調味料が少ないのに凄く味があり面白い。もちろん、厳密にいえば「毒が完全にゼロ」ということではないですが、分量として少ない、ソフトなんですね。
「間接的な意味では何かをバカにしているじゃないか」とか、「コンフレークと最中の関係者は?」とはいっても、あの漫才でそれを「悪意」や「名誉を傷つけるもの」という風な、「攻撃的な否定性」として感じる人はまずいないでしょう。
「やさしいだけじゃ物足りない」とか、「毒が少ないのはつまらない」みたいに言われ続けて久しい昭和から続くこの世界ですが、令和元年、ついに笑いは「毒抜きでもこんなに面白い」ということを、高度な技術と創造力で証明した、という手応えがありました。
潜在的には既にあった新しいミームがようやくマクロな形で一部現象化した、というミームの流れの大きな変化を感じた一年でした。
まぁ個人的には「毒の多い笑い」も好きなので(全てではないですが)、どっちもそれなりにいいのですが、新しい笑いの型、というのも色々あったほうが面白い、と思いますね。
ぺこぱ、あのツッコミが誕生した理由が「『おかしい』ってツッコむたびに相方が寂しそうな顔をしてたから」って聞いてからツッコミ後のシュウペイさんの笑顔がいとしくて困る pic.twitter.com/OL9pZv9aPm
— ユノモト (@yuukyun4_1) 2019年12月26日
以下に紹介の記事の臨床心理士の藤井靖氏によるぺこぱの分析は、多くの方が感じたであろうことをわかりやすく言語化していると思いますね。
「ぺこぱ『M-1』後メディア初登場 “否定しない”優しいツッコミの理由語る」より引用抜粋
臨床心理士で心理カウンセラーも務める明星大学准教授の藤井靖氏によれば、「ぺこぱの漫才は、基本的には他人を否定する従来型の『他罰』的ツッコミではなく、
自分に原因があるとする『自罰』や、誰のせいにもしない『無罰』を突き詰めることで成り立っており、それが笑いに昇華されている。
これまで番組などでいじめの話題に言及するとき、『いじめは、いじりからエスカレートしていることも多いので、他罰的ないじりは考えもの』としてきたが、
一方で『そんなことを言ったらお笑いでは何もできなくなる』という反論もあった。ぺこぱの漫才は、いじりがなくとも笑いを起こせるという一つの新しい形ではないか」とした。
– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
公認心理師&臨床心理士の伊藤絵美さんのツイッターでは、ぺこぱの漫才を認知行動療法的に分析していて、少し異なる角度からの考察ですが、なるほど、と思いました。
ぺこぱの漫才見てみたが、認知行動療法的にも興味深かった。
相方の想定外の言動に反応しかけた自らの自動思考にハッと気づいて(モニタリング)、相方の発言と自らの自動思考をそのまま受けとめた上で(マインドフルネス)、別の思考を生み出し(認知再構成)、相手と共有するという流れ。 https://t.co/g8QwmJ1LZA
— 伊藤絵美 (@emiemi14) December 27, 2019
松本人志さんが語っていたように、「史上最もレベルが高い」と多くの人が思ったでしょう。素人ながら私個人の感覚では、かまいたちの方がやや技的に上のように感じましたが。
最中のネタで、「最中の家系図」で「関係性でいうと八つ橋の腹違いの兄弟らしい」という発想には笑いよりも斬新さに驚きました。ですが今回、笑いの秘孔に突き刺さったのはかまいたちのネタで、
「もし俺が謝ってこられてきてたとしたら絶対に認められてたと思うか?」です。
これは凄かったです。井上尚弥のボディーほど致命的ではありませんでしたが、しばらく悶絶し正常な呼吸状態に戻るのに時を要しました。
国語力を駆使しても理解不能な言語処理能力を超えた突然のボケに不意を突かれ、基本最近は漫才見てもあまり噴出さずに笑うことが多かったのですが、
「もし俺が謝ってこられてきてたとしたら絶対に認められてたと思うか?」
こんな面白い表現、一体何が起きてこの言葉が脳裏に浮かんだのでしょうか? センスの一言だけで簡単に片づけていいのでしょうか? かまいたちは天才としかいいようがない!
ではラストに一曲、Your Love – The Outfield – Via Overdriver Duoよいお年を~♪