解離性同一性障害の定義・治療 と憑依との違い   意識と無意識の関係 

 

昨日に引き続きこのテーマです。昨日は主に憑依に見られる意識と無意識の解離と別人格の表出をユング心理学メインに検証しましたが、それは個人的なものの範囲を超えた解離現象の意識のメカニズムであり、一般的なものではありません。

 

今日はそういう非個人的な領域を多く含む解離ではなくて、もっと個人的な、そして一般的で典型的な「解離」と「解離性同一性障害」という現象の心理学的な検証をまずはじめに行い、

 

そして次に、昨日に引き続き、憑依に見られる解離のメカニズムを検証します。

 

それではまず、解離性障害に関する専門家の岡野憲一郎 氏の本と、精神科医 心療内科医 廣瀬久益による「解離」に関するDr.講話を紹介します。

 解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合

 

解離(1/3)

※ 動画のつづき 下記リンクより

解離(2/3)  ⇒ 解離(3/3)

 

● 解離性同一性障害のDSM-Ⅳによる定義 

2つまたはそれ以上の、はっきりと他と区別される同一性または人格状態の存在。

(その各々は、環境および自己について知覚し、かかわり、思考する  比較的持続する独自の様式を持っている)

 

■ これらの同一性または人格状態の少なくとも2つが、反復的に患者の行動を統制する。

■ 重要な個人情報の想起が不能であり、ふつうの物忘れで説明できないほど強い。

■ この障害は、物質(例:アルコール中独自のブラックアウトま混乱した行動)または 他の一般身体疾患(例:複雑部分発作)直接的な生理学的作用によるものではない。

※ 子供の場合、その症状が、想像上の遊び仲間または他の空想遊びに由来するものではない。

アメリカ精神医学界『DSM-Ⅳ 精神疾患の分類と診断の手引き』より引用。

 

 

 

一般的に、幼少期の被虐体験愛情不足による自我の遊離、それに自己暗示の強さが加わったものが解離性同一性障害発症の原因と定義されます。

 

幼少期は顕在意識に自我がまだ統合されていません。この未熟な統合状態の時期に連続して虐待など経験させられると、自我は自我が崩壊することを防衛しようとして自己暗示を使います。

 

そして感情と体験を切り離すことで体験の現実味を失わせダメージを避けようとするわけです。

 

この自己暗示能力が低ければ解離性同一性障害にまではならないのですが、自己暗示能力が高い場合、分離した心の機能が断片のまま統合されないまま、「別人格的なもの」を内部に形成していくのです。

 

「別人格的なもの」は、それが抑圧化されたまま一つの人格に統合されないかぎりは消えてなくなることはありません。

 

そして人格の未統合状態のために希薄化している顕在意識状態では、内的・外的な世界の知覚に対しての立体的な現実感が不足しますので、無意識への一体化(憑依)が起きやすくなります。

 

そのために無意識下に抑圧化された形状記憶体に再び自我が同化してしまうことがあり、その時に別人格的なものが「表」に姿を表す、というのが解離性同一性障害のメカニズムです。

 

ではここで、精神科医によるサイト「岡野憲一郎のブログ:気弱な精神科医 Ken Okano. A Blog of an insecure psychiatrist」より、「解離と脳科学」、「ブロンバークの解離理論 」を紹介しますね。

 

 解離と脳科学(推敲)1-6 下記リンク先にて

(1) (2) (3) (4) (5) (6)

 ブロンバーグの解離理論 1-8 下記リンク先にて

(1) (2) (3) (4) (5) (6)

(7) (8)

 

 

憑依体質    意識と無意識の関係と治療・回復のプロセス

 

脳科学的にざっくりとまとめると、アドレナリン「不安・驚き・恐怖・怒り」といった感情と関係があり、そしてセロトニン「体温調節 ・摂食行動・性行動・攻撃性 ・睡眠・情動」などと関係していると言われています。

 

セロトニン神経系 、アドレナリン神経系、ノルアドレナリン神経系、ドーパミン神経系など中枢神経系の専門的な詳細に関しては、以下に紹介の外部サイトがわかりやすく丁寧にまとめていますのでお勧めです。⇒ 中枢神経系のおはなし

 

 

統合失調症はドーパミン過剰の状態であるのに対して、 うつ病に関係する神経伝達物質はセロトニンとノルアドレナリンです。

 

ノルアドレナリンが不足すると. 無気力、無関心、意欲の低下などのうつ病の症状となり. 逆に過剰だと. 躁状態になります。

 

そしてドーパミン過剰の状態であれば「妄想や幻覚」などといった統合失調症的な症状を引き起こすキッカケになります。

 

このようににざっくりと定義することも出来ますが、まだ完全に究明されたものではなく医学的治療にもまだ「絶対に近いレベルと言えるほどのものが確立されているとは言えません。

 

そもそも神経伝達物質のバランス異常が起こるのはなぜでしょうか?

 

これを飛ばして「起きた結果」の物理的領域だけを原因として、物理的にいじくりまわすだけでは根本的な解決にはなりません。

 

もちろん酷い症状を物理的に止めることはまず現実的な措置として必要です。 ですが何故そういう現象が次々と世界中で起こるのか?ということの理解も大切です。

 

「心」と「体」は密接にリンクしています。主に物理的な原因がメインの病気などのように「体」の不調がまず先に起きて、その次に「心」に影響を与えるもあれば、

 

「心」の不調が蓄積した結果「体」に影響を与え、それがまたさらに「心」に影響を与えるという不調もあります。うつなどはその典型でしょう。

 

 

 

顕在意識と無意識の関係性というものは、心のバランスそのものです。憑依的な解離現象を例にとるならそれは顕在意識が希薄化している状態とも言えます。

 

いわゆる霊媒体質というものは、顕在意識が希薄化した状態で、自我の統合力が先天的に弱い個体であると言えるのです。この状態では、まだ無意識の方に自我の中心があり、

 

この時人の意識は太古の原初的な状態に近い状態であり、個性化が確立できておらず、より集合的な無意識の中に溶け込んでいる状態なのです。ですので様々な非個人的な原像が制御されずに意識に投影されます。

 

霊媒体質ではなくても憑依的な解離現象が起きることはありますが、その状態を観察すると、「顕在意識に集中していない状態で、無意識の方に活力が流れ込んでいる状態」です。

 

自我の拠り所として顕在意識の統合力が不安定で弱いのです。無意識の方に活力が多く流れ込み、自我がふらつきそちらに同化したり一体化したりするのです。このような状態では現実の認識も基準がふらつき上手く統合が出来ないのです。

 

そして無意識が意識化されることなく統合されないまま活性化され続けることによって、「別人格的なもの」が育ってくる、という自我の内的な分裂現象が具現化していきます。

 

このように自我の不安定状態や分裂状態が起きることは、それが解決されないまま続けば心身に投影されます。それをどう受け止めるか?で決定的な差異になるのです。

 

それをサイン・問いかけとして注意深く耳を澄ますか、それとも無視するか、あるいは新興宗教やオカルト、スピリチュアルな概念に置き換えてしまうか?によって全く違った結果になるのです。

 

多くの場合それは「無視」されています。それによって後に身体にまで影響が出てきます。そして一部は病院で治療します。そしてさらに一部は、それを別の者へ「転移」させます。

 

例えば特定の誰かや、昔であれば(現在も一部は存在する)宗教的な呪術的「救済者」などへの全面的な依存になったりします。

 

集合的無意識の代表者としての呪術的「救済者」に自我の統制を委ねる、つまり自己の統合・責任の放棄に至る代わりに代表者に権威を与えるのです。おそらく太古の人類はこのパターンが中心だったのでしょう。

 

そして現代人が「解決の道」を見出せなかった場合、その一部の者が運悪くカルトや過激な組織などにつかまるのです。とはいえ、その解決の道が社会にあるのか?というと、

 

近代合理主義において、それは個々に任せられた問題であり公式のものとしては現在は存在しないも同然なのです。

 

だからそういう呪術的「救済者」などに頼らなかった人も、結局、運良く自然解決に至れなかった場合は内的なバランス異常の放置の結果に心身の病へと至るしかないのです。

 

次回は、現代においてそのために何が有効なのか?どのようなものが今の社会には不足しているのか?という点を書いてみたいと思います。

 

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