歌とリズムと旋律 型と創造性・全体性と要素還元
今回は前半が「歌とリズムと旋律」、後半は「型と創造性・全体性と要素還元」をテーマに幾つかの動画を紹介しつつ記事を書いています。
音楽っていう漢字は「音を楽しむ」と書きます。世の中にはいろんな音楽があり、そして旋律やコトバやリズムの与える心的作用もありますが、それも含めて私もシンプルに「音を楽しむ」わけです。
星は「歌う」ことが判明。恒星のプラズマのなかで、音の放出に非常によく似た物理的メカニズムが生じることを英ヨーク大学の研究者チームが発見した。 https://t.co/YBPzJsS1No
— WIRED.jp (@wired_jp) 2017年2月11日
最初に原始的リズムがあり、みなで同期すると「踊り」になり、原始的リズムにコトバにならない声が乗っかると「歌」になる。歌は言葉より先に始まった。
様々な非言語性コミュニケーションが先にあり、言語性コミュニケーションより強い同期性を持つ歌・旋律は、人の感情・感性に深く作用する力を持ちます。
まず先に、今回のテーマと関連する外部サイト記事を二つ紹介します。
〇 人と単位と音楽と
ではまず一曲紹介、Pearl主催ドラムコンテストのファイナリスト「Amanda Tieman」さんのパワフルなドラム、この音・リズム、いいですねぇ~♪。
次はイギリスのシンガー・ソングライターの Jon Gomm さん美しくもテクニカルな弾き語りの動画を紹介。マイケル・ヘッジズに影響を受けたことがよくわかる演奏ですが、総合的にマイケル・ヘッジズを超えていますね。
次は現在20歳のモイーニ・デイさん(インド)のベース演奏です。
今は何か趣味などを始めるのにやりやすい時代になりましたね、いろんな情報が簡単に手に入る時代ですから。
綺麗なお姉さんたちが楽器演奏の基本を教えてくれる動画チャンネルを紹介しておきます。⇒ atossinternational
⇧で紹介したチャンネルからギター入門編を二つピックアップしてリンク紹介と、ベースの入門動画を二つ紹介しますね。
ではここで、イタリア人の作曲家 Ludovico Einaudi(ルドヴィコ・エイナウディ)さんの動画を紹介です。様々な音楽の要素をミックスさせて美しく多彩な曲を生み出している作曲家です。
次に紹介するのはロシア出身のギタリスト「Estas Tonne」さん、哀愁漂う美しく瑞々しい音をストリートに響かせます。
型と創造性 全体性と要素還元
よく、「どれもコードが一緒」とか、「どの曲も似たように聞こえる」とか「J POPなんてみんな一緒」みたいなことをいう人がいますが、
でもこれを「型」という角度で突き詰めると、民謡・演歌・フォークソング・ブルースなどもっと型が単調だし、むしろそれをもってひとつの特色としているわけで、
またコードから見た場合、それはJ POPに限らず洋楽も含めて独創性はほぼゼロに等しい、となってしまうわけです。
なので構成の部分的要素だけをもってして全体を定義してしまうと、逆に全体の持つ多彩さが見えなくなる、という本末転倒になります。
〇 参考サイト ⇒ 世界のポップミュージックで最も使われているコード進行
全体と部分は同一ではないですが、要素に還元して見る、というのも色々な形で役に立ったり、そこから見えてくる特徴、というものも確かにあります。
以下の動画のような、要素の組み合わせ・関係を知ることも役に立ち、楽しいですね。
私はブルースが好きなんですが、ルーツを辿っていくうちに「ロバートジョンソン」を青年の頃に初めて知って聞いた時、凄い衝撃を受けたんですね、
シンプルなのに物凄い声・音の生命力だなぁって。何か現代のブルースとは根本が違う感じがしました。
そういうところを要素から突き詰めている以下に紹介の「ロバートジョンソンの歌の分析」の試みはとても面白いと感じたので興味がある方は以下のリンク先にてご覧ください。
音楽はメロディ(音階)、コード、リズム、楽器に加えて、歌が含まれる場合は歌詞(言葉)とメインのボーカルの表現力・声質やコーラス、メンバーのキャラクターなどの組み合わせ、
そしてライブを見る場合なら、さらに衣装や照明や振付や映像などの複数の要素で成り立ちます。なのでコードや一部の要素だけでは決まりません。その全てで表現の全体なわけです。
また、「型」というのは音楽だけではありません。工芸・絵画・文学・映画・ドラマ・漫画なども「型」があります。世界の伝統芸能は単調な型の中で表現が行われます。
伝統は型であり、型に意味・価値があるわけです。また映画・ドラマ・漫画・歌謡曲などのストーリーや歌詞には本来は無限に近いパターンがあっても、
そして音や色彩に無限に近い組み合わせがあっても、実際は「人が好む型」というパターン性が先にあり、そこに集約されるため、創造性は無制限にパターンを選ぶのではなく、特定の型が選択的によく使われているわけです。
そもそも文化・言語は型であり、ミームにも型があり、無意識にも原型があります。つまり心・精神すら既にパターンや型を持っています。
表現はそれらの要素の創造的な組み合わせに過ぎません。そして生命・存在を根本を形作る要素に還元すれば、原子も細胞も遺伝子も型です。
そして要素だけ見れば人間はみな殆ど同じです。それらのシンプルで同一の要素をみなが共有して生命・存在が表現されているわけです。
ですがあなたの目の前にいる複数の知人・友人・家族や他人を、「タンパク質と脂質と炭水化物と核酸と無機塩類と水の塊」とは見ないように、
あるいは、目の前にある様々なモノを「幾つかの種類の原子の塊」という風には見ないように、要素を構成しているものが同質でも、全体性として表現されている存在それぞれは、やはり多様で別物なんですね。
やっぱりシンプルに芸術も科学も、そして文化・文明も個々の知的探求もクリエイティブも「温故知新」が大切だと私は思います。「守・破・離」もそうですね。
そうすることで、むしろ人間の土台やルーツを軽視した「貧弱な創造性」とか、「根無しの妄想的独創性」とか「不自然で異様な創造性」の暴走に陥らずに、
「ヒトの心・精神の自然さに根差した創造性」へと昇華されるからです。
「瞑想」だって「修行」だってそうです。いきなり何もかも知るなんて出来ないし、禅定も本質はシンプルでも凄く奥が深いものであり、本だけ読んで理解出来るようなものではありません。
先人たちの真摯な努力の過程を全く理解しないまますっ飛ばし、スピ・オカルト盲信者の個人がいきなりチャネリングとか宇宙人とのコンタクトとか霊言などで「真実・真理」の全体を見た、とかいう浅はかな思い込み、
「霊的真実」など求める人の中には、自分は特別な存在、普通の人とは異なる特別な動機で生きている、と思いたい妄想マウント意識が未だ抜けきらない大人の中二病も多いですね(笑)
まぁほどほどに楽しんでる分には想像力を刺激されてエンタメ的な癒し効果もあるので、そのくらいがちょうどよいですね、そういうものは。
ですが、そういう一番楽で簡単に手に入るいい加減な知識を得ただけで、「人間・物事・現象・存在・愛・宇宙」を全て知った気になれるような「探求心のかけらもない人」は、
それが中心になっちゃてるような人は結局「何をやっても浅い理解のまま」でしょう。
※ まぁ本人は「探求ごっこ」が「探求」だと無邪気に思ってるだけなんでしょうが、それは探求ではなく「好奇心の一種」に過ぎません。
特に有害なものでなく個人で勝手に信じてそれで幸せなら別にそれでもいいと思いますし、好奇心は大事ですが、それが本当に真摯な探究にまで高められるかはあなたの姿勢次第、ということです。
ラストに紹介のTEDの動画では、ノーベル文学賞を受賞したボブ・デュランさんでも「パクリ」批判を受けた、そういう過去が紹介されています。
科学もそうです、完全なゼロから何かを発見したんではなく、様々な過去の複数の偉大な科学者たちの知的遺産と研究の積み重ねが、次なる創造的発見の土台となって繋がっていくわけですね。