変わりゆく時の中を 禅・瞑想と存在の詩
今日は雪の結晶の動画と、早春の花の動画を紹介します。
変わりゆく時の中で存在は刻々と変化しながら、現象は「ただ在る」だけです。ですがその一瞬一瞬の輝きの中に 生きた詩が流れていることを感じている時、形のない無限の何かが存在と共にある..
思考では掴めない何かが、確かにそこにあるんですね。
雪の結晶 スノークリスタル snow crystal
2014年 春告草 / 早春譜
禅・瞑想と存在の詩
禅や瞑想が「形や方法」を持つのであれば、それは特定の領域でしか意味を持たない自我の投影に過ぎず、そして自我の目的にとってのみ、それは意味にあるものになるでしょう。
禅や瞑想が形や方法を離れ、存在が自我を離れたとき、生そのものが禅であり瞑想になります。そしてその時、生は時間の中に連続した「定義された断片」ではなくなり、
瞬間瞬間のリアルだけが存在する詩になっていくのです。このまなざしは、社会での自己実現とは全く異質なもので、見過ごされた「生のもうひとつのリアル」を教えてくれるのです。
これは意図して起こすような意識状態ではなく、獲得するような対象でもありません。そういうことを一切忘れたとき、自然に訪れる何かなのです。
存在の詩
私の過去に作詩した抽象的な存在の詩をひとつ紹介です。
「ただここにある時」
透明な空 透明な風 ただ一人ここに確かにある時 すべてが優しい 美しい 風に靡く枯れ木の美しさ 指導なく真っ直ぐ伸びゆく木々
欲望が産み落とした存在のはかなさゆえの 悲しい努力も葛藤もなく 起きていることをそのままに
創造の力が 自らの光で学び育つありかたの中で 生きた透明な意識の感受が 人知れず生の不毛な姿に 一面の詩の花を咲かす
この希有な現象の現れと共に 瞬時の変化との無限の出逢いが訪れる