過奮症・インフル怨嗟と環境型毒親
今回はブラックユーモア・社会問題に対する風刺的な内容を含んだ記事です。まず最初に、替え歌ならぬ「替え漫才」です。
※ これはミルクボーイ「コーンフレーク」、タカトシの「欧米か!!」をごちゃ混ぜにして変な方言で語る「高橋」と「鈴木」(架空の人物)による替え漫才です。
「コロナ&欧米か!」 高橋、鈴木の漫才
(高橋)最近おかんの体調がよくないねん、おかんがいうにはなぁ、換気が悪くて人が密集してるところで何かうつされたらしいねん
(鈴木)そら風邪やな
(高橋)うがいと手洗いが効果的っていうねん
(鈴木)そら風邪やな
(高橋)でもなぁ二週間隔離とかされんねん
(鈴木)それ風邪やないかもなぁ、風邪で隔離とかされへんねん
(高橋)街歩いてたら「コロナちゃん」って言われるねん
(鈴木)欧米か!
(高橋)おかんがいうには、想像を絶する対応のだらしなさによって問題が深刻化しているそうで、自粛で自宅待機らしいねん
(鈴木)そら徳井やないか?徳井的状況そのものやないか
(高橋)そうかもしれん、だっておかんがいうには、検査で「徳井度が高い」っていうてたから、でも感度は低いらしいねん
(鈴木)そら徳井やないな、徳井の感度(センス)は天才的や、それPCRやないか?おかんもPCR検査受けた方がいいんのとちゃうか?
(高橋)でも、おかんがいうには日本は人権後進国っていうねん
(鈴木)それはPCRやない、BBCや
(高橋)そっか、でもPCRでは何もでんかったらしいねん
(鈴木)ならコロナやないやんけ
(高橋)でも熱があるみたいやねん
(鈴木)そら風邪やな、てか風邪もコロナやないか、風邪になってる人みんなコロナちゃん、みな仲間や、人類みな兄弟、いや人類みなコロナちゃんや
(高橋)でも学校行ったら、「コロナちゃん」って言われてイジメられるねん
(鈴木)欧米か!
(高橋)いや欧米かどうか知らんけど、ワイもこの前道歩いてるだけでいきなり殴られたんや
(鈴木)欧米か!
(高橋)あとおかんがいうにはマスクとかトイレットペーパーが手に入らへんらしい
(鈴木)それはコロナやないか でも風邪もコロナやからどないしてそうなったんや
(高橋)おかんが得た情報によると、日本とかアジアの民度が低いっていうことらしいねん
(鈴木)欧米か! そりゃ全部欧米や!コロナやない、風邪でもない!それは全部欧米や!
(高橋)じつはなぁ、俺もおかんから何かうつされたみたやねん、でも俺たち兄弟、人類みなコロナちゃんや、鈴木ハグしようぜ!
(鈴木)うわッ近寄るなコロナ!除菌スプレーぷしゅー
(高橋)お前も欧米か!
どんなにコロナウイルスで人が死のうとも、今年の日本の総死亡数は例年のものとかわらない。コロナで死ななくとも、インフルエンザかその他の病名で死ぬのだ。人は恐ろしい病気で死ぬのではなく、弱っていくから死ぬのだ。医療者は知りたくないけど、介護の人間が一番知っている。人は死ぬって事を。
— 萬田緑平 (@ryokuhei) March 13, 2020
まあ、結局こういうことなんだと思うんだけど、、、
なんというか、肺炎はごくごく一般的な死である。
新型コロナウイルスへの対処をどれほどしても、「死」そのものからは逃れられない感。そして、私はこういう図を見るのも描くのも好き。 pic.twitter.com/pEmhK5nzmm
— 西川公平@CBTセンター (@gestaltgeseltz) March 20, 2020
「トイレットペーパーが消えたきっかけは、SNS上の噂だと言われますが、私たちが行った調査では、その噂をSNSで知ったという人は10%にすぎません。半数近くはテレビでその噂の存在を知り、品切れの状況をテレビや直接見て知っています」
↑ホントTVって怖いんですよ…https://t.co/CKwjysiJj3
— Ako (@heart8255) March 19, 2020
過奮症とインフル怨嗟
適度な運動は体に良い、過度な運動はかえって体を壊すように、フィジカルな運動だでなくメンタル(お気持ち)な運動もまた「過ぎたるは及ばざるがごとし」は同じでしょう。
最近、形而上界も過激な運動が目立ちます。ここ最近の地球の動物であるサピエンスはホルモンのバランスがかなり乱れています。
季節は春になり花粉症も増えますが、「SNSなどでみられる、他者の表現に対する病的な過敏さと興奮しやすさ」、この状態をここでは「過奮症」と表現しました。
過奮症は感染します。コロナより早く広がります。感染源は「インフル怨嗟」と呼ばれるお気持ちマスターとその従者たちのクラスターです。
このクラスター内で内集団・外集団バイアスを強化し、先鋭化することで変異した形而上のウイルスが、クラスター感染して外部に拡散されていきます。
この世ではインフルエンザばかり知られていますが、「ネットのインフル怨嗟」、この形而上の感染の大流行によって毎年多くの方が心を病み、
また悪意、善意を問わず、何かを過剰に徹底的に攻撃するその無自覚な暴力性によって「指殺人」という形で命すら落としています。
インフル怨嗟は形而上のウイルスを媒介・拡散しますが、「竹鼠」のような無垢さ・可愛さは微塵もありません。可愛げもなく珍獣でもないので私は興味ありませんが、その力学の負の作用を無視はできないため観察は行います。
感染ルートは、ネットから言葉を媒介して脳内に感染します。潜伏期間はありません、ほぼ感染と同時に脳内ハックされています。
そして熱に浮かされたように140文字の言葉に囚われ、徐々に顔真っ赤になって「気に入らない相手にいかにダメージを与えるか」、そんなさもしい精神状態になり、
やがて症状が進むと、140文字の言葉に何か本人にしか感じ取れないものを幻視し、「震え」が出てきたりなどの初期症状が現れます。
「○○に震えた」「○○許せない」とか、そういうことばかりをつぶやき始め、毎日熱に浮かされたように、己が幻視を「類型化された他者」に自己投影して自称「聖戦」を開始します。
この感染症の怖いところは、同じ症状の者たちと共振することさらに震えが止まらなくなり、長周期のお気持ち共振現象となって「震え」がどんどん肥大化していく、ということです。
このような症状に陥っているニンゲンを今まで沢山みてきました。
140文字の言葉にオペラント条件付けされたニンゲンは、オキシトシン、ドーパミン、アドレナリンなどのホルモンを大量に分泌し、「ずるい、悔しい、許せない」などを言い始める状態と化します。
そして交感神経優位で興奮しやすい状態が慢性化すると、寝つきも悪くなり、深夜まで臨戦態勢となり、形而上の領土争いに突入し、「お気持ち戦国時代没入モード」になるのでご注意ください。
人は常に幸福を求めるが、常に幸福に気づかない。(ルソー)ではここで一曲紹介、自律神経に優しい乃木坂46の曲で「しあわせの保護色」です♪
環境型毒親
やはり物事はバランスですね、「運動のやりすぎ」にはお気を付けください。「元気があれば何でもできる!」という昭和の精神論は廃れ、「霊気があれば何でもできる!」のカルトも廃れましたが、
その代わり「正義があれば何でもできる!」が今肥大化しています。そして「被害者であれば何でもできる!」もセットになりました。
このセットが問題なのは、「自分たちは正義なので攻撃出来る立場であり、同時に我々は被害者であなたたちは加害者なので一切の反撃も認めない」、という形而上の無敵の陣形を先に作ってから集団で攻めるので、
一方的な攻撃を正当化させ、相手には防衛も反撃も認めずに叩き続けるという正義の名の元のリンチを、相手は無制限に受け続けるしかない状態に追い込まれるるわけですね。
そしてそれを暴力とは呼ばせないし自覚もしないでいられる陣形です。
他人や社会の問題や間違い探しばかりをして、引き算目線・減点目線で物事を細かく小うるさく批判&チェックばかりして因縁をつける、
本当はこのような人々の無自覚なパターナリズムからの同調圧力と過干渉、存在否定こそが、「世間様」に対するアンチの化身である「ジョーカー的なる意識」の生みの親なのです。
過剰な啓蒙主義による抑圧への反動が暗黒啓蒙を産み、加速主義を誕生させた構造に似て、
このマクロな構造からみた意味では、「ジョーカー的なる意識」は、無自覚なパターナリズムの強い負の作用である「環境型毒親」から生み出された構築化された情動の1形態、ともいえるものです。
「環境型毒親」も社会に構築化された1形態だとしても、それによって新たなものが生み出されているともいえるため、この負のループを終わらせる、という点では機能不全家族と同様の課題をそこに見出すわけですね。
以下、臨床心理士信田さよ子さんの「〈性〉なる家族」より引用
『子どもが憎いからあんなひどいことをするのだという理解は、虐待に対する無知・誤解の典型である。
親は子どもを憎いのではない。子どもは自分の思い通りになるはずだと思っており、そうならないから彼ら自身が傷つき、そして傷つけた子どもに対して怒るのだ。
「良かれと思って自身の価値基準で他者を執拗に過剰に裁く者達」も同様です。
価値を一元化したいが、他者は自分とは異なる価値基準を持っているからそうならない、思い通りにならない、だから「理解されない」と傷つき、
そして傷つけた他者に対して怒るです。そしてそれらが集団化し疑似権威のようにふるまう時、「環境型毒親」となり「環境型AC」が誕生するわけです。
ACの類型で「問題児」に該当するのが「ジョーカー的なる意識」、ということですね。