リベラルバイアスとプロパガンダ 「性犯罪」というものに特有な何か
SNSの「140文字の藁人形論法」は、けっきょく相手を否定したいだけの人は延々とそれを続け変わらない、というのがよくわかる。
「両義性を含んだ全体」として対象をみていこうとすることが出来なくなっている「リベラルとはいえない人々」が増えてきたなぁと思う。どちらかといえば「右側」といわれる人たちの方が、古典的なリベラル精神に基づいているとすらいえる状態。
議論には「正解」がないということは、政策や倫理などの分野でよく言われます。これらの分野では、多様な価値観や利害関係が存在し、一つの基準や目標に合わせることが難しいからですが、「正解」がないからこそ、議論を通じて合意形成や協働を図ることが必要になるんですね。
ところで、細川バレンタインさんのYouTubeは時間があるときたまに見ていますが、こういうテーマを選ぶのは珍しいなぁ。かなり怒ってますね~ 笑 ➡ DJ SODAの件で怒りが止まらない。二度と日本に来ないでほしい
まぁ著名人が「個人の問題」を「属性全体」に広げてメッセージを発信する、それがニュースで取り上げられる、というこの流れには政治的なものが強く働いていると考えられるでしょう。
ダライラマの件もそうでしたね、今の欧米及び先進国の規範意識、ポリコレの文脈で強い負のイメージをもたらすものが「武器」として政治利用される。相手のイメージを落とすためにそれが使われる。
Jリベラルはトランプとか日本の右派側のデマとかフェイクニュースなら逐一反応しチェックする割に、中国や韓国の政治的な目的で行われているプロパガンダに対してはチェックが甘い。原発の処理水だけでなく、なんでも無防備に受け止めすぎです。
まぁそういうところにもリベラルバイアスが働いているわけですが、 (リベラルバイアスとは、自分の持つリベラルな価値観や思想に合致する情報や意見に対して肯定的になり、それと反対の情報や意見に対して否定的になる傾向のことです。)
例えば、ChatGPTは、リベラルバイアスを持っているという研究があります。「ChatGPTは、アメリカでは民主党、イギリスでは労働党、ブラジルでは労働者党などのリベラルな政党を支持する回答をする傾向がある」ということです。AIの思考も政治的な偏りから自由ではないのです。
リベラルバイアスは、自分の仮説や信念を確証するために都合の良い情報だけを集めてしまう確証バイアスや、結果がわかった後に「最初からそうなるとわかっていた」と思い込んでしまう後知恵バイアスと関連しています。
Jリベラルならいつものことなのでどうでもいいですが、「ダライラマ」の件は、SNSでも高学歴のインテリがまんまとひっかかっていてましたが、露悪的な逆張りするのがかっこいいとでも思っているのかなぁ、インテリは。
一般人よりたくさんお勉強してきたんだろうから、マグヌス・フィスケジョ(コーネル大学准教授、人類学)や哲学者ジジェクみたいに、ちゃんと学問と理論で批判すればいいと思います。
〇 「ダライ・ラマは小児性愛者」 中国が流した「偽情報」に簡単に騙された欧米…自分こそ正義と信じる人の残念さ
〇 哲学者スラヴォイ・ジジェク「ダライ・ラマの『舌をしゃぶれ』発言への批判は見当違いだ」
まぁそれはともかく、議論以前の「生き方の根本的な違い」というのはどうにもならない。私はライブを見るなら、例の韓国のDJさんよりレディガガさんんの方が断然いい。「この人のモチベーションや生き方の方が好き」というこの感覚は変えようがない。
レディガガさんの生き方のダイナミズムは、男女超えてパワーを与える力がある。➡ Lady Gaga Crowd Surfing in Toronto.
(下の二つの動画はビービー・レクサ、ケイティ・ペリーですが、こちらも豪快ですね。)
昨今の様々な左右上下の「分断」の可視化、そこに最近は戦争の話題等も加わって、そこでも同様の争いが起きている。
また暴力や争いや分断にせよ質的な差異があり、他者が「ひとことで語れない多元性」をみながら何かを語っていても、「自分が気に入らないもの」をそこに見つけると、それだけを全てであるかのようにして藁人形論法で全否定し、価値基準や問題への解釈を一元化し、「他者の内心」にまで強く干渉しようとする。
藁人形論法を繰り返すとそれが思考の癖になり、相手の言説に含まれる両義性・多元性が全く見えなくなる。しかし、そんな思考の癖をもつ者の一部が、人文系、インテリ、教師、講師、社会的弱者の支援者、心の専門家などの人だったりすると、
その立場でそんな程度の有様では、この先の状況がよくなるわけはないだろう、とは思う。
政治的な利害関係を持つ対象の評判を落とすために、「性的加害」・「差別主義者」などの強い否定の言葉を乱用し、一方的にレッテル張りしてキャンセルしたり社会的に排除することは人権侵害に繋がります。それでは本末転倒でしょう。
また、このような悪用が行われることで、本来の問題点が見えにくくなり、社会的な混乱を招くことにもなります。政治的闘争においては、公正かつ建設的な議論が必要であり、このような手法は避けるべきです。
もはや新聞もテレビもBBCも、いや大人の建前は一切あてにならない。ジョギング中のドイツ人もマックの女子高生の意見もあてにはならない。私たちは一体何を信じればいいのか..。
しかし、「中国で生まれたイギリス人と中国人のハーフの豆豆ちゃん」の↓この言葉だけは信頼に値する!(笑)
中国で生まれたイギリス人と中国人のハーフ、豆豆ちゃんが初めてお父さんの母国(イギリス)へ訪れ、人生初のイギリス料理に衝撃を受け、大号泣😭…その訳は⁉️#イギリス料理はどんだけ😹 pic.twitter.com/2sTPp2tT71
— 思萱 (@Sixuan_lee) July 2, 2023
母親による子殺しの量刑は、国によって大きく異なります。日本では、母親の子殺しは執行猶予が付くケースが多く、実刑を受けた場合でも10年未満の刑が多いというデータがあります。母親の精神状態や子供への愛情などが酌量されることが多いようです。
アメリカでは、州によって異なりますが、母親の子殺しは一般的な殺人罪と同じく、重罪として扱われます。死刑や終身刑を科されることもあります。母親の精神病や産後うつなどが考慮されることもありますが、それでも日本よりも厳しい判決が下されることが多いです。
韓国では尊属殺人罪という規定があり、「子供が親を殺す場合」は死刑または無期懲役または7年以上の懲役とされています。韓国では「親から子への暴力」よりも「子から親への暴力」の方が重く罰せられるとのことです。
日本の場合、母親の子殺しは「情状酌量」され、性犯罪は「情状加重」される。性犯罪は昭和と比べて減る一方で、量刑やその種類は増え続けています。
「これはおかしい」と感じる人も昔からいたんですね。➡ 「子は親のものと思っているのではないか」わが子3人を手にかけた母への“温情判決”とその波紋…投げかけられた「罪を犯した女の一生」
警察庁の統計によると、令和2年における児童虐待の相談対応件数は88,931件で、そのうち身体的虐待が28,752件(32.3%)でした。また、世界の「人身売買」は百万人を超えています。「親の子への愛」を普遍化しすぎるのもどうだろうか? 子供が売られ搾取され暴力を受ける、なんていうことは世界中で珍しくなく、よくある現象。
〇 関連外部サイト記事 ➡ 母親の子殺しは罪が軽い?なんと6割が執行猶予に
それにしても様々な犯罪がある中で、「性犯罪」というものに特有ともいえるような忌避感とは一体何でしょうか? 犯罪者たちからも嫌われる、それが「性犯罪」。
「アメリカ極悪犯刑務所の日常 レイプ犯はその日のうちに始末される FBIに逮捕され10年以上服役した日本人チカーノ・ケイが明かす驚愕体験」 より引用抜粋
刑務所には約2500人が収容されていたけど、恐れられていたのはメキシコギャングですね。囚人の60%くらいはメキシコ系で、彼らは命令系統もきっちりしている。上の人間が誰かともめれば、下の者がすぐ報復します。
自分もギャングの抗争に巻き込まれて、ジムでベンチプレスをやっているときに顔を刺されたことがあります。やっぱりベンチプレスをやっていたら、5㎏の重りで殴られて、目の下を陥没骨折したこともある。
あと、私が見た中でヤバいのはキューバ人でした。ある日、キューバ人が昼寝している近くで騒いでいる黒人がいて、口論になった。キューバ人はその場はスッと引いたんですが、夜、鉄製の椅子の足をもいで、寝ている黒人の頭をザクザクに刺した。黒人の顔はザクロみたいになっていましたよ。
そんなギャングたちが、まとまるときもある。たとえば、レイプ犯や子供にイタズラした奴が入ってきたとき。そういった犯罪者は嫌悪されているので、だいたいその日のうちに始末されますね。
– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
引用元⇒ アメリカ極悪犯刑務所の日常 レイプ犯はその日のうちに始末される FBIに逮捕され10年以上服役した日本人チカーノ・ケイが明かす驚愕体験
日本の刑務所では上の記事内容にあるような激しいことはほぼないとはいえ、似たような序列の意識はあると聞きます。
結局のところ、人はそれが「悪」であっても「善」であっても、「力のある者」「知能が高い者」の方を評価する。つまり「力もなく頭も悪い無能なカスによる暴力」は、「より残酷、凶暴な悪」や「狡知に長けた悪」よりも破壊性が少ないにも関わらず、嫌われ排除される。
ヤクザ映画や不良漫画は一定のファンがいて人気もあったりするし、ハッカーや詐欺師や盗賊やテロリストや殺し屋などもやっていることは悪だし破壊力も影響力も規模が大きい割に、悪役として、時に主人公として映画や漫画等で描かれたりもする。
それに比べて「性犯罪者」はなんと情けないイメージだろう、「パンツを覗いた」「体に少し触れた」という次元~強姦まで幅はかなりあるとはいえ、とにかく忌避感が半端ない。
このような「理由なくそう感じる」というものは、構築的なものというよりもかなり本能的な、生物学的なものといえるのでしょう。
そして暴力集団から「暴力」だけを引いた集団である娑婆の世界も同じ。「力もなく頭も悪い無能な暴力」から「暴力」だけを引いた「力もなく頭も悪い無能」への社会的評価も同じ。いや、これは「聖」や「賢」の領域においても同じなのかもしれない。
けっきょく、どの分野・領域であれ「力への意志」からは逃れられないのかもしれない。