サイエンスの進歩・創造性・可能性と原因志向と目的志向
「一般ニュース」「心・精神の病に関する最新研究」のカテゴリー記事の紹介です。
昨年の大村智・北里大特別栄誉教授に続き、今年もノーベル医学生理学賞を日本人が受賞しました。
そして「ノーベル物理学賞」では数学の「トポロジー」という概念を利用して、物質で起きる特殊な状態を理論的に説明したアメリカの大学の3人の研究者が選ばれましたが、この理論もとても面白いです。⇒ 2016年のノーベル物理学賞は物質における”トポロジカル”な理論!?
「ノーベル化学賞」に選ばれたフランス・英国・オランダの 3氏の「分子機械に関する研究」もとても面白いです(^-^)⇒【速報】2016年ノーベル化学賞は「分子マシンの設計と合成」に
そして「ノーベル化学賞」を受賞した一人「フレーザー・ストッダート教授のウィットに富む以下の発言も良かったです。⇒ ノーベル化学賞の米大教授「私は賢くない」、トランプ氏をチクリ
オートファジーの研究者である大隅良典氏、この研究の今後の発展には様々な可能性があり、中でも医療への応用が期待されます。
○ 「オートファジー」 医療への応用研究進む 神経疾患、がん治療に期待
サイエンスの進歩・創造性・可能性
「分からないことにチャレンジするのが科学的な精神」、「サイエンスは、どこに向かっているか分からないからこそ楽しい。」「科学を文化として認めてくれるような社会にならないか」、と語る大隅良典氏、
数値や結果に明確に反映され同時に具体的に役に立つ実質的なもの =「合理的で現実的なもの」、そして現代の日本社会は「効率的・合理的・能率的なスピードばかりが求められる競争社会」という感じですが、
高い創造性が明確に具体化・応用化するまでに育つには、「それを支える豊かで広い土壌と長いスパン」という空間性と時間性が必要です。
すぐに利益や結果と結びつく目先の合理性や現実性だけを追求し、数字的な上昇・増大をもって成長・発展とし、そして無駄のカット、非効率性の改善をする、
そのような「現実主義的過ぎる空間性と時間性」の中では「育たない・育ちにくいものがある」というのは確かでしょう。
これは芸術・思想など含め様々な文化の発展にも関連することで、深い創造性・高い創造性・豊かな創造性が結晶化するには、「非効率的な過程、長いスパンで見る創造的なチャレンジ精神が許容される空間性と時間性」が必要なんですね。
そして人間の個性・能力の多様性にしても、あまりに均一化したノーマルな「規格内の人間像」ばかりが求められ、規格から少しでも外れると除去扱いされる、あるいは過剰な同調圧力で抑え込まれるような環境下では、
それに適した人間以外は育ちにくい排他的な時間性・空間性としての社会になるでしょう。振り幅が少ない潔癖すぎる社会で締め出されていくものの中には、長いスパンで見れば大きな可能性が内在されているものがある、
「科学を文化として. .」の大隅良典氏の言葉の中に私は、そういう「創造過程を大らかに見守る在り方を大事にしてほしい」、という気持ちを感じます。
その結果、いつか豊かな形で社会に還元されるのですが、「それがゆっくりと育つのは待てない」そして「様々な可能性の芽を枯らしてしまう」という現象は、希少な成功例の影で実際に沢山生じていることでしょう。
「オートファジーって何? 疾患とのかかわりは?」【受賞会見での質疑応答】ノーベル生理学・医学賞受賞の大隅良典氏より引用抜粋
――研究者として「人がやらないことをやる」という姿勢を貫いてきた。そのきかっけは。
実はあまり競争が好きではない。大勢で寄ってたかってすごいことができるのも1つの科学の在り方だが、
一番乗りを競うよりは、誰もやってないことを見つける喜びこそが研究者を支えるのではと常々思っている。
だからこそ、従来、ゴミだめだと思われていた液胞に注目し、誰も蛋白質分解に興味のないときにオートファジーの研究を始められた。
――政府の研究費は近年、出口志向を強めている印象だ。
大変憂いている。やはりサイエンスは、どこに向かっているか分からないからこそ楽しい。そういうことが許される社会的な余裕が欲しい。
分からないことにチャレンジするのが科学的な精神だろうと思っているので、少しでも社会がゆとりを持って基礎科学を見守る社会になってほしいと常々思っている。
(中略)
役に立つかどうかという観点でばかり科学を捉えると、社会をダメにすると思う。科学の世界では、『役に立つ』を、『数年後に実用化できる』と同義語に使うことがあるが、大いに問題だ。その科学が本当に役に立つのは、10年後、20年後かもしれないし、100年後かもしれない。将来を見据え、科学を文化として認めてくれるような社会にならないかと思っている。
– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
PDF オートファジー減弱と老化の関わり
理想か現実か、原因・真実の究明か目的の達成か
工学博士の堀 浩一 氏のHPの「Title: 工学と理学の違い」で、「理学」は「現象を記述し説明する体系を作ることをめざす」。「工学」は「目的関数を最大化(あるいは最小化)することをめざす」と書かれています。これは簡潔にわかりやすく本質を表した表現です。
よく「理想か現実か」みたいな話がありますが、これは何にウエイトが置かれているかという話しで、人の価値観や物事との相性・選択にもあてはまるものがあります。
つまり「工学」と「理学」は両者共に「科学」をその土台としつつも、「真理の探求」にウエイトが置かれている理学に対し、「求められる現実的な課題」に対処する工学は「社会にとって役に立つかどうか」が重要で、
理学には理想があり、工学にはプラグマティズム(実用主義、道具主義、実際主義)の1面があるわけですね。
これはどちらが良いとか悪いとかの話しではなく、「どちらも必要」ですが、「Title: 工学と理学の違い」の中で、以下のような両者の「相性」の話しも面白いですね。
「工学の研究と法学の研究とは共通するところがあって、工学の先生と法学の先生とは、案外、気が合うのです。実際、人工知能の研究においても、法学の先生と工学の先生との共同研究が行われていたりします。
逆に、同じ理科系でも、工学の研究者と理学の研究者では意外に気が合わなくて驚くことも少なくありません。」
とありますが、感覚的によくわかるものがあります。原因志向と目的志向の差異・気質の差異・役割の差異の多様性にも通じるものがあります。
これは「個々それ自体」が良いとか悪いとかの話しではなく、個々はどれも必要で、同時に「バランスと関係性次第で良くも悪くもなるもの」、ということなんです。
他に「Title: 工学と理学の違い」の中でとてもわかりやすい説明をしていると感じた箇所を以下に引用・紹介です。
「Title: 工学と理学の違い」 より引用抜粋
工学ではなんらかの目的関数を最大化(あるいは最小化)することをめざすのに対して、理学の研究では現象を記述し説明する体系を作ることをめざします。
たとえば、電圧と電流と抵抗の間にどういう関係が成立するかをオームの法則として示してみせるのが理学の研究だとすれば、工学の研究では消費電力を最小化するための方法を考えるということになります。
この例の場合、電力を表す関数が最小化すべしという目的を定めた関数になるので、目的関数と呼ばれることになります。
20世紀の工学では、速度、規模、機能の多様性などが最大化すべき目的関数として設定され、高速化、大規模化、多機能化がめざされてきました。
それが人類の幸福につながると信じられていたからと言ってよいでしょう。21世紀に入ってからは、地球環境との調和という目的関数が重視されるようになってきています。
– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
引用元⇒ Title: 工学と理学の違い
ラストに紹介するのは、今年、米ワシントン大のグループが英科学誌ネイチャーに発表した「構造や働きによって脳を180の領域に分けた地図」です。(以下に動画を紹介しています。)
これは米国の脳研究の国家プロジェクトの一環で、これまでの地図より解像度が高く、今後、多くの研究者に利用される基盤情報となり、脳の働きや病気の研究に役立つことが期待されるもので、素晴らしいです (^-^)。
⇒ 新しい脳地図作成によって人間の脳の部位や特徴をこれまでより正確に分析できる可能性