短所も長所 潜在性を生かす方向へ  アスペルガー症候群とHSP+AC

 

短所ばかりを点のみでデジタルに見る眼差しは、長所も殺し、「人が時として変容し、あるいは長期的な過程の一段階にある」ことを見守れなくなります。

 

今日は「アスペルガー症候群」と「HSP+AC」をテーマに動画の紹介及び記事を書いています。

 

アスペルガー症候群,発達障害だろうと、それは人格の一部を構成する気質や1要素に過ぎません。その定義のみに存在の全てを帰結することなど出来ないんですね。

 

◇ アスペルガー症候群

アリックス・ジェネラス: アスペルガー症候群である自分の 内面との会話をどのように学んだのか

– 以下動画からの引用・抜粋です-

私は視覚的に物事を考えるのです 言葉ではなく 絵で考えます 私にとって言葉とは 直感や言語のようなものです

私のような人達はたくさんいます 例えばニコラ・テスラ 彼は何でも視覚化し 設計、テスト、修理することができました すべての発明が正確に 頭の中で行われたのです

とにかく 私たちのようなタイプは 言語から締め出されています Google翻訳のベータ版のように 私はちょっと出来が悪いのです (笑)

私には興味があることを とことん突き詰める能力があります 例えば 私が微積分学にはまると その興味は 有名人の結婚生活よりも長く続くのです (笑)
(中略)
同級生にレイプされるたときには 自分ではどうしようもなくなり 難しい状況が さらに悪化していったのです 治療のために 3,000キロほども国内を渡り歩きました

数日ごとに新しい薬が出されました 私の人生は『ウォーキング・デッド』 そのものでした 被害妄想から 腐った死体が自分の方に 向かってくるという 幻覚を見るようになりまし

家族がようやく 私を救い出してくれたときには 3週間で9 キロも痩せ 重度の貧血を患い 自殺しようとも思いました

引用・抜粋ここまで。

 

もうひとつ追加更新で、当ブログで以前から紹介している「国立障害者リハビリテーションセンター・発達障害情報・支援センター」のサイト記事からの引用ですが、

 

発達障害は、広汎性発達障害(PDD)学習障害(LD)注意欠陥多動性障害(ADHD)に大きく分類され、

 

精神遅滞(知的障害)のように「知的な遅れがある場合」とそうでない場合があります。そして幅が広い概念であるために「個人差が大きい」という特徴があります。

 

「みなさんに、わかってほしいこと」 より引用抜粋

以前は、知的な遅れを伴わない高機能自閉症、アスペルガー症候群(Asperger syndrome)、学習障害(LD:LearningDisorders,Learning Disabilities)、注意欠陥多動性障害(AD/HD:Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder)などを「知的障害が軽度である」という意味で「軽度発達障害」と称することがありました。

しかし、知的な遅れがない人の中にも、その他の部分で重篤な困難さをもっている場合があります。そのことから、「障害そのものが軽度」と誤解される可能性を危惧して、最近では「軽度発達障害」ということばは、あまり使われなくなってきています(平成19年3月に文部科学省から「軽度発達障害」という表現を、原則として使用しない旨の通達が出されました)。

発達障害は、知的な遅れを伴う場合から知的な遅れのない人まで広い範囲をふくんでいます。知的障害を伴っていても、自閉症としての理解に基づいた支援が必要である場合も多いことに留意すべきです。
– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)

引用元⇒ みなさんに、わかってほしいこと

 

先にも書いたのですが、発達障害には個人差・多様性の幅が大きく、「出来ること」「出来ないこと」もそれぞれに異なります。

 

ここで書いていることは誰にでも当てハマるような話ではなく、主に「知的な遅れを伴わない高機能自閉症、アスペルガー症候群」の範囲ですね。

 

それが一生付き合うものであっても

 

例えば強迫性が職人気質に向かえば、仕事の能力として発揮できます。

 

スーパーカミオカンデの精密さなんて、強迫性レベルの潔癖さを持つ職人気質でなければあそこまでの究極の精度のものは作れないでしょう。

 

幽霊粒子と言われたニュートリノを捉えるそのような技術を持つ職人さんがいてこそ、ノーベル賞も実現するわけですね、様々な能力・気質、それらみんなの総合力なんです。

 

そして見方を変えれば、ハイレベルの技術は「物凄いこだわりの力」が支えているものです。そして神経質なまでの注意力が必要ですね。

 

もし「こだわりの力」を能力昇華することが出来れば、その人のタイプにもよりますが、スポーツ・アート・科学・研究・ビジネスなどの様々な能力に変換できる可能性にもなるでしょう。

 

つまり「自他共に生かせないようなこだわり」ではなく「自他共に生かすこだわり」に変えればいい、という意味ですね。

 

「生かすことが出来る何かがあるならそうすればいい」ということですね、そうでないのであればムリをする必要はありません。(^-^)

 

常にではありませんが、時として短所は長所にもなります。なので何でも平坦に均一化せずに、短所を長所に還元するというアプローチも人によっては有効ということです。

 

あなたには、誰かには全く合わない方法・アプローチによって、別の誰かはそれで素晴らしい人生を今送っている、素晴らしいとまではいえなくても満足した人生を送っている、という人だって沢山いるわけです。

 

「私には合わない」=「他の人にも合わない」ではなく、いろんなアプローチがあっていいわけです。

 

鬱だってACだって何だって本当に人それぞれです。あまり均等なものとして決めつけずに、多様性あるアプローチをそれぞれが試行錯誤出来るような認識の幅を持っている方が良いと私は思います。

 

ここまでは自己実現の方向性ですが、「気づくこと」と「囚われること」は違うんですね。「ただそれを見つめつつ、そこに心が同化一体化していない」状態です。

 

気づきは「全体性」との感応で、そのため明瞭に意識化されたバランスの過不足を「補完」するための「問いかけへの応答」として表現されます。

 

個のそれぞれの機能が生き生きと活動しつつ調和している運動であり、なので知・情・意がバランス化に調律され「全体対象関係」的な眼差しになり、極端な二元化・囚われにならないんですね。

 

対象の良いところも悪いところも全体として捉えるので、極端に二元化した反応・表現には基本的になりません。

 

HSP+AC

これがACの場合は「依存」やその反動原理での「反発・拒否」などの条件反射的な自動反応なりやすいんですね。そしてHSP系はさらに感応しやすいために、

 

HSP+ACは「外的な干渉・刺激によって絶えず揺さぶられているような状態」になりやすく、同時に「揺さぶられている意識の内容にとらわれる」という内外双方向からの泥沼の悪循環になりやすいわけです。

 

「HSP」とは何かに関しては別の記事で書いていますので参考にどうぞ。⇒ HSPとエンパス  気質と性格タイプの遺伝と環境とレジリエンス

 

HSPは良くも悪くも潜在的な進化・深化・変化の可能性の幅が大きいともいえるのですが、上手く生かせない時は自他の内外作用へがんじがらめになり、とても生きづらくなります。

 

ですが本来、気質それ自体には優劣も問題もありません。問題はそこに先天的な機能異常があったり、後天的な機能不全・二次障害によって心身のバランスを大きく崩し、

 

それが日常生活や対人バランスの困難や問題を生じさせたり、大きなトラブル・事件などを生じさせる病理にまで発展している場合です。これらを混合しないように気を付けましょう。

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