「底辺」ラベリングの思い込み と 支配・管理側の都合で生まれるシステム
まず先に最近の「すき家」関連のニュースに対する「痛いニュース」での反応・コメントを幾つか引用紹介します。
◇ ニュース
すき家社長「日本人は3K(きつい、汚い、危険)の仕事をやりたがらなくなった」
◇ 以下コメント 「痛いニュース」より引用・抜粋
○ すき家は4Kだろ 給料が安い
○ 危険って認めた
○ トップがこういう頭悪い発言すると株価に影響しそうだな
○ そんな仕事を低賃金でバイトにやらせてたという自負があったのか
○ 進んでやる時代ではない。
○ 昔は皆がそうだった。上司もそれをわかってくれていた。だがいまはどうだ?上は見て見ぬ振りだろ?
○ 3Kだろうが4Kだろうが、それに見合う賃金出せばやるだろ 昔はそういう仕事は賃金高かったから金貯めるために期限決めて頑張ってやる人いたけど 並以下の給料で誰がや るってんだよ
○ 3k職場ならそれを改善しようとするのが普通だろ
○ 社長がこんな発言してるようじゃこの会社将来的に誰も寄り付かなくなるわ
- 2014/05/29 追加更新 ここから -
数年前からよく言われる「ブラック企業の問題」に関連する流れの反応とはいえ、「すき家の社長の特定の言葉のみ」を印象付けた報道はたしかに「言葉狩り」的ですね。
この朝日新聞の記事について、マスコミの誤報を収集、検証する一般社団法人「日本報道検証機構」は17日、「誤報の疑いあり」と注意喚起をしている。以下リンク記事を参照。
⇒ すき家のゼンショー、朝日新聞「3K認める」報道に抗議検証機関は「誤報の疑い」と注意
ですがこれがもし仮に言葉狩り報道ではなく、「言葉通り」であったのであれば、コメント内容はみな真っ当なものですね。
労働も需要と供給でしょう。それしかなければ仕方なくやるでしょうが、何のメリットも必要性もないのに、進んで3K(きつい、汚い、危険)をやりたがるとか、やるべきだ、という主張は、確かにおかしな発想、ということになりますから。
ですが、そもそも従業員は、今回の社長の「日本人は3K(きつい、汚い、危険)の仕事を やりたがらなくなった」、という言葉が誤報であれ言葉狩りであれ、そのことだけに反感を抱いただけではないでしょう。
それ以前の「ワンオペ・サービス残業・バイトで請負契約」など、様々な現場のリアル不満が重なって、人が次々に辞めるという事態に既になっていたわけだから。
- 2014/05/29 追加更新 ここまで -
昔は3Kは金銭面での条件は良くて、割り切って働く人も多かったし、借金返すために短期で働く人も結構多かったです。現代社会において、本人にとって何のメリットも必要性もない状況下で、思考停止で3Kをやれ、などいうのは、この組織の奴隷・従者になれ、と言っているようなものです。
そして職種によっては3Kも当然あるでしょうし、3Kそのものが悪いとは私は思いません。ちゃんとメリットを与え人間扱いしていれば、3Kでも働く人は増えるでしょう。
◇ ブラック企業 関連記事
○ ブラック企業の採用担当者の反論が興味深い 「目標に向かって頑張っている人もいる」
○ ワタミとユニクロ「ブラック企業」批判後の明暗を分けたものは何か?
より現実的な問題を抱えている方は、以下のサイトを参考にどうぞ。
次は、外部サイト「考えるための書評集」の記事の引用紹介です。
『 底辺と「まつろわぬ人たち」』 より引用抜粋
■ 肉体労働はなぜ底辺とイメージされるのか
頭脳や知識を使う仕事が上位におかれ、手足や頭脳を必要としない仕事は底辺とイメージさせられる。これは学歴社会の目標と階層の具体的ヒエラルキーのなにものでもない。
「頭を使うものがエライ、手足のように肉体で働くものは底辺」という学歴階層の具体像のなにものでもない。
■ 底辺に「楽園」を見る
底辺をあわれでみじめなものと表象することは、この社会の権力・支配層の体制・規範に内面を支配させられることにほかならない。
わたしたちはそういった表象をすりこまれることによって、現体制への服従と支配の内面統制が完成させられる。
わたしたちが無意識に思う底辺イメージに現体制の支配図式がしっかりと浸透し、そのことによってわれわれの現体制・現権力への服従が完成するというわけである。
北朝鮮や中国の一党独裁政権のおそろしさはよく刷り込まれているのだが、わたしたちはわたしたち自身の支配勢力の不気味さ・服従図式を遠くから離れて見れることはすくない。
– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
引用元⇒ 底辺と「まつろわぬ人たち」
前回の記事で統制理論とラベリング理論を紹介し、それぞれの有効性と問題点をざっくり書いたのですが、前回の記事 ⇒ 思い込みと多元性 「逸脱」「犯罪」と社会
例えばアメリカのような格差の大きな多民族国家では、人の価値感や常識・現実にはもっと大きな差異・多様性があり、統制理論でのアプローチを強化する現実的な必要性もあるのでしょうが、
日本のように単一民族で、統制・同調効果がよく効いている国の場合、統制理論アプローチだけを強化し続けていくのはむしろ過剰な内外の制御・干渉となり、同調圧力が過剰になりやすい傾向が生まれます。
またラベリング理論でのアプローチもネガティブに傾きすぎるとスティグマを強化しやすいので、もっと多角的で肯定的な使い方を意識した方が多様性が生かされバランスが良くなる面はあるでしょう。
「ラベリング論から社会問題構築主義」 より引用抜粋
逸脱行動が社会によるラベリングの結果であるのと同様に,社会による定義によってはじめて出現する社会現象はほかにもあるのではないだろうか。
1980年代になると,逸脱行動についてのラベリング理論は,ラベリング(社会的定義)を通じて社会問題が構築される過程を探求する構築主義(constructionism)の理論に発展する。
フリーター問題よりニート問題のほうがショッキングな話題を提供しやすいので,マスコミや出版業界も飛びついた。2005年には,
「フリーターより怖いニート。先日も,テレビやラジオを騒がす事件がありました。17歳の男の子が自分の母校の小学校に行って,先生を1人殺して2人に大きな怪我をさせたのです。
彼は,無業者になったあげく,学校で犯罪を犯しました。また,少し前に茨城県で両親殺しが2件ほど続けてありました。両方とも不登校かひきこもりのニートがひきおこした事件でした。
・・・・・・・・・・ ニートは,国や親の財産,年金などを食い荒らしていく存在です。まず,自分の内面的な崩壊から始まって,家庭の崩壊,親や先生を殺すのはまれとしても,犯罪をともなうこともあります。
それは社会の崩壊にもつながっていくという,ある意味での爆弾といえるでしょう。寄生虫にも2種類があります。ノミやダニは体についても叩けばつぶすことができますし,駆除もできます。
しかし,体内に入ったサナダ虫などは見ることができなくて内面からむしばんでいきます。パッと見て外見ではなかなか判断が付きません。
刺されてはれるわけでもないのです。それが家の中で起こると家庭全体がむしばまれていって,社会的な犯罪につながっていくのが,ニートの怖さなのです」(浅井宏純,森本和子『ニートといわれる人々』宝島社,2005年)
というような,分析にも何もならない扇情的な本が,親のためのニート読本として大量に刊行された。
上記のニートの表現は全く人間扱いしていませんね。こういう過剰な否定のラベリングを日本のようなタイプの国で行うことは、「ラベリングされた対象」を社会的に追い込み、社会復帰をむしろ難しくし、最悪の場合、自殺に追い込むような精神的な暴力・イジメにもなるので、適切な使用が必要でしょう。
またニートと言っても、調べるといろんなパターンや状況があり、ひとくくりには出来ません。以下は、「ニート」に関してわかりやすくよくまとめてある外部サイト「ニート」より引用紹介です。
増加の要因
就職氷河期
ニートが増加したとされる1990年代後半から2000年にかけて、バブル崩壊とそれにともなうリストラによる失業者の増加、さらに団塊ジュニアや女性の社会進出など、人材の供給が過剰となる要因が重なり、若者の就職は非常に困難な状況にあった。
またこの頃から年功序列制度が崩壊し、代わって成果主義を導入する企業が増えたことから労働環境が悪化し、新入社員の離職率が高まったと言われている。
(中略)
なお、2004年頃からは企業の採用行動が活発化し、現在では求人難が叫ばれるようになっている。しかし多くの企業は新卒や実務経験者などで人材を確保する意向のため、履歴書に空白期間のあるニートの就職は極めて困難な状況にある。
(中略)
問題点
ニートの増加が過去の就職氷河期と関係の深いことは前述の通りだが、この2つの問題はマスコミの偏向報道によって切り離され、
単に個人の資質や能力の問題として議論される傾向にある、そのため講じられる対策も教育的な手法に重点が置かれ、的外れな対策に多額の公費が投入される事態となっている。
また雇用主も、履歴書に空白期間のある者をニートと看做すようになり、「ニート=怠け者」といった先入観から不採用としたり、差別的な待遇をおこなう事例が増えつつある。
偏見と差別
若年層における無業者の増加は、海外では「労働経済問題」または「若年失業者問題」として議論されることが一般的である。
しかし日本では「失業率の悪化」という観点が見落とされ、若者の意識の変容(職業観や就労観の低下)に原因を求めたために、家事手伝いや過年度生といった従来は受容されていた無業者に対しても批判的な目が向けられるようになった
(中略)
利権
ニート支援に関連する諸々の対策は利権の温床となりつつあり、各省庁や地方自治体では自立支援を名目とした予算の争奪戦が展開されている。
例えば厚生労働省が推進する若者自立塾は、初年度(平成17年)の予算が約9.8億円であったが、大幅な定員割れを起こしているにもかかわらず、翌年の予算は倍増され、その配分も極めて不明瞭な状態にある。
誤解
ニートは「働く意欲が無い者」あるいは「ひきこもり」などと混同されている場合が多い、しかし前述の定義に該当する者であれば、理由の如何に関わらずニートに分類される、
したがって進学・留学準備、資格取得準備、家業手伝い、療養、結婚準備、介護・育児、芸能芸術プロ準備、などの状態にあっても定義上はニートに分類される。
趣味・娯楽、特に何もしていない場合も同様である。(出典:青少年の就労に関する研究調査 各タイプの現在の状況)
⇒ ニート
このテーマを「社会要因」から分析している外部記事を以下に紹介しておきますね。⇒ 若者は、なぜ「無業状態」に陥ってしまうのか
先に引用した記事にもあるように、「ニート」と言われる人々の中にはいろんな人がいますが、上記以外にも、「心・精神の深刻なバランス異常を引き起こしている人」もいます。
毒親、機能不全家族における「ひきこもり状態」、環境の力学・外因によるものもあれば、「先天的」なケースと絡んでいる場合もあります。以下、追加更新で外部サイト記事を紹介です。この記事では、発達障害と二次障害による「ひきもり」にスポットを当てています。
「ひきこもり 見過ごされた 発達障害」 より引用抜粋
「ひきこもり11年目。今振り返れば、学校でいじめられていたのは、どこか他の子とは変わっていたからだと、発達障害からきているのではと思い返しています」
「現在無職で、精神障害と発達障害を抱えています。ひきこもりから脱出する術を見失っています」NHKの特設ウェブサイトに届いた声です。
これまでに寄せられた1400通を超える投稿の中に「発達障害」についての悩みを訴えるケースが数多くありました。
発達障害のため、周囲とのコミュニケーションがうまくいかず、社会的に孤立したり、「いじめ」や「職場でのパワハラ」の原因になって、結果的にひきこもった、という声もありました。
(中略)
厚労省の研究班が2007年から2009年にかけて行った調査でも、山梨県などの精神保健福祉センターにひきこもりの相談に来た当事者148人のうち、発達障害の診断を受けた割合は約35%という結果が報告されています。– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
引用元⇒ ひきこもり 見過ごされた 発達障害
ここで、今回のテーマと関連する二冊の本を紹介します。エティエンヌ・ド・ラ・ボエシの「自発的隷従論」とミシェル・フーコーの「監獄の誕生」です。現代社会に当てはまる要素も多い、読みごたえのある本です。
しかし本来、権力・管理システムそれらは社会に必要だからあるものであり、権力や社会システムそのものへの安易で過剰な否定は無秩序や暴走・混乱を生むだけです。
例えばよりミクロな問題ですが、毒親問題・機能不全家族の問題にしてもそうです。「家族」という単位・システムそのものが悪いわけではありません。問題なのは「腐敗・機能不全状態のままで更新がされないまま硬直・停滞した構造」とそれが生み出す様々な歪みであり、
そして社会の自浄作用となるはずのアクションを封じ込めるために、「都合の悪いものは抑えつける」「臭いものには蓋をする」という権力や管理・支配システムが作動する、このような否定的な在り方に問題があります。
かつては独裁者・政治的宗教組織・王・殿様・皇帝・貴族などが庶民を支配・管理・コントロールしてきました。(現代でも一部の国では存続していますが)それは単に圧倒的な力の行使だけではなく、様々な権威化・構造化によって大衆を内外に支配してきたのです。
現代の近代化した先進国社会では、王・殿様・皇帝・貴族などが庶民を支配・管理・コントロールしているわけではありませんが、それは「別のもの」「別の構造」に置き換わっただけなのです。 ⇒ 民主主義にひそむ官僚独裁主義