生きにくさの背景  社会の構造と「見えない悪」 自殺の本当の原因

 

自殺の本当の原因part2」です。

世界の水準では日本の自殺率はとても高い状態です。自殺の原因・動機は健康上の問題家庭問題勤務問題全体の7割を占め、

 

全体の中でも健康上の問題が最も多く、健康上の問題の7割近く精神的な病であるということを前回 part1では見てきました。

 

そして、景気と経済の流れが悪い時、自殺者数は増えるという統計的ながまず大きな自殺との相関関係を示すものであることも前回で見てきました。

 

前回ではこれらの二つの大きな特徴と傾向がハッキリと見えてきましたが、今回はそこからさらに突っ込んで見てみましょう。

 

自殺は増えたのか? 統計・数字の錯覚と多角的検証自殺の本当の原因part1

 

それではまず、「景気・経済の状態が悪く失業率が高い国ほど自殺が多いのか?」これを世界の自殺率で比較して見ると、実はそうではないわけなんですね。

 

つまり、民族的・生物学的な気質の差異、国の宗教観の差異に加え、その社会が個人に対してどのような否定的な心理的働きかけをしているか?

 

その環境の負の力学から起きてくる心・精神的な病こそが原因なんですね。今回はそこを検証していきます。

 

※この記事で使用する統計図は「社会実情データ図録」からの引用です。(統計図表は新しいものに更新しています)

 

日本は欧米先進国と比較すると確かにかなり高い自殺率となっている。らに範囲を広げた国際比較では、図のように、日本は、リトアニア、韓国、ロシア、ベラルーシ、ガイアナ、カザフスタン、ハンガリーに次ぐ世界第8位の自殺率の高さとなっている。 

このように国内の混乱が続く体制移行国に次いで高い自殺率ということら日本の自殺率はやはり異常な値であるといわざるを得ない。

もっとも最近韓国が日本を抜きOECD諸国の中で最高となったので先進国中世界一の座は明け渡した格好である。

– 引用 – 社会実情データ図録 ⇒ http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2770.html

 

 

日本は変死者数を自殺者数に全く含めないが変死者の半数を自の統計に加えている国が多い、そうなると日本の自殺者の数字は全く変わってく」という指摘をされる方もいます、

 

以下のリンク先の記事も参考にご覧ください。

「自殺者が減っている」はウソ? 変死体が増えている (1/3)

 

 

補足ですが、そもそも「変死体」というものはどのような定義なのか、それを具体的に書いている外部サイト記事を参考として、考察視点の異なる2つの記事を紹介します。

 

「変死体」と自殺の関係について
自殺者7年連続減に“トリック” 元刑事・飛松五男氏が解説

 

 

確かに「自殺以外の死因にされている自殺者」もいるでしょうが、変死扱いの自殺者は極端に多くはないのでは?という見方の方が事実に近いように考えられます。

 

しかしいずれにせよ「本当の自殺者数」は実際に公表されている数字よりは多い、ということは間違いないでしょう。

 

また、「変死体」の多くは自殺よりも「孤独死」ではないか?、そして、「変死体」の中には一定数の「他殺」が含まれているが見過ごされているのではないか?とも考えられますので、

 

それが事実であればその方が別の意味で大きな問題であるといえます。

 

そして、紹介した外部サイト記事の内容にあるように、「自殺かどうかは現場の判断に委ねられる」ということ、

 

そして『 明らかに「自殺」っぽいが、遺書が見つからないからと「変死体」として一度処理されれば、その後、自殺と判明しても「自殺者」として計上されない』、という自殺認定の定義上の問題点、

 

これに加えて、現場で働いていた元刑事が感じた現実的な違和感、などを含めて考察すると、公表された数字をそのまま信じることは到底出来ない、といえるでしょう。

 

 

「自殺者7年連続減に“トリック” 元刑事・飛松五男氏が解説」 より引用抜粋
(前略)
「ひと昔前は自殺に対する考え方も緩く、ある程度は自殺として処理していました。ただ、最近は、遺書などの具体的な証拠がなければ、自殺とは認めず、変死体として処理するようになったそうです。

すると、見かけ上の自殺者数が減るだけでなく、司法解剖を行うので予算を要求しやすくなる。一石二鳥なわけです。このようなトリックは『統計の魔術』と呼ばれ、考え出した人が警察内部で出世していく」

遺書のない突発的な自殺は、変死体扱いになっているとも考えられる。確かに司法解剖数も右肩上がりで、

10年間で5524体→1万819体と約2倍増(新法解剖含む)。自殺者は7年連続減どころか、むしろ増えている可能性だってあるのだ。

– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)

引用元⇒ 自殺者7年連続減に“トリック” 元刑事・飛松五男氏が解説

 

 

本当の自殺の原因

 

自殺の原因・動機は物質的・肉体的なものが理由の場合も一部ありますが、その多くが心・精神に関係した問題を含んでいるものであり、

 

そして世界の水準では日本の自殺率はとても高いわけです。なので「心・精神の問題や病」の原因を探ることで、より本質的な自殺の原因・大元が見えてきます。

 

まず、地域社会的な人との自然な繋がりや支えというものが日本は世界と比較してどうなっているのかを見てみましょう。

 

 

 

GDP世界第3位の国なのに、何故こうなるのでしょうか? まぁ奉仕をするから善人、しないから悪人、とかそういう薄っぺらい二元論的なことが言いたいのではなく、これにも日本人の感覚・気質が関係していると感じます。

 

そのあたりに関係したテーマは以下のリンク先の記事で書いていますので参考にどうぞ。

日本人は何を考えてるのかわからないか?
「ホンネとタテマエ」「カオスとみせかけの秩序」の心理学

 

 

 

善とか、悪とか偽善とか、そういう観念的な精神論の話しではなく、情けは人のためならずですね。他者・弱者を助けない、全て個人の自己責任で解決しろ!という理屈 は、自分自身が上手くいっている時だけはいいかもしれませんが、

 

人はやがて誰でも老い、そして人生の後半では病気になったり、妻や家族との別離の日が必ず来ます。仕事も一生続くわけではありません。

 

また決して自己責任だけではない力学(自然災害・大きな社会的変化や、予期していない他人の悪意など)、また事故やミスなどによっても、いつあなた自身が弱者の立場になるかなんて誰にもわからないのです。

 

そして日本では、家族やコミュニティに対する保守派、リベラル派の対立議論が未成熟なのであまり目立ちませんが、

 

社会的孤立や無縁死は自由の副産物なのだから全面否定すべき対象ない、という意見もあります。勿論これは一理あります。

 

しかしアメリカを始めとする自由主義国の場合も、個人主義化は確かに進んではいるのですが、同時に他者との関係性が日本のように疎遠化しているわけではなく、

 

互いに支えようという意識も日本よりはあるわけですね。 二つとも同じ自由の副産物から生まれたとは言っても「より孤立的な自由に偏った日本」とはそこが特徴的に違うと言っているわけです。

 

日本は地域社会での繋がり(良い意味での支え)の喪失による孤立化があることと、それ故に高齢化するほど伴侶・家族が唯一の支えのようになっていますが、

 

統計表でもよくわかるように、男女とも、結婚している有配偶者の自殺率は平均を下回っていますが、配偶者のいない男女は平均を大きく上回る自殺率となっているのが特に目立ってますね。

 

全体としての自殺率レベルは、男性の方が女性の3.8倍と大きく上回ってます。男性の場合は、未婚より死別死別より離別無配偶者の自殺率が高く、特に、妻と離婚した後の離別者は平均の4.2倍と高い水準を示しています。

 

これは日本の男性が地域社会での繋がりを殆ど持たず、また定年後は会社の人間関係も薄くなるために、浅い友はいても実質、親友は一人もいない人の場合は、心・精神が弱っても家族以外に心・精神の支えは見つからないのです。

 

だから最大の支えであるはずの伴侶がいなくなった場合、大きな心理的な困難が待ち受けているわけですね。

 

中年男性の離別者の自殺率は、中年女性の6.8倍の高率となっており、離婚がもたらす精神的なダメージには男女で非常に大きな差が認められます。

 

女性の場合、未婚者の自殺率が平均の2.2倍離別者2.3倍となっている。男性と比べると未婚者の自殺率が相対的に高いですね。

 

だから問題点は、日本の場合同居する夫婦・家族に人間関係の中心が片寄りすぎている、そして地域社会との良い意味での自然な繋がりや支え合いが失われた、全体的な人間関係の疎遠さにあると言えます。

 

以下の二つの記事も参考にどうぞ。

 

都道府県別 幸福度ランキング -なぜか不機嫌な日本人の不思議【1】

 ⇒  幸福と不幸の理屈のタテマエとホンネ 「集団錯覚」と「あなたらしさ・私らしさ」

 

生きにくさの背景

このテーマに関連する内容で別の角度から書いた記事を以下に紹介しておきますね。社会の閉塞感 「生きづらさ」の社会心理構造

 

ではどのような考え方の転換や取り組みが必要でしょうか? そのことの参考になる二つの記事を引用紹介します。これは前から一部ではよく言われていることですが、こういう真っ当なことが理解されてはいないわけですね。

 

人と人との自然な良い意味での繋がり(健全な調和)はどんどん希薄化している一方で、同調圧力や空気を読むという負の連帯意識 、「表面的な調和と均一さ求する集団圧力」だけはどんどん細かくヒステリックになっています。

 

「支え」も「温かさ」も「おおらかさ」もないのに、合理性正論タテマエだけが横行し、

 

監視・管理の強化細かいクレームの増大、そして「人と同じに在ること」だけは暗に要求される、そういう社会の在り方が「生きにくさ」そを作り出し、高い自殺率の背景になっているわけですね。

 

 

社会実情データ図録」 より引用抜粋

英エコノミスト誌(2008.5.3)は (中略)
日本社会は失敗や破産の恥を さらすことから立ち直ることをめったに許容しない。自殺は運命に直面して逃げない行為として承認されることさえある。

(中略)
日本政府は9年間に自殺率20%減を目標にカウンセリングなどの  自殺対策に昨年乗り出したが、同誌は、重要なのは社会の態度  であると結論づけている。

「一生の恥と思わせずにセカンド チャンスを許すよう社会が変われば、殺は普通のことではなく なるであろう。」

– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)

引用元⇒ http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2770.html

 

「BLOGOS」 より引用抜粋

「就活うつ自殺:「甘ったれるな」も「全員が正社員になれる社会を」も両方違う。」

就活自殺が問題になっていると聞く。 どうも、次々に採用試験で落ちまくた結果、自分が否定さた結果になって、鬱になったり、自殺に追い込まれてしまうのだという。 このようなことが起こる背景は、社会と本人の思い込みというものがあるのだろう。

大学を卒業して、安定した良い企業に入ること、これが唯一のキャリアになってしまっていると、 それから外れた自分が情けなくてもう人生終了ということになってしまうのだろう。

就活自殺の原因は、まずに、 大企業の正社員だけが唯一の正しい生き方で、残りの生き方はそれができない奴の落ちこぼれ みたいな価値観を如何になくすか、ということだろう。 非正規雇用の叩かれかたも尋常じゃない。

非正規だったら人間ではないみたいな感じで、社会全体が非正規をなくせ、正社員にしろで叫んでいる。これでは、非正規になったら、人生終わりが宣告されたと同じみたいな感覚に陥ってしまうのも仕方がない。

一方で、学生側の期待値も高すぎるということもある。 もはや、日本には仕事が無い。
(中略)
大学を卒業したら就職できるという幻想をふりまく社会党脳と、すべては努力がたりないという高度成長脳、両方の考え方がミックスされて、鬱と、自殺を生み出している。 必要なのは、もっとリアルに現実をみることだとおもう。

解決方法としては、 ①雇用を増やす ②期待値を下げる というのがあるだろう。

– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)

引用元⇒ http://blogos.com/article/55888/

 

社会の構造と上部の見えない悪

以下に紹介の動画は、この記事では書いていない他の「負の影響」なども多角的に考察しているので、参考に張っておきます。

 

 

『ブラック語録』

『ブラック語録』は、企業トップに立つ人たちのブラックな言葉を集めた本ですが、これを読むと、こういう人達もまた世の中を殺伐とさせている原因の一つだなぁと痛感しますね。 以下、語録からピックアップ紹介です。

 

● 365日 24時間死ぬまで働け。

● 祝日もいっさいなくすべきです。同様に労働基準監督署も不要です。

● 過労死も含めて、これは自己管理だと私は思います。

● 謝罪はできない。これから暴力をやめるつもりはない。

● 業界ナンバーワンになるには違法行為が許される。

● 格差論は甘えです

● 親が死んでも働くのが社会人

● 人間はなにも食べなくても[感動]を食べれば生きていけるんです

● 偽装請負は法律が悪い

● 労働基準法なんておかしい。今は24時間働かないといけない時代なのに

● 経営やビジネスといった最も縁遠い領域にまで、人権というペスト菌が蔓延しはじめている

● 業績が悪いのは従業員が働かないからだ

 

(以下 アマゾン『ブラック語録』の書評より引用)

 

いわゆる「ブラック企業」問題の根底にある、労働者の権利や生活に対する企業の意識の低さ。それを端的に示す発言を集めた1冊である。

読んで暗澹たる気持ちになるのは、本書の発言が、決して内輪の愚痴や酒の席での放談ではなく、企業のホームページやメディアのインタビュー記事、裁判の中などで語られたものばかりだということ、

登場する経営者たちが、廊下にセンサーを付けて社員の歩く速さまで監視し、「365日24時間、死ぬまで働」くよう強いることの異常性や非人間性を全く自覚していないことである。

著者らはこうした事例を労働基準法や憲法で定められた労働者の権利を引用して批判しているのだが、そもそもそんなものを「人権というペスト菌」「労働基準法なんておかしい」程度にしか考えていない相手には糠に釘の感が否めない。

本書の数々の発言の底に流れるのは、社員を人間ではなく企業の所有物としか見なさない、要するに奴隷主の発想である。と考えると、自分が置かれてきた過酷な労働環境を(改善しようとするのではなく)そのまま次の世代に押しつけようとする「ブラック社員」や経営者は、

例えば古代ローマの奴隷頭や解放奴隷あがりの奴隷主のような存在なのだろう。そして、社会的弱者やリベラル派などの叩きやすい標的には執拗なアラ探しとバッシングを繰り返す一方で、

大手企業によるこうした理不尽には腰が引けた批判しかできないばかりか、しばしば擁護・礼賛する側にさえ回るタカ派のメディアや評論家たちは、つまるところ現代の奴隷制擁護論者ではないのか。

– 引用ここまで-

 

 

 

◇ 他の角度からの考察記事

 

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