清涼な高原の風と花 妖精の住む場所と癒しの歌

 

癒しの休憩タイムです。 本当に暑い日が続きますね。今日は見てるだけで涼むような清涼な風の吹く白馬岳の高原の雲と、車山高原の空と風と花の映像と、癒しの歌声の持ち主 Salyu(サリュー)の「Lighthouse」を紹介です。

 

白馬岳に登ったことはありませんが、飛騨山脈(北アルプス)及びその周辺はとても好きな場所のひとつなので、この近くには何度も旅で訪れています。

 

白馬岳 (初夏) 微速度撮影

 

そして以前の記事でも書きましたが、私は過去に妖精・精霊の存在をハッキリと感じていた時期がありました。

 

それが何なのかを私なりに追及してきましたが、ひとつは脳の作用、そしてもう一つは感性の作用で、この二つが合わさって妖精・精霊という主観的な実体を人は見るんですね。

 

私自身は様々な神秘的な現象を経験しつつ、同時に科学的に心理学的に分析しつつ、それらの現象の構造を私なりに理解はしていますが、

 

その主観的な感性・感覚というものは、単に霊感という極端なものだけでなくて、「詩的なもの・芸術的なもの」でもあるので、私はずっとそれを失いたくはないと思います。

 

それが心・精神にもたらす病的な要素や危険性があるものだけを私は否定しているのであって、感性が捉えた不思議な世界を全て否定しているのではありません。

 

次に紹介の車山高原は確かに妖精が住んでいる場所です。こに泊まった夜、妖精は確かに私のバンガローにやって来たのです。

 

これは私の主観的な経験に過ぎませんが、問題は妖精がいるかいないかではなくて、(それは今まで散々脳科学と心理学で分析した記を書いてきたので、私の科学的な見解がどういうものかはそれらの事を読めばわかると思います)

 

「妖精というものを主観的に生じさせるようなエネルギーが、その場所には満ちている」ということに不思議な要素が存在するのです。そしてこの感性に古来の日本人のアニミズムの原点があると感じるからです。

 

 

 

 

 

「妖精は脳の幻覚である」という科学的結論が重要なのではなくて、妖精が何故その場所で何度も感じられるのか?ということに私はもっと興味があるのです。

 

そこには形象化出来ない表現の難しい精妙なエネルギーが、確かに感じられるからなんですね。感性は確かに何かを捉えているんですね、

 

それが変性意識や脳の記憶の投影作用と合わさって、「主観的な妖精」を脳内に生むとしても、その感性自体は詩的なものであり、何かをキャッチしているのです。

 

つまり妖精を生むエネルギーそれ自体に注意を向けると、そこには「森羅万象の万物に神が宿る」と感じていた古来の日本人の感性が体感していたはずの、「形象化出来ない表現の難しい何か」を発見するのです。

 

そしてそのエネルギー自体との感応は、脳の記憶の投影作用とは無関係なものなのですね。

 

それでは最後に、妖精的な詩的な雰囲気を持った、私の好きなアーティストのひとりであるSalyu のLighthouse」を紹介しますね。本当にいい声、いい曲です♪

 

ユーチューブ公式チャンネル「TOYSFACTORYJP」より Salyu 「Lighthouse」 MV Full ver.

 

 

 

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