倍音とリズム 民族と基層文化 / 私たちはみな同じでみな違う
今回は再び前回の続きと補足で「倍音とリズム」と基層文化の関係性をテーマに記事を書いています。※ 複数回に分けて書く予定のエドワード・T・ホールの文化的時間概念などを含む考察記事も今週中にアップ予定です。
季節はどんどん春らしくなってきましたね、なので今日は生気の強いパワフルな「倍音とリズム」の楽曲の動画を紹介しています。
「Space Drum(スペースドラム)」はスチール製ハングドラムで、このハングドラムはメーカーによって呼び方が異なり、「Space Drum」はフランスのメーカー。
キンキンした音はせず、柔らかいゆらぎと倍音を感じます。音は少しガムランに似た質のものを感じます。
以下に紹介の動画は、日本の女性ハンドパン奏者 Yuki Koshimoto さんです。この方はふわ~とした雰囲気で、ぽんぽんと軽く肩マッサージするかのように叩く感じがグッドです。
「ハング・ドラム Drum um」はスイス産で2000年代に作られたとても新しい楽器です。次は二人の男性による演奏で、映画のサント ラのようなかっこい仕上がりになっています。
※ ここから「オノマトペ」多用で書いています。
がしゅっ、とん、か~ん、ころん、ぺこん、こつん、がちん、び~ん、ばち~ん、ぼすっ、どぼっ、めきめき、ばこ〜ん、ずさー、ぽんっ、ざざー、すすっ、ガサガサ、ぼん、きゅい~ん、ぴぃ~
まぁこんな雑多な音が日常にめちゃくちゃ溢れまくっていますが、これらの雑音と思われるものにリズムを与え、さらにそこに豊かな倍音をどっさり加わえて、ちゃんこ鍋にすると、なぁんと雑音は見事に旋律・音楽へと変容しちゃうのでありまぁす。 - オノマトペ多用ここまで-
次に紹介のRiverdanceは、「アイリッシュ・ダンス(アイリッシュ・ステップダンス)」+「アイルランド音楽」のリズム&倍音で、
アイリッシュダンスは「イングランドによる民族文化抑圧に対する抵抗」として引き継がれた基層文化リズムなんですね。だからとても生命力が強いんです。
(アメリカ黒人のタップダンスも民族文化抑圧に対する抵抗として生まれたんですね。スペインのフラメンコもそうですし、ブルースやラップもそうです。)
※ ここから「関西弁(ごちゃまぜ適当)&オノマトペ」で書いています。
ヒトはなんで音楽作ったん? いや、コトバの前に歌が、ほんで歌の前にリズムが既にあってな、ほんで「基層文化」は自ずからその「リズム+音のゆらぎ」の自然型を形作りそれが個性の原型=民族の音楽となったちゅうことやねん。
次に紹介のナイスガイは、アボリジニの楽器「ディジュリドゥ」をブホブホやりながらギターをシャカシャカと同時にやってまう忙しい男どす。ディジュリドゥは循環呼吸使って演奏する木管楽器で、
「ぶぶぅ~+ぶぅおお〜ん+びよよぉよよぉ〜ん+ぶ~ん+ぷしゅ~」というような、「アイヌの楽器のムックリ」と「モンゴルのホーミー」を合わせたような「ぼぼぼ~ん的振動」と「うにゅうにゅ的うねり」を加えた強力な倍音楽器どす。
この人の「ディジュリドゥ」はかなり熱くビンビンきよりはる、これは中毒性たまらん音&リズムどすぇ。
通常は「ぶぶぅ~+ぶぅおお〜ん+びよよよぉ〜ん」的な「ディジュリドゥ」のイメージどすが、この人のは、ケンシロウ、ブルースリー的な「ふわぁちゃっ、ふぅ~、うわちゃちゃちゃっ、」的な「ディジュリドゥ」に加え 「ジャガシュカ・ジャガシュカ」とギターを絶妙に合わせ、
トントンとキックリズムも加えてごっついスピード感、さらに「スキャ ギャギャッ、スンジャカカカカ」的な爆走的ソロまで贅沢にぶちこんで、脳内麻薬キメてんねん。
ー 関西弁ごちゃまぜ&オノマトペここまで ー
先のブルースリー男が動的で熱すぎたので、次に紹介の動画はシットリ系にします。モンゴルの女性シンガー 黛青塔娜(ダイクィ ン・タナ)とバンド「Haya Band」で、
もうこの癒しの薬効だけで脳内麻薬の禁断症状も副作用も昇華されることでしょう。笑 空間が広がりそして澄み渡り、癒されます。とても柔らかいキメの細かい精妙なゆらぎですね。
次はおなじみの日本の雅楽です。何度聴いてもやはり私は日本人、東洋的感性です。このリズム&倍音とゆらぎに癒され、とても自然にシックリきます。
次は整数次倍音を多く含むブルガリアンボイスですが、コーラスも含めてとても美しく精妙でありつつ鮮明です。ソリストのネリ・アンドレエヴァさんの声は夏川りみさんの声のハリ、ゆらぎにも似ている部分があると感じます。
次はロシアの音楽を二つ紹介しますが、まず最初はロシアの民族楽器のリズム&倍音です。ロシアの民族楽器にはバラライカ、ドムラ、グスリなどの民族楽器がありますが、
個人的にはドムラが好きで、紹介の動画では「ドムラとクラシックギター」のコラボで迫力ある演奏が聴けます。
ロシアのペラゲーヤ(Pelageya)さん、一度聴いたら忘れない、そんなとても印象的な声です。
私たちはみな同じでみな違う
「私たちはみな同じでみな違う」という事実の立体性は、無意識と顕在意識の関係性を表しています。なので「他者と自分」だけが「同じで違う」のではなく、「自分自身」も「同じで違う」わけです。
ヒトは毎日同じ状態ではなくて、自覚できる「感情・思考・身体感覚」も「無意識領域」も含めて「瞬間、日々、月々、年々」変化している、という意味ですね。でありながら同じ「わたし」でもあるわけです。
歌、コトバ、旋律、音楽も同様で、根本は同じヒトという「一つの種」で一元的な生命表現であっても、基層文化の自然差異によってリズムは分化し、そして個性ある歌、コトバ、旋律、音楽が生まれ、多様な表現形式が花開くのです。
まぁ何が好きかは人それぞれですが、音楽って本当にいいですね~(^-^) もうひとつ動画を紹介して記事終わりとします。