防衛機制の多元性 未熟から成熟へ
この記事は、前回の記事(2015年2/8更新) が長すぎるために、前編と後編に分けて編集したものです。
前編 ⇒「パーソナリティの病理の多元性」防衛機制と自己の発達未熟から成熟へ向かうために
防衛機制には多元性があり、その現れ方には「心の成熟度や心のタイプ」が現れています。もちろん私は防衛機制という概念だけで心・精神の全体性が説明し得るとは思っていません。
そして概念的に理解するだけでは不十分です。また防衛機制は対象との関係性や状況・状態・環境によっても変化し、「病的な防衛機制」もあれば「適応的な健全な防衛機制」もあるわけです。「健全な防衛機制」は様々な「関係性・状況・状態・環境」への「適応」のために必要性があるものなんですね。
そして「低次の防衛機制・原始的な防衛機制が優位」の場合でも、それは未熟で病的な姿ではあっても、見方を変えれば「負の関係性・負の状況・負の状態・負の環境」に対し、自我が完全に壊れないように「何とか適応しようとする心の姿」とも言えます。
これは「自己愛」も同様で、「病的な自己愛」は自他に負の影響をもたらしますが「健全な成熟した自己愛」は生きていく上で必要です。承認欲求や所属欲求だって同じで、要は「心の成熟度とバランスの問題」です。
防衛機制のレベル 種類と説明の表
以下はヴァイラント(Vaillant)による「成熟度に沿った4つのレベルの防衛機制」です。主にレベル1~3を中心に表にまとめてあります。 ※ レベル4に関しては表の後に続けて補足説明の記事を書いています。● 『 レベル1を除き、レベル2やレベル3の防衛機制は薬物療法では修正されない。これらの修正は精神療法や心理療法が必要である。』
参考・引用・抜粋 サイト⇒ 「場末P科病院の精神科医のblog」より。
● 『 繰り返しですが、防衛機制は抱えられないものに対するコーピング。低次のも悪いというわけではなく、私たちもそれを使います。
ただ、溺れてはいないということ。低次のものばっかり使うのは、後に述べる精神病的人格構造や境界的人格構造の持ち主です。また、高次のものを使っていてもバラエティに富んでいないのなら神経症的であり、いずれ破綻するでしょう。』
参考・引用・抜粋 サイト⇒ もなかのさいちゅう
○ 防衛機制のレベル | ○ 防衛機制の種類と説明 |
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● レベル1 精神病的防衛(自己愛的、原始的防衛) 最も原始的な防衛機制であり、発達早期(5歳以前)に優勢な防衛機制である。 レベル1の防衛機制はパラノイア、境界型パーソナリティ障害、自己愛パーソナリティ障害などの症状形成に関連する。 レベル1の防衛機制は通常の精神療法や心理療法では修正困難であり強力な介入が必要となるが、薬物療法や環境調整や人格が成熟していくことによって修正される。 | 否認 受け入れ難い現実を無かったものとする。いろいろな妄想に関連する。死別反応や末期癌などでも認められることがある。特に薬物依存(アルコール依存症での否認は有名)では否認という防衛機制が強く働いている。 歪曲 現実を都合のいいように歪めて解釈する。幻覚や誇大妄想などと関連する。 投影(妄想的投影、原始的投影) 受け入れ難い自分の衝動や感情を、他者も同じくそうなのだと知覚する。例えば、自分が嫌いな相手は自分のことも嫌いだと思っていると認識すること。妄想や幻覚と関連する。 分裂 自分に対する良いイメージ・悪いイメージを別個のものとして隔離し遮断し蓋をすること。悪いイメージの方はしばしば他者に投影される。 転換 心理的な葛藤を身体に転化させていまう。転換性障害(ヒステリー)によく見られる。 原始的理想化 理想化Idealizationとしてレベル2に扱われることもある。自己と対象が「分裂」している状態で、分裂させた一方を過度に誇大視して「理想化」すること。 脱価値化 期待が満たされない対象を理想化せずに直ちに価値のないものとして過小評価すること。他者だけでなく自己においてもなされることがある。 分割 レベル2の解離がさらに原始化したもの。分割された自己は別々の個人として行動する。多重人格障害などに関連する。 援助を拒否しながらの訴え 他者への敵意を隠しならが他者へ助けてほしいと訴え続けること。そして他者からの助けは拒否してしまう。 躁的防衛 抑うつポジションにいることは苦痛、不安・抑うつ感、無力さ・後悔に打ちひしがれることになり、抑うつポジションから抜け出し自分を守 るための心理機制。 |
● レベル2 未熟な防衛 3~15歳の未成年では通常の防衛機制である。 未成熟な場合に優位な防衛機制である。成人でもしばしばこの防衛機制が用いられる。 不快な現実によって引き起こされる苦痛や不安を軽減する働きがある。これらの防衛機制が現実の中の人間関係や社会と衝突すると深刻な問題を引き起こすことがある。 この防衛機制は本人に意識されないことも意識されることもある。この防衛機制は対人関係の変化によって改善することがあるが、その修正には長期間の精神療法や心理療法が必要となる。 | 投影(投影的同一化) レベル2に含まれることもある。偏見や嫉妬などに関連する。空想(統合失調症的空想)幻想にふけることで現実の苦痛などから遠ざかる。 心気症 他者に向けるべきマイナスの感情を自己の健康状態に向けてしまい、自己の健康状態を健康ではない(病気だ)と認識すること。責任や嫌なことを回避する場合にも働く。 受動・攻撃行動 これを簡単に説明することは困難である。表面的な受容と攻撃(敵意・不満・反発)がいつもセットになっているような心理機制である。相手への攻撃は直接表現されることはない。 行動化 無意識の中に抑圧された衝動や願望や葛藤を無意識のままで(社会的な価値判断をすることなく)、社会や相手には受け入れ難い問題行動として表現すること。リストカットや大量服薬、万引きなどの犯罪行為などで表現される。 解離 解決困難な現実から遠ざかることで自我を守るために、その時のいろんな感情や思考や体験が自我に統合されなくすること。自我が分離したような心理状態となる。 遮断 感情を意識にあがらないように遮断すること。レベル3においてはInhibitoin(阻害・禁止)となる。 取り入れ 他者や対象(現実)と自己を区別せずに他者や対象の特性を自己の内面に取り入れてしまうこと。もはや他者と自分との区別は破壊される。うつ病で認められることがある。 理想化 無意識のうちに他者が実際に有する以上の価値や資質を有すると認識すること。 退行 受容し難い脅威や恐怖に晒された時に人格水準が子供のレベルまで低下してしまうこと。退行の多くは無意識になされるが、意識しながら退行がなれることもある。 ※ ここでの退行は「病的退行」のことだが、「創造的退行」や「治療的退行」などもある。 |
● レベル3 神経症的防衛 ストレスへの対処として成人でもよく認められる防衛機制である。神経症では優位な防衛機制となる。 レベル3の防衛機制は精神療法や心理療法によく反応して修正される。 | 抑圧 不快な体験(失敗など)、記憶、感情、思考などを無意識の奥に封じ込めてしまうこと。通常は忘れ去られてしまい他者から指摘されてもなかなか思い出せない。 置き換え 要求や感情や思考を本来とは別の対象に向けること。日本語ならば八つ当たりや筋違いということになろうか。強迫神経症の症状にも関連する。 反動形成 外部や内部のストレスに対処するために受け入れ難い衝動や感情や思考などを無意識に閉じ込め、正反対のものに変換されて表現されること。嫌っている相手に笑顔で接するなど。 知性化 不快な感情を伴う経験を回避するために思考と感情を分離し、自身の思考を他の知的な言葉などで誤魔化してしまうこと。 操作 不安や葛藤を最小化するために過剰に出来事や対象や環境を管理しようとしたり調整しようとすること。 外在化、外部化 自分の内部の心的世界で起こっていることを、外界でも起こっているものと認識すること。 阻害・禁止 不安や葛藤や受け入れ難い失敗を避けるために、あえてゴールや目標への意欲を無意識に抑えてしまい、他の形態を受け入れること。 分離 感情と行動を切り離してしまうこと。意味のない行為だと自分で意識していても分離が働くとその行為を止めることができなくなることがある。 合理化 満たされない要求や受け入れがたい現実や自身が取った行動(多くは失敗やミス)を歪め形での解釈を加えて理論化して考えて自分を納得させること。 性愛化、性別化 自己の価値はいろいろなものに由来するのだが、自分の価値を保つために性的で性別的な特徴ばかりを強調すること。 離脱、逃避 自分自身の存在を不快な現実から遠ざけてしまうこと。 身体化 不安や葛藤や衝動を意識せずに身体症状として表現すること。 打消し 相手に対して受容し難い行動や思考や感情を表現した後で、不安や罪悪感を感じ、それらをなかったことしたり補うために、全く逆の行動に出たり逆の言葉を発すること。 解離 自分の取った行動の責任を回避し忘れてしまうために、この防衛機制がレベル3として行われることがある。 |
● レベル4 成熟的防衛 健常人、多くは12歳以降に見られます。この防衛は“意識して”行われるもので“社会の中での自身”を見据えていくために重要なものであります。 またレベル1-3を制御する役目も果たします。 | レベル4には抑制、利他主義、ユーモア、予想(感情を伴ったリハーサル)、昇華、禁欲、友好、自己洞察、自己表現、補償、同定と取り込み、気分転換があります。 |
※ レベル1~3まで 参考・引用・抜粋 サイト ⇒ 「場末P科病院の精神科医のblog」
※ レベル4 参考・引用・抜粋 サイト ⇒ もなかのさいちゅう
今回、引用させていただいた上記二つのサイトは「精神科医」によるサイトで、内容は専門的なのですが、構成がとても読みやすく面白く、時間がある時にたまに読んでいるオススメの専門サイトです。
レベル4 成熟した防衛機制 (高度に適応した健全な防衛)
防衛機制 補足説明
順次「場末P科病院の精神科医のblog」の記事『「自己コントロールのためにMature defense mechanismsを強化せよ(その3 防衛機制レベル4)』からの引用(緑色部)と、私の補足説明です。
補足説明
「無意識的な抑圧」や、「強迫的な過剰適応による麻痺・硬直化した我慢」などではなく「健全で意識的な忍耐・抑制力」のこと。
(以下引用)
利他主義は寛容の心にもつながる。人のミスや自分への損害を許すには利他主義 がないと不可能である。他人のミスや自分への損失を許そうとせず、いつまでも怒り続ける人間はそれだけ未熟なのである。
社会や他人に迷惑をかけてはいけないと思うには利他主義がないとできない。迷惑なことや反社会的なことを平気でする人間は利他主義が乏しく、それだけ未熟なのであろう。(引用ここまで)
補足説明
道徳心や倫理観を養う上でも利他主義は重要ですが、注意するべき点は、ここで言う「利他主義」というのは、互いの共感・他者への理解力・思いやりをベースにした「成熟した利他主義」のことであり、コンプレックスなどが背景に強く働いている状態での反動的行為ではありません。
例えば「未熟な自己愛」が中心性にある「メサイアコンプレックス」のような「共依存的心理による一方通行的な利他的行為」とは異なります。
これは自己愛性パーソナリティ障害タイプの傾向が強い「毒親」や「新興宗教の活動信者」、そして精神世界の思想を絶対の真理であるかのように積極的に押し付けてくる「スピ・オカルトの盲信者や霊能者」のような人々にもよく見られるものですので、押さえておきましょう。
参考サイト ⇒ メサイアコンプレックスとは?
(以下引用)
ユーモアを言えるだけでなく、ユーモアを理解することもできないと成熟した大人とは言えない。冗談が通じないような人は成熟した人ではないと言えよう。
研究者の中にはユーモアはmature defenseの中でもimmatureなレベルに近いものと見なす場合もあるが、フロイトは最も高いレベルの防衛機制であると述べている。
対人関係の緊張を緩和する上でユーモアほど効果的なものはない。不快感をユーモアで示すことが重要であるとVaillnatは述べている。(引用ここまで)
補足説明
もちろん、ここでの「ユーモア」も、現実と妄想の区別もつかないような病的なユーモアとか、あまりにも心無いものや常軌を逸したものであれば、それは「健全なユーモア」とは言えないでしょう。
予想や想定(感情を伴ったリハーサル)
(以下引用)
大事なことは悪い未来や失敗ばかり想定してはならないことである。Affective rehearsalでは成功を強くイメージしてリハーサルに努めることが重要とされている。
いろんなパターンを想定しつつ、失敗した場合にも備えつつ、成功をより強くイメージして行動していき、 Affective rehearsalを成功にむすびつけていけることが 成熟した大人だと言えよう。
社会では受け入れがたい欲求、感情、衝動を、社会に受け入れられる建設的な価値のある活動のエネルギーへと積極的に転化させていくことが昇華である。趣味を持つことは昇華に結びつくと言えよう。
スポーツで汗を流すことも昇華である。多くの芸術や文芸作品、感動を呼ぶスポーツなどあらゆる創造的な産物はまさに昇華という防衛機制の結実である。
一方、未成熟な人間の場合は昇華ができず、行動は行動化(Acting Out)へと変化してしまう。昇華はSuppressionとのセットで機能することが重要である。(引用ここまで)
補足説明
「昇華は忍耐・我慢とセット」というのは、「本能のままにあるがままでありのままである状態」を継続するだけでは人は全く成長できないんですね。
ここでの補足ポイントは、「忍耐・我慢」には「質」があり、それが「外発的動機づけ」が優位なのか、「内発的動機づけ」が優位なのかによって、全く違った質となり、
「忍耐・我慢」が「外発的動機づけ」が優位である場合、それはむしろ「意欲」を下げるため、「意欲」と「忍耐・我慢」が結びつくためには、「内発的動機づけ」が優位であることが望ましいですね。
そのことによって「内発的なモチベーション」が生まれ、「自発的な昇華」が生じます。無理やりしごいて追い込んで特訓するとかでも確かに「昇華」は起きますが、それは拘束性・束縛性の強化による「強迫的な昇華」であり、
そのことによって実際には「意欲」は減退し、無理に頑張り過ぎたことで「ありのままの自身の気持ち」は逆に見失われてしまい、「本当はどうありたかったのか? どうなりたかったのか?」と、本心が麻痺化し、最終的に全くわからなくなり無意識化していきます。
その結果、成功・達成しても何にも喜びがないとか、外発的動機づけメインで頑張り続けた結果、「燃え尽き症候群」などになったりすることもあるわけですね。
(以下引用)
禁欲というよりも、むしろ広い意味で自身の欲望を捨ててrenunciationする(断念する、諦める)という意味かと思われる。食欲や性欲などの本能的な要求までをも禁止することではない。
Asceticismは欲望などの煩悩を捨てさることであるが、これは常人では困難である。そのためMature defensesには含まれない場合がある。(引用ここまで)
補足説明
これも「忍耐・我慢」のところで書いたことと少し重なるのですが、例えば人生において「分をわきまえる・傲慢で無思慮な出過ぎたまねをしない」という態度は、「身の程を知る」ことで自然と生じるもので、
それは「過剰な自我肥大欲求」への理解・見極めから生じた「成熟した大人の諦め」であり、「未熟な自己愛」への囚われ放棄~昇華へ進む方向性ですね。
そして「貪・瞋・痴」の過剰な傾向=「欲望のままに突き進むこと」に対する、理解を伴った「成熟した断念的態度」であり、これも「未熟な自己愛」への囚われ放棄~昇華です。
これが「未熟な自己愛のままでありたい自己中さん」には出来ません。周りや状況がどうであろうが「我のまま」拡大しようとしたり、突き進もうとします。そして、こだわらずしがみつかずに「手放す、放棄の選択をする」には、「理解と見極め」が必要です。
周りに合わせて、単に無理に我慢して、何もよくわかってもいないのに「断念・諦める」、ということでは「未熟な自己愛への囚われ放棄~昇華」へ進むことはないでしょう。
「断念・諦める」というのは未練がましい敗者的な「後退」ではなく、また「禁欲的であること」を「美徳化」し『 私は「物質主義」よりも上のステージにいる』的な、
「私は凡夫・庶民とは全く異なる次元の特別な存在」というような精神主義的タイプに見られるイビツな虚栄心でもなく、『現実への理解と見極めから生じた、まっすぐな「成熟した心の前進」』なんですね。
宗教教義・思想・修行や戒律などを偉そうに説くカルト系の教祖や盲信者、スピ・オカルト盲信者や霊能者、そして世界の原理主義者達に一番不足したものは、皮肉にも『本当の意味での成熟した大人の見極めと禁 欲(修道、修行)』だったんだ、ということですね。
(以下引用)
自己の気持ちや意見や要望を言葉で直接表現し、礼儀正しく敬意を払って他者に伝えることである。攻撃するために、威圧するために、操作することを意図して自己主張することは絶対に避けねばならない。
あくまで、自分や他者が目指すゴールや目標に到達することを目的として自己主張がなされねばならない。 (引用ここまで)
引用・参考・抜粋元 ⇒ 自己コントロールのためにMature defense mechanismsを強化せよ(その3 防衛機制レベル4)
補足説明はここまでですが、レベル4の防衛機制は他にもあります。「 相手の良い部分を見習い自分にも取り入れていく」=「同定と取り込み」という防衛機制、
そして「気晴らし、気分転換」、「自己洞察」そして、「弱い部分から生じる葛藤や不安を補うために、他の部分を強化し鍛えていく」=「補償」という防衛機制、
このように複数の防衛機制があるわけですが、大事なポイントとしては、どれか特定のものだけに過剰に偏るのではなく、組み合わせてバランスよく行う、ということですね。
このシリーズのその1、その2も詳しく書かれているので参考にどうぞ。
● 自己コントロールのためにMature defense mechanismsを強化せよ(その1 神経症という病名をなくした弊害)
● 自己コントロールのためにMature defense mechanismsを強化せよ(その2 防衛機制レベル1~3)