心理学・セラピー・精神医学の役割  「今咲く花」と「今枯れそうな花」 

 

心理学やセラピーには二つの役割・作用・効果があります。そして「今咲く花」「今枯れそうな花」では対処が異なります。

 

今咲く花 = 自己実現してる人や、それなりに元気に生きている人 

今枯れそうな花 = 深い苦悩の状態にあったり、心・精神が病んでいる人

 

このブログでは「心・精神の病気と健康、幸福と不幸」というテーマも扱っているため、「今咲く花」「今枯れそうな花」のどちらも対象としていますが、

 

今は「今枯れそうな花」= 「心・精神の病」をメインに記事を書いています。ある程度書ききったら、「今咲く花」=「自己実現・格統合・能力の開花」の心理学も徐々に書いていこうと思います。

 

人生それなりに上手くいってる人にとって、心理学者などいようがいまいが関係なく、細かい悩み等は自分の試行錯誤で解決して生きていくことが出来るので、ほとんどは「余計なお世話」にしかならないのです。 まして精神科医など出る幕ではないのです。

 

そして自己実現している人々は、精神科医や心理学者よりも心の力も能力も才能も高い場合が殆どです。このカオスの時代に、自らが選んだ道で自己実現人格統合・能力の開花がちゃんと出来た人々は、それだけの幸運さと明晰さとパワーが揃っているだから、ほとんどのことは自身の力と思考のみでやっていけます。

 

ただ人は自分が思っているほど強くはなく、時に壊れ時に心を病むことは健常者だって成功者だってよくあることなんです。「普段は必要ない」、でも長い人生の時間の中で見れば、健常者にとってもメンタルヘルスの専門家の方々の役割は重要なのです。

 

そして「今咲く花」たちの殆どの問題は、心理学者などに頼らなくても、人生の経験が豊かな人見識が豊かな人々の思慮深いアドバイスだけでも十分でしょう。

 

ただ、優れた心理学者は広範な知識と統計や論文によるかなり科学的なデータから検証しているので、それは個々の悩みや、より豊か可能性の開花及び問題の修正にはもちろん役立つでしょう。

 

だから知っていて損はありません。しかも「ものの見方」も全然変わってくるので広がりが出てくるでしょう。

 

病んだこともなく壊れてもいない「今咲く花」たちにとって、精神医学や専門家の情報が役に立つとすれば、今病んでいる人々の状態への理解を深め、

 

周囲の病んでいる人々に対して適切な対応をとれるようになるということですね、この部分はかなり大事だと思います。

 

誰であれ、「自分が全くなったことがない状態を深く理解することはできない」のは極当たり前で仕方のないこととしても、

 

鬱にしてもその他の精神障害にしても、健常者と全く同じ感覚で捉え同じ基準を課したりすれば、それは大きな負の作用を相手に与えて、さらに悪化させる原因になり兼ねません。

 

「理解は出来なくてもいいから大きな負の作用を与えたりはしない」よう、まずは「相手がどういう状態なのか?」の基本的なことだけでも知る、ということはとても意味があることだと思います。

 

 

今枯れそうな花を元気に

 

今枯れそうな花は、(所属するコミュニティー)を変えたり、(栄養や水分=食生活)を調整したり、光・風通し・温度 = 複合的な環境バランスを変えたりすることが必要になってきます。

 

そのために心身を癒し回復させるセラピーが必要になってきます。もちろん病気の種類や状態によっては精神医学も必要ですが、

 

私は心・精神の病でも(重度の方を除いて)多くの場合、精神医学よりも心理学の可能性の方をどちらかというと評価しているのは、「人を見る」ことに対しての角度がずっと広く深いからです。

 

悩んでいる人や言動がアンバランスな人がみんな重度の精神病障害のレベルか?といえばそうではないように、 ちょっとした性格パターンのクセだったり、考え方のこだわりだったり、対人関係や環境との複合要因だったりするわけです。

 

そういうものを精神科医が見る場合は、元々の定義が固定的で狭いので、専門的な知識以外の「幅広い人間の姿の考察力や知見」がなく、引き出しが少ないんですね。(まぁ人にもよりますが)

 

にもかかわらず主観的で一方的な判断をしている精神科医は一部ですが存在しますね。一つの異常や欠点を人に見つけたら、それだけを拡大して定義する方式、つまり顕微鏡で細菌を見つけるようなやり方です。

 

そして顕微鏡を覗いて見つけた問題部分をその人の全体のように定義するんですね。

 

まぁもちろんそういう精神科医ばかりでもないですが、良い精神科医は、精神医学以外に心理学の様々なアプローチを柔軟に取り入れているだけでなく、ものの見方や人の見方に幅・深さがありますね。そういう人は幅広い経験値があるわけです。

 

そして最近の心理学の場合は、さまざまな豊富な実験データや統計のデータを幅広く検証し、より客観的な人間の行動を分析して、その背景に働く原理に迫ろうとします。

 

そして実験データは医学だけではない、他の科学分野の広範囲の専門知識や文化的な影響なども含めて判断するので、より人を「様々な要素で成り立つ複合体としての全体」として見ていこうとしているわけです。

 

今咲く花はさらに美しく

 

「今咲く花」はさらに美しく大きく豊かにしていけばよいのですが、よく心理セラピーなどで、ポジティブな型にハマった方法を誰にでも当てはめるものがあります。

 

それは私はあまりオススメしません。バラはキキョウにはなれません。キキョウのふりは出来るかもしれませんが、無理やりそうしても誰もが上手くはいかないのです。バラはバラとして輝けばいいのです。

 

「人はバラやキキョウよりは個性を固定されていない」と思うかもしれませんし、確かにそうも言えるし、またあまり最初から限界を先に決める必要はなく、基本的に可能性を追求する姿勢でいいとは思いますが、

 

私たち人間の遺伝的な個性というのは先天的に50%も決まってのです。自分が何に向いているかどのような特性があるかを、ある程度は見極めてそれを伸ばしていく方が無理がなく自然なのです。

 

万人に共通した能力や自己実現の型をガチガチにはめ込んでしまうと、かえって人それぞれの特性が伸ばせなくなることがあります。

 

親の教育の役割は基本的・原則的なことだけを教えるだけでよく、後は、人それぞれの特性を良い形で伸ばせていける環境設定を、どれだけできるかにかかっているでしょう。

 

 

記事の終わりに、村山美穂さんの個人サイト「村山美穂のページ」の引用文を紹介します。

 

※村山美穂さんは、京都大学野生動物研究センター教授で、最新研究内容や新着情報などを紹介しています。

 

「性格に影響する遺伝子 – 村山美穂のページ」より引用抜粋

DNAと個性の関係

最近では、個体ごとの行動特性、すなわち個性のようなもの、という意味で、性格(personality)という言葉が、ヒト以外の動物に対しても使われるようになりました。

性格には環境の影響もありますが、遺伝の影響が50%くらいあることが双生児の研究などから明らかになっています。

すなわち、神経伝達やホルモン伝達に関与する遺伝子の個体差が、発現量や機能の差となって、性格に影響していると考えられます。

ヒトでは、遺伝子型と性格アンケートとの関連解析が行われ、原因となる遺伝子も多数報告されています。マウスやセンチュウなどの実験動物でも、研究が進んでいます。

野生動物では、実験動物と違って条件をコントロールできないの難しいのですが、野生動物において行動や性格の遺伝的背景を知ることには、大きな意味があります。

「病は気から」と言われるように、ヒトでは性格と健康状態に関連があることがわかっています。
– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)

引用元⇒ http://miho-murayama.sakura.ne.jp/research/character.html

 

 

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