犯罪と心・精神の病気の関係 トラウマ回復に向けた意識の方向性
統計をみれば、殺人事件の逮捕者の10パーセント前後が精神障害を抱えているとはいえ、それは「90パーセントは精神障害者以外による犯罪」という意味であり、
一般刑法犯に占める精神障害者の比率は0.9パーセントとなりますが、まぁ実際は精神障害者の正式認定がされていない潜在的な精神の障害者もいるだろうことを上乗せして考慮しても、「精神障害者は障害のない人より罪を犯しやすい」とはなりません。
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仮に犯罪者全体の半数近くが精神障害者とかであれば、「○○を犯しやすい属性」と言えるかもしれませんが、多くても15パーセントいるかいないか、その程度でしょう。
また仮にその場合でも「精神障害だけではない要因」を他にも持っているでしょうね。他の「心理学的な負の力学」を考慮に入れない原因の短絡的な考察はむしろ多くの見落としを生むでしょう。
「犯罪」の心理学的メカニズムの考察に関しては、以前に幾つか書きましたが、「犯罪」を生む本質的な力学は「先天的な本人の性質の異常性」という希少なケースよりも、社会環境・家庭環境・地域環境など「外的なものの負の心理的影響力」の結果である場合の方がずっと規模が大きく、
そして犯行の引き金になるものは、人間関係・仕事・金銭などの問題に絡む利害関係上のトラブルやストレスなどがより大きな原因なので、一般人による犯罪の方が圧倒的に多いわけですね。
元々人間は動物であり、その時代の法律によって規定された善悪を教育によって教えられ、人間社会の大小の善悪を理性で判断し身につけながら社会化し、そうやって行動を複雑に意志制御しているわけです。
動物としての人間は、生物学的に善悪が初期設定されて生まれてくるのではなく、社会が規定する善悪を後天的に理解して身につけるわけだから、生物学的に言えば、人間には犯罪を犯す潜在的な可能性は誰にでもあり、またその能力も誰にでも備わっているんですね。
ですが先天性の突出した狂気性・異常な破壊的暴力性などはむしろ非常に特殊なケースであり、また精神障害・人格障害だから犯罪を犯す、というほど犯罪心理は単純でもないわけです。 (犯罪心理学の具体的な記事はまた次回に書きます。)
「精神障害者による犯罪は少ない 報道で誤ったイメージが流布」より引用抜粋
通り魔のような事件が起きて、犯人の精神疾患が取り沙汰されると、まったく関係のない患者たちが差別や偏見にさらされてしまうという問題がある。元警視庁科学捜査研究所の研究員で、現在は法政大学で教鞭をとる越智啓太教授の解説。
「たとえばうつ病患者に自殺願望を持つ人は少なくないが、他人を巻き込むということになると、最も多いのが一家心中。もちろんそれも悲惨な事例ですが、自分の欲望や利益のために殺人をするといった
自己中心的な行動に出ることはほとんどありません」さらに、精神科医の片田珠美氏は心の病と犯罪について、こんな言い方をした。「精神科などのクリニックに通院している人は、周囲も本人も病気であるという認識を持っていることが多く、
(中略)
無差別大量殺人のような特殊な犯罪を精神疾患だけで説明しようとするのは無理なんです。犯罪は様々な要因が重なり合って起こるもので、心の病気だけで犯罪が引き起こされるわけではないということをわかってほしい」 – 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
精神障害がそれ単体で危険というものではないんですね。結局そこに他の何かが複合的に絡むことで「危険」にもなり得る、ということで、それは一般の方も同じでしょう。
たとえば統合失調症といっても、それにはレベルや症状の差異はあるでしょうし、基本的な性格の差異もあるでしょう。
そして心が病んでいる時に、カルトや病的なオカルト妄想などに囚われて現実と妄想の区別がつかなくなったり、排他的な思想・イデオロギーに巻き込まれたり、周囲の悪意にさらされたりすると、
通常の人より意識が深い状態で囚われやすいので、よりおかしくなることはあるでしょう。結局は、「他者の不適切な歪んだ干渉」が悪化の原因なんですね。
なので、統合失調症=犯罪、それは誤った見方であるということには変わりありません。統合失調症は100人に1人程度の確率で発病する極ありふれたものなんです。
「精神障害者の暴力被害のリスク,非障害例の4倍」 より引用
精神障害の人が犯罪を起こすのではないかと心配する風潮がありますが逆に精神障害のある人は、障害のない人に比べて4倍も暴力の被害を受けやすいという 論文がLancet 2012年2月28日オンライン版に発表されました。
英リバプールジョンムーア大学のKaren Hughes氏らは, 精神障害などを有する人の暴力被害のリスクを検討した26件の論文を システマチックレビューおよびメタ解析を行いました。
解析対象の論文は主に先進国で行われた観察研究を対象としたもので,それによると,精神障害のある人が暴力を受けるリスクは, 精神障害のない人に比べ約4倍上昇していたそうです。
さらに、 精神障害以外の 障害者全体では1.5倍のリスク上昇最終的に2万1,157例の障害者を含む26件の報告が解析対象となり
試験前の1年以内になんらかの暴力を受けた人の割合は 精神障害者で24.3%知的障害者で6.1% その他の障害者(non-specific impairments)では3.2%でした。
精神障害や知的障害などのある人は 一般の人からその言動を誤解されたり、通報できないだろうと、心ない人の攻撃の対象にされたりしがちです – 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
◇ 関連外部サイト記事
トラウマ回復に向けた意識の方向性
以前、「サルは黄色い服を着た人に攻撃されたら、黄色い服を着た人全てに攻撃する」と聞いたことがあります。
ですがカラスの場合は一人一人の顔まで覚えていて、ピンポイントでその人を攻撃すると聞きました、カラスの話は色々知っていますが、カラスは本当に頭が良いようですね。
そして「人が何かに傷ついた、悪影響を受けた」場合にも、その記憶の反応は様々です。たとえば、過去に男性に酷く傷つけられた女性がこの世の男性全てが嫌い、あるいは恐怖の対象になることがあります。
そしてその逆もあるでしょう。このような状態は、先の「黄色い服を着た人=傷つける」という状態で、トラウマ心理が強く働いているわけですね。
私はこのブログを書いていてよく、「敢えて意識するように心がけていること」があるんですね。それは、傷つけた対象・悪影響を与えた対象を「同じくそう思う人々と一緒になって憎しみ丸出しで攻撃し合って共感する」のではなくて、
「傷ついた心・荒んだ精神」それ自体を本来の調和・回復に向けて癒していく方向で共感できたらなぁ、ということです。例えば、男性恐怖症の女性達が百人集まって男性のことを語り合っても、そこには男性への恐怖と嫌悪の共感しか起きないでしょう。
そこには強い共感性は生まれますが、そのままではトラウマからの解放という可能性への意識の方向性がないんですね。
ですが、過去に男性恐怖症だった女性がそこから回復して「男性にもいろいろいるんだ」という調和バランスした気持ちから、他の男性恐怖症の女性と語るのであれば、そこには共感性だけでなく、トラウマからの開放の可能性も見えてきますよね。
心・精神の病の原因となったものを知ること、分析することも確かに大切ですが、それはワンステップでしかありません。本当の目的は、トラウマや心・精神のバランスの回復であり、そしてその後の人生を過去の囚われの意識ではない状態で生きる、再出発に意識を向けることなんですね。
「トラウマを持ったままでの共感」に目的があるのではありません。例えばもし、あなたがカルト系の宗教に苦しんだ人であって、その過去の否定的なトラウマが強く残って嫌悪しているならば、宗教やオカルトやそれに類似したもの全般を嫌悪・否定するでしょう。先の男性恐怖症の女性と同じように。
もちろん回復の過程でそこから一旦離れるために強く否定する段階もあるため、それ自体は別に悪いことではありません。ですが本当にそのトラウマから解放され調和が回復したのであれば、その時は何でもかんでも嫌悪はしなくなるものなんですね。
そして嫌悪やこだわりがあまりに強い時、人は否定し過ぎることで逆に、他の長所や良さ、そして可能性までも見落としてしまうんです。
男性や女性というものが決して悪そのものではないように、そして性欲それ自体が決して悪ではないように、それは男女の関係性の不自然さや、一方的な在り方の中に現れる不調和・歪みに過ぎないものです。
「トラウマ印象としてラベリングされた対象」へ沸き起こる嫌悪感に翻弄されて、手当たり次第に「黄色い服を着た人」を総攻撃して、ストレスを解消することに意識や目的の中心を置き続けるのではなく、
傷つけた対象をピンポイントで冷静に分析を行い、同時にトラウマそのものを癒すために調和を回復させていく方向へと意識の中心を移していくことが大事なんですね。
「このブログを読んだ心・精神の病気の人や心が弱った人、疲れた人が、出来るだけトラウマや否定的な意識から調和に向かってくれたらいいな」という、ただそれだけのことです。