笑えない思い込みと笑える思い込み
今日は思い込みの心理の続きで、「笑えない思い込み」と「笑える思い込み」をテーマに記事を書きました。「思い込み」と言ってもいろいろで、その奥は深いんですよね。まずは「笑える思い込み」の実例で、外部サイト「お笑い道場」さん の引用・抜粋です。
以下「お笑い道場」 より引用抜粋
○ 埼京線を最強線だと中学の時に思っていた。
○ 「味の素」を「あじのそ」と読んでいた。
○ 小さい頃、外車が左ハンドルなのは、外国人は左利きが多いからだと思っていた。
○ 幼稚園に上がる前、犬がオス、猫がメスだと思ってた。
○ 学校の教科書を読まされてるとき、「幾何学」が読めなくて「いくなんがく」を無理やり読んだ。
○ ピスタチオ=銀杏と思ってた。
○ ライチは食べられる松ぼっくりだと思っていた・・・。
○ 「整腸剤」を「成長剤」と思い、飲まされるたびにドキドキしていた。
○ 子供のころ、たくあんは木になっていると思っていた。
○ 「肩甲骨」を「健康骨」だと思っていた。
○ 小学校の社会のテスト
「日本に火縄銃を伝えたのは何人ですか?」考えて出した私の答え:3人 正解:ポルトガル人
○ 子供の頃、家の近くの海を眺めながら、「この向こうにはアメリカがあるんだな~」としみじみ思っていた。本当は淡路島だったんだけど。
○ 小学生の時お母さんが言ってたから自分はぺんぎん座だと思ってた。だから特別だと思ってた。 ただの天秤座だった。
○ おれの友達なんて、バンバンジーを”棒々鶏(ぼうぼうとり)”って読んだからね。 自信が無い時は”これってどんな味付けですか?”とか聞いて、じゃあそれでという感じで注文すればいいのににね。
○ 幼稚園のころ、 犬 = 番犬 = 眠らない と信じていて猫に生まれてたら眠れたのにねと同情していた。
○ トラウマは虎馬と書く、中国の故事成語だと思っていた。
– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
引用元⇒ 笑える思い込み!
「思い込み」もこうやって並べてみると色々あって面白いですね。 もう一つ、外部サイト「発言小町」総合案内所より引用抜粋です。
軽自動車のことを「K自動車」だと大学2年の時まで信じていました。「K」ってなに?なんて考えたこともなく…。 当然軽トラックも「Kトラック」でした。
社会人になるまで、相撲の三つ巴は土俵の上で3人の力士がいっぺんに戦うことだと思ってました。
「短大」ってそういう名前の大学だと思ってました。母が短大卒なのですが、同じ大学卒業した人がいっぱいいるんだなぁ…とおもってました。結構この手の勘違い思い込みには事欠きません。
引用元 ⇒トラウマって虎と馬かと思ってました。
なかなか微笑ましいユニークな思い込みばかりですね。以下のサイトもよくまとめてありますので紹介しておきます。ガールズちゃんねる ⇒ 子供の頃の変な思い込み
上に紹介したような笑える思い込みは人間誰しもあるでしょう。そして中二病という成長過程での一時期的な思い込みもあります。
これも通常範囲であれば笑えますが、過剰になったり時期を過ぎても続くようであれば、段々笑えないものとなり、あまりに突っ込んだ状態であれば、目も当てられない痛い感じになるでしょう。過去記事 ⇒ 中二病とスピ・高二病 と アンチの心理 を 弁証法的に考察
とはいえ、アニメが大好きという程度で過剰に中二病扱いするような高二病的な徹底否定の姿勢もどうかなと思います。たかだかその程度の思い込みのひとつやふたつくらいで、人は簡単に狂人・廃人・犯罪者になったりはしないからです。
要は「それが全てになっちゃって現実と妄想の区別がつかないような特殊な意識状態」が問題なだけです。ですがそういう人はそんなに多くはなく、他の条件が複合的に重ならない限りは、そういう状態には普通はまずならないし、害もないものが多いですね。
また一時期そうなっても自然に変わったりもするので、定常的にそうある人って少ないわけです。大概そういうものは単なる娯楽の一種であり予定調和の範囲ですから、一時的に中二病的であっても、いずれは現実意識へと自然に移行していくわけです。
それに比べて、カルト系宗教や霊能者などの洗脳を受けて固く信じているような人の世界観や、ある種の心身のバランス異常が悪化している場合は、もっと深い意識に根付いている思い込み現象であることがあり、その場合は全く違う性質を持つわけです。
その場合、本人にとっては予定調和ではなく、娯楽でもなく、趣味やノリでもなく、「現実と妄想の区別がつかないような、特殊な思い込みの意識状態」なわけです。そういう傾向になりやすい方、なりつつある方、なっている方は、以下の記事・ページを参考にどうぞ。
〇 妄想性パーソナリティー障害(パラノイア)とは?
〇 統合失調症「的」人々 – 世界の悪意と病的な被害妄想を加速させる3つの罠
〇 病的な精神世界・オカルト・カルト系新興宗教 心理学的検証のまとめページ
そして上のような方にお勧めなのが映画「ミスト」です。この映画は希望のない暗い映画ですが、鋭い描写であり、視点は秀逸だと思います。オカルト盲信者や絶対者的な教祖を盲信する新興宗教信者にもおすすめです。
条件が揃わない限り「ミスト」に出てくる狂信者のようになる人は殆どいないので、一般の方には関係ないことでしょう。人はそんなことに囚われていられるほど暇ではなく、他に大事なことは沢山あるから、ふつうはそんな特殊な意識状態には深くハマりません。
そして、初詣や墓参りなどの日本の伝統的な宗教的・文化的行事などは慣行として多くの人々が行っています。また有形・無形の概念として、神仏やあの世をなんとなく信じつつ、日々現実的に常識的に生きている人など日本にはいくらでもいるわけです。
そういうものは社会と調和している文化の型の範囲内の行為であり、その範囲内のものであれば、人生が破綻するようなことは通常はまずないわけです。
しかもそれは、その人の人生全体のごく僅かな一部のものに過ぎないのであり、信心も「ささやかな思い」という程度の祈願や祈りであって、すべて予定調和だからです。
それに対して「カルト的なもの」は、伝統的・形式的な予定調和や慣行へのアンチテーゼと同時に、原理主義的な同一化と、分離性・破壊性を含むものであるため、他者への思想の押しつけや、反対者への否定・排斥・攻撃性も強くなるのです。
ですが「無宗教の人」でも、何かの思想・主義・イデオロギーが唯一絶対のようになり、それに反するものは全否定、という固定観念になっている場合は、ある種カルト的で狂気的になることは多々あります。現代であれば北朝鮮がその代表ですし、
以下に紹介の記事のような過剰なイデオロギー運動なども、レベルは弱いものですが同質ですね。⇒ 米国を席巻する「新しい無神論者」の非寛容と、ほんの少しの希望
私自身は無宗教者ですが、神仏は文化的なものとして認めつつ、未知や神秘の現象や宗教的なるものに関しても全否定はしていません。
また、人それぞれに心・精神の状態には多様性があるので、一つの価値基準や学問的概念だけを基準にはせず、段階的アプローチ及び多様性のあるアプローチを推奨しています。
そして不可解な現象を検証した様々な科学者の検証データを見ると、その多くは一般常識範囲・科学的範囲での合理的説明がつきますが、「わからないこと」「不可解なこと」というのが存在することも事実です。
「わからないこと」「不可解な現象」に対する科学者の姿勢には、ざっくり大きく分けて三種類の姿勢がありますね。
1. 何でかんでも科学的事実だけが全てで、証明できなければそれを全否定する人。
2. 科学者でありながら、「証明できないこと」を真実と断定するトンデモさん。しかも検証・実験をしっかりやらない人。
3. 検証・実験をしっかりやった上で、証明出来たら事実、出来なければ「これは事実かどうかはわからない不明なもの」とする姿勢の人。
3番目の人が一番科学者らしい科学者ですね。二番目の人は二種類います、トンデモ的だが、何らかの効果がある程度は確認が出来る、何らかの作用が確かにあるが、そのメカニズムがまだ明確ではないため実証には至っていないものですね。
そしてもう一つは、検証方法が全くデタラメで本人にしかわからない、あるいは何らかの明確な作用・効果・事実も誰も全く確認できない、というような幻ですね。
しかしそういうものは仮説段階レベルであれば世界中に幾らでも存在するわけで、その中には有効な未発見の事実が一部紛れている可能性もあるので、「不正ではない」ものであれば、過剰に否定せず盲信もしない、というくらいのスタンスの方が良いでしょうね。
タブロイド思考なども同様ですね。物事は一面的ではないので、一見悪いようなものも意味があったり、一見いいようなものが悪かったり、そのどちらでもない別の側面があったりします。
要は、あまり一つの角度だけに囚われすぎずに、多角度的な視野を持つ心の余裕を、いつも少しだけ持っておく方がいいですよ、ということですね。
※ タブロイド思考とは、複雑なものごとを、皮相的に、単純化・類型化して把握する思考のありよう。何が原因であるのかについて、深く考え分析すると単純に断言することができず判断が難しいような事象や出来事をステレオタイプな枠で捉える思考と云える。 参考⇒タブロイド思考