自己統合のための4つの軸・4つのバランスと「スピリチュアル版の自己統合」
今日は「自己統合のための4つの軸と4つのバランス」をテーマに書いていきますね。制作した図を参考として補足やポイントを書いていきますね。
まず以下の図を見てみましょう。説明は図の後に書いています。(※ 図を更新しています)
通常、人を語る時「心と体」とか、「個人と社会」とか、「自己実現」と「悟り」とか「理性」と「本能」とか、そういう二元的な区分けをすることが多いですね。
ですがここでは縦軸と横軸の計4つの軸の中心に「自己」があるという、「四次元的な構造」で「人」を見ていきます。 そしてさらに円の外側の周囲に上下左右に分かれた矢印がありますが、これが4つのバランスです。
円は三つの円があり、そしてそれぞれの円は上下左右に四つに分かれていますが、それぞれは完全に区分けされているのではなく、相互に関係し合っています。
4つの軸はどれもが重要であり、そして極端に偏り過ぎずに、調和バランスしているのが統合的です。例えば「個人的もの」にウエイトが偏り過ぎた場合、不足した他の箇所との全体バランスが合わずに不調和が生じてくるし、縦軸の「心・精神」の方向にあまりに偏り過ぎても同じです。
「集合的無意識」が左右に分かれていますが、これは左側の方が「より根源的で生物学的、動物的な無意識」です。生き物として条件付けらえた環世界から、より人間的な集合的無意識(右)が生じ、
そして「より人間的な集合的無意識」から宗教、そして具体的な社会道徳(規範)の型が生まれ、自然自我が条件づけられ社会化することで理性が発達し、
理性から文明が生まれました。文明が自然と敵対的なのは、もともと集合的無意識の段階で自然とヒトが分離したからです。(この基層の分離性は西洋と東洋で異なり、西洋はより分離的で東洋は調和的です。)
そして「自我」の左の「意識」は原始の人から引き継いだ「自然自我の基層」であり、これはアニミズムと関係します。そして自然自我は「原初的な自然道徳性(良心の元・共感性)」を有してます。
アニミズムは根源的な「生物学的、動物的な無意識」を投影したものですが、人間的な自我と自然自我の基層が合わさることによって「人間的な感性」が具体化し、ヒトの文化が創造されました。
伝統文化がその国の自然と調和的なのは「自然と繋がっている集合的無意識」から投影されたものだからです。
そして次は「4つのバランス」ですが、 ヒトは動物だった頃の「ありのまま」から「あるべきもの」という「非動物的なもの」を生み出しました。動物は「あるべき姿」なんて全然気にしません、ただ「ありのまま」です。
これは人間が集団社会を作ったからであり、無意識のままに「ありのまま」では、調和と秩序が維持できないから、その生物学的な状況・環境の必要性から生じたものです。
そして集団社会によって言葉が生まれ、言葉によって精神が生まれ、精神の働きである知・情・意が統合され、調和的な「自己」が形成されていきます。
自己が調和的に統合されることにより、理性と感性がバランスされ、自己は社会の中で行動、生産し「自己実現」へ向かいます。
ヒトはこのようにして『 自然の中で「ありのまま」だった自然自我 』を、『 社会の中で「ありのまま」に実現させる自己 』に変容したんですね。
これが「変容」のプロセスであり、精神世界でいうところの意識の錬金術のひとつです。
「4つのバランス」の続きですが、「物理的なものと心理的なもの」、「社会的なものと個人的なもの」、そして「形而上と形而下」、「動物的なもの人間的なもの」、これらもみなバランスであり、あまりにも一方に偏ると、そこから歪みや不調和が生じてきます。
まとめると、自己統合のためには4つの軸の調和と4つのバランスが必要であり、どれかを過剰にしたり逆に極端に不足にしたり、またどれかを抑圧し過ぎたり、逆に開放し過ぎたりするのではなく、
「全体を生かしつつバランスを取る」ことで内的に外的に調和した自己実現になっていく、ということですね。
もちろん、病的な自己肥大をしたり、自己分離的に努力して自己実現する、というようなことも出来るでしょうが、その場合は不調和の質に応じた内的・外的な問題が生まれやすくなります。
4つの軸と4つのバランスの調和と強化に役立つ心理学とエクササイズ
心理学には、深層心理学、発達心理学、科学的心理学、認知心理学など、区分けすれば様々なものがありますが、心理学で「ものの見つめ方」を深く多角的にしつつ、こだわりをなくし、そして瞑想やエクササイズなどで心身を深くリラックスし安定することが出来るようになったら、
次は日常の生活や仕事の中でも「心・言葉・身体・所作」の四つの調和を意識しながら鍛錬していくという「形なき見つめ方」もあります。
これは「戒律」や「道徳」などとは全く違います。例えば「言葉」の場合、単に綺麗な言葉を話せばいいとか、自分の心を押し殺して相手が喜ぶことを言えばいいとか、そういう「制御的なもの」ではありません。
かといって、汚らしい下品な表現をホンネで言いまくればいい、とういうわけでもありません。
つまり抑圧でも解放でもなく強制でも信念でもなく、「自身のありのままの状態」を「心・言葉・身体・所作」の4つに分けて、それぞれを「ただ観察すること」それだけですね。これが「形なきマインドフルネス」です。
そして力みなく「ただ観察する」、これ結構難しいんですが、それが出来ると「自身のありのままの状態」に気づきます。
そうすると理解が生じ、その理解が自然にありのままを変化させます。これはこのブログでよく書いている無意識の意識化のことです。
もちろん無意識は深さ・広さがあるので、これで全てが一挙に変わって明日からは別人とか、そういうものではありあせんが、少しずつ、少しずつ、という感じですが、それでも無意識は意識化されていくんですね。
そして今回の記事テーマとも関連するものとして、新たに追加更新として紹介するのが内的世界と外的世界を共に扱う統合的アプローチである「ホロニカル・セラピー」の紹介です。
定森恭司 著「 ホロニカル・セラピー──内的世界と外的世界を共に扱う統合的アプローチ」、そして定森 恭司 氏が開設した「心理相談室こころ」を以下に紹介しておきますね。⇒ 心理相談室こころ
※ 心理相談室こころのカウンセラーは、いずれも日本臨床心理士資格認定協会が認定する臨床心理士です。
スピ系の方のためのおすすめ「自己統合」の体系
スピ系の方のためのおすすめ? スピ系を叩いてきたブログなのに?っと思うかもしれませんが、私はスピ系やオカルトを全て叩いているのではありません。否定しているのはカルト系新興宗教と病的なオカルト依存症であり、
それによって実際に現実的な問題がアチコチで起きているから否定しているだけなのです。スピ系の方は何だかフワフワしている感じを受けますが、一部の狂信的なオカルティストとか、悪質な霊能者的人物を除けば、基本的に悪い人や病的な人は少ないと感じます。
悪い人が本気で爬虫類型の宇宙人やらを信じたりするでしょうか?(笑)輪廻やらを信じて来世のために徳を積もうなんて、悪い人が真剣にやるでしょうかね?悪い人が、妙なオカルト話ばかりする奇妙な人物を簡単に信じ、素直に従い何年間も頑張り続けるでしょうか?
悪い人はそんな何の金にも現実的な得にもならない抽象的なことはまずしません。「計算高く抜け目ない現実的・物質的な悪人」は、人を疑い騙し利用することはあっても「自身が進んでそうされよう」なんて微塵も思わないでしょう。
つまり、スピ系の人はある意味で「馬鹿」がつくほど良い人たちなんでしょう。だってそうじゃないですか?爬虫類型の宇宙人にマジ本気になってる人がもし目の前にいたら、私はその人を悪人と思うよりも先に、思わず吹き出してしまうでしょう。
何か憎めないですよね、爬虫類型の宇宙人とかにマジになってるような超越的なバカっぽさは(笑)ですが、信者騙してふんぞり返って自己肥大してる教祖とかどうですか?これってリアルの悪人の側なんで全然笑えません。
だって本人は騙してるのを内心では知ってて、「騙されやすい素朴な人」を食い物にしてるんでしょ。そこにはただの醜さしか感じないでしょう。まぁそういうことです。
後、仮に一部のスピ系に多少の問題等があっても、「文化的な摩擦」を通して、排他的な要素や病的な要素は徐々に昇華される、という可能性もあるとは思います。かつての伝統宗教がそうやってひとつの文化に落ち着いたように。
ただ、元々その手の感性が強い人は、どうしてもそういう領域・角度から現実を見ようとします。その領域を多角的に見ていくことで、さらにドツボにハマる人もいれば、「卒業する人」もいるでしょうし、それはそれで次のステップになるでしょう。ある意味そういうプロセスの途上なのかもしれませんね。
心理学にはスピ系の方に人気のあるトランスパーソナル心理学がありますが、私はトランスパーソナル心理学はあまりオススメしません。「えっユングの流れなのに?」って思うかもしれませんが、ユングとは全てが同じというわけではありませんし、私はユングも全てを肯定しているわけではありません。
ユングの自己統合ということに関しての捉え方も、私はユングと完全に同一ではありません。また、ユングのマンダラや錬金術への過剰なこだわりには殆ど共感していません。
ですがユングが認識した世界というものは非常にユニークで深いものです。そして、「相反する二つのものを調和できる可能性」が確かにユングの心理学にはあるんですね。
科学と宗教は相いれません。本質からして全く異なるものだからですが、ユングは科学でも宗教でもないが、ただのオカルトでもただの精神分析でもない、という絶妙なものなんです。
私はユング的な感性アプローチが、ある種の人々には非常に有効なことを経験的に知っているんですね。だからユングを評価しているんです。また、通常の心理学者や精神科医が扱えない把握できない意識の状態を、彼は確かに知っています。それは私自身もそうだったからです。
無意識は外からの観察だけでは内容を知ることは出来ません。それは変性意識と感性による実体験なくしては知りえず、それを知らない心理学者や精神科医がどれだけユングを否定したところで、
「心・精神の病になった人々の一部は、確かにユングの語るところの無意識の世界を経験している」といえます。
そして意識と無意識を観察していると、確かにそういうものが存在する、と言えるんですね。スキナーの行動分析学の流れの心理学では観察は不可能でしょう。人によっては一生わからないとしても、それは存在します。
「トランスパーソナル心理学」よりも、もっと高い完成度で「自己統合」を「スピ系」に方のために体系付けてるのが以下のリンク先に紹介の「インテグラル・トランスフォーマティブ・プラクティス」 です。
内容はガッチリとスピ系な感じですが、ニューエイジ系のスピ系のアプローチの中では害が少なくバランスが良いので、スピ系でずっといきたいと決意している筋金入りのスピの方にとって、「より調和的な方法」として勧めるのも悪くないかもしれませんね。 まぁ参考程度にどうぞ。
⇒ インテグラル・トランスフォーマティブ・プラクティス ─参与的見方─