災害伝承・民俗学・「言い伝え」の大事さと、陰謀論・「心なき思い込み」の不毛さ 

 

テレビも放送されていますが、現在深刻な土砂災害に見舞われている広島県広島市安佐南区八木地区(八木3丁目)ですが、この土地の昔の地名が「蛇落地悪谷(じゃらくじあしだに)」と呼ばれていたことがわかりました。

 

近くの光廣神社に残る絵には、「竜」を討伐した武将のすぐ横に、激しい水の流れが描かれています。これは先人が災害の記憶を伝えようとした「絵」「物語」による言い伝えということです。

 

昔の日本にはこのような数多くの言葉による言い伝え、「絵」「物語」による言い伝えが存在し、それは千年以上の長い歴史を持つ国が経験した「集合知」が含まれているんですね。

 

昔の人は「ここ危険なところだよ」って地名で伝えようとしてきたのに、その地名は変更され、そして「あそこは、住んではダメな場所だが、不動産屋は、言わない」 と古来からの言い伝えを知る住民の方は言う。

 

東北大震災でもそうでした。利益のみを優先し過ぎ、「安全でないもの」を過信し過ぎ、そして「安全ではない場所」を「言い伝え」を無視して開発し続けた結果、悲劇は起きたんですね。

 

「災害を記憶するために(2)〜妖怪伝承と民俗学の可能性」より引用・抜粋

柳田は東京大学を出たあと、官吏や新聞の論説委員をしながら『遠野物語』や『雪国の春』といった本を書いたんだけど、直接的なきっかけになった出来事っていうのが関東大震災なんですね。

国連の委員をしていたときに、ロンドンで各国の外交官との会合があって、そのうちの一人が「あれは天罰だ」と言ったと。大正デモクラシーの頃って、政治的な運動と並行してある種の都市風俗が非常に盛り上がっていたので、

それに対して天罰が下ったんだと言ったんでしょう。その発言に柳田はすごく憤ったわけです。当時の柳田は本所深川という、東京の中で最も貧しい、発展途上の日本の輝きを陰で支えてる人たちが多く暮らす町に住んでいたんです。

もともと柳田は農業の専門家で、発展途上の日本を陰から支えている人たちに強い共感を抱いていました。だから、本所深川という東京の中で最も貧しい人々が多く暮らす町の被害に、胸を痛めていたんです。

それもあって、どうして彼らに天罰が下らなきゃいけないのかと怒った。で、帰国する時に、柳田は自分の学問を本格的に始めなきゃいけないというふうに決意するわけです。

つまりね、災害の時に最も甚大な被害を受けるのは一般の庶民たちであって、彼らの暮らしぶりや感情といったものを書き留めることが、災害から何を教訓として学んで、どうやって備えるべきかといったことにつながるんじゃないかと。それが柳田民俗学の始まりですよね」

引用元 ⇒ 災害を記憶するために(2)〜妖怪伝承と民俗学の可能性

 

上記に紹介の引用文にも「天罰だ!」という言葉が出てきますが、「東北大震災」の時も「天罰だ!」を言っていた人が一般人・宗教・精神世界の人々に沢山います。あの時、私も柳田氏同様の理由でその言葉に憤りが生じました。

 

 

今年7月にも長野県木曽郡南木曽町で集中豪雨による土砂災害が発生したばかりですが、ここには過去に建てられた「悲しめる乙女の像」があり、その像の足元には「蛇ぬけの碑」と書かれています。

 

「蛇」という比喩が使われていますが、これは広島土砂災害のあった八木地区の昔の地名「蛇落地悪谷」で出てくる「蛇」の字と同じ意味で使われています。

 

「第8回  地域に残る災害伝承と土砂災害の前兆現象」より引用・抜粋

長野県南木曽町に伊勢小屋沢水害記念碑「悲しめる乙女の像」があります(写真1)。像の足元には「蛇ぬけの碑」と書かれており、その下に俚諺(りげん:民間で言い伝えられてきたことわざ)が書かれています。

それが冒頭の白い雨が降ると蛇ぬけ(土石流)が起こるという災害伝承です。この記念碑は1953(昭和28)年7月20日に発生した土石流災害の悲惨な被害を二度と起こさないようにと、被災者の七回忌にあたって建立が発起され、1960(昭和35)年に完成しました(池谷 浩「土石流災害」)。

引用元 ⇒ 第8回  地域に残る災害伝承と土砂災害の前兆現象

 

 

東北大震災の津波と過去の警告

 

三陸海岸には過去に建てられた「津波被害を伝える石碑」が約200基見られます。 その中で、海抜約60メートルの地点に建立された石碑「大津浪記念碑」に記された「此処(ここ)より下に家 を建てるな」という警告、およびそれを遵守し地元の防災文化を守り続けてきた宮古市重茂の姉吉地区は、津波による建物被害が1軒もなかったのですね。

 

大津浪記念碑

高き住居は児孫の和楽/
想(おも)へ惨禍の大津浪/
此処(ここ)より下に家を建てるな/
明治二十九年にも、昭和八年にも津浪は此処まで来て/
部落は全滅し、生存者僅(わず)かに前に二人後に四人のみ/
幾歳(いくとし)経るとも要心あれ

参考元 ⇒ 宮古・姉吉地区 石碑の教え守る  <4月10日・河北新報>

 

 

 自然災害は天罰? 伝統文化・言い伝えの大切さ

 

自然災害は「天罰」ではありません。地球の自然界は「人間のためだけにあ人間に都合のよいものではない」というだけのことです。

 

◇ 関連外部サイト記事の紹介2017/2 追加更新)

太古の大洪水、巨人、竜は実在? 伝説を科学で検証

 

「三陸沖地震」せよ火山噴火にせよ洪水にせよ、それは人がいてもいなくても、自然条件が整った時に起きる自然現象です。その場所に人がいたから巻き込まれただけであり、

 

そして古来から「危険な場所」は警告されており、民族伝承・神道文化などで「自然の力を侮らないで畏敬の念を持つこと」を諭してきたんですね。自然界、それは大いなる生命の場なのです。大自然の運動は、人間の小さな都合などイチイチ考えたりしません。自然の力学によって大きく変化もすれば、長らく安定もします。

 

そういう人知を超えた自然の力学に畏敬の念を持ち、大きな生命の場として与えられる恩恵に感謝し、自然界の変化に耳を澄まし、祖先の集合知に含まれたエッセンスを文化として大切に守る、ということに意味があるんですね。

 

2000年前には宮城に100メートル級の津波!? 震災を警告した歴史学者が予見する「次の巨大津波」より引用・抜粋

「未曾有の自然災害」と言われた2011年の東日本大震災。しかし、その16年も前に、宮城県石巻市から仙台平野、福島県いわき市にかけての太平洋沿岸に今回の巨大津波が襲来することを予言し、警告していた人がいる。

宮城県に住む歴史学者で、3月に『解き明かされる日本最古の歴史津波』(島影社)を上梓した飯沼勇義氏だ。

同書によると、仙台平野には<宮城県沖と、その周辺の海溝型地震の震源地が連動して起こった>とされる巨大地震によって、西暦996年までの約1200年間に7回の大津波が押し寄せていたという。

また、歴史上の空白の一部が歴史研究を通じて明らかになってきたことから、飯沼氏は、その後も200年ごとに大津波が繰り返していた事実を発掘した。
(中略)
「歪められた津波の歴史に対する認識によって、宮城県だけでも1万人以上もの犠牲者を出した。やはり日本人は、歴史を精査する立場で、物事を見たり考えたりする思考力ができていなかったんだと思うんです」

引用元 ⇒ 2000年前には宮城に100メートル級の津波!? 震災を警告した歴史学者が予見する「次の巨大津波」

 

東北地方の鎮護を司る”陸奥国一宮”として塩釜市の一森山に鎮座する「鹽竈神」は、国の重要文化財でもありますが、東北大震災の時、この神社の石段の下の表参道の少し手前まで「津波」が来たそうです。

 

「第34回 南海トラフ津波ー「神社」に逃げる!」より引用抜粋

直接的なきっかけは昨年11月に出された『神社は警告する』(講談社)という本でした。3名の著者はテレビ番組に携わるジャーナリストで、東日本大地震を追って行く中で、「神社の前で津波が止まったのではないか?」ということに気づき、それを丹念に調べていったものです。

確かに神社の前で津波は止まっているように見えます。その裏をいうと、平地につくられた神社は津波で流されるごとに高台に移っていったということですが、これも1000年以上もの長い歴史を伝えている神様のなせる技とも言えましょう。

日本武尊の拠点となった熱田神宮は、言うまでもなく高台に鎮座しています。どんな津波が来ようと、熱田神宮は安全です。そのことを古代の人々は知っていたのです。

岐阜県羽島市の「江吉良(えぎら)町」に全国でも例がない「水除神社」を発見しました。名鉄竹鼻線・羽島線の駅に「江吉良駅」があります。駅からほど近いところに街道筋の道標があり、その先にその「水除神社」はあります。

素朴な神社で芭蕉の「市人にいで是うらん雪の笠」という句碑が建てられている以外にはこれといった特色があるわけではありません。ところが、神社は明らかに高台に位置しており、洪水などの際には「水除けの地」となり、そこから水除けの神を祀ったものと思われます。

引用元 ⇒ 第34回 南海トラフ津波ー「神社」に逃げる!

 

地球の歴史において、自然界の活動やリズムは一定ではありません。時に大きく変動します。猛暑やゲリラ豪雨を含めた自然災害がこの30年間で着実に増加傾向にあります。以下のサイト記事ではグラフを用いてその変化を見ています。⇒  この猛暑はまだまだ続く? 自然災害のグローバルトレンド

 

陰謀論・「心なき思い込み」の不毛さ

 

人工地震」とか「HAAP」とか「ユダヤ陰謀論」とか、まぁそのような「陰謀論」は様々な種類があるわけですが、多くの場合「陰謀論」には「思想やイデオロギーなどの利害の対立」が背景にある闘争運動の一種で、

 

双方が「一見辻褄の合う論理や状況証拠」で固めて、「意図的に行っている工作員」と「盲信している信者たち」が合わさって、「印象操作の心理戦」をやっている、という不毛な泥仕合ですね。シンプルに言えば「世論・心理操作のオカルト版」と言ったところでしょうか。

 

「陰謀論」っていうのは、「陰謀論の内容」に意味や真実があるんじゃなくて、「陰謀論」を拡散することそのものにプロパガンダの意味や政治・思想的な謀効果があるものですね。「陰謀論」を拡散することそのものが「陰謀」という、パラドックスです。

 

もちろん、世界には大小の陰謀が実在はしますし、カルトのマインドコントロール手法と質的には大差のない支配原理や搾取の心理操作が実在してはいます。

 

そして秘密の組織や権力・諜報機関の非合法的な活動も実在はしますが、それは世界・社会の1部分の活動に過ぎません。何もかも黒幕にコントロール支配されているという思い込みが、「陰謀論信者」の意識状態なんですね。

 

 

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